車を志布志方面へ走らせていたとき、ふと車窓に城らしき屋根が垣間見えました。
  キャンディキャンディ2 お願い! お願い止まってアンソニー!!

とは言いませんでしたが、あきらかに窓に向かって挙動不審になった後席者に気づいた鹿児島県さんw
私のソワソワ加減に、「時間もありますし見て行きますか(笑)?」との優しいお言葉。
(人-ω-)。o.゚。*・★行きますとも! 見て行きますとも!★・*。゚o。(-ω-人)

ということで"都之城(都城)"。どすん。

鶴丸城」とも書かれていますが、あれ? 鶴丸城って鹿児島城のことじゃあ??




都之城は宮崎県都城市にあります。

といいますか、都城市の名はこのお城にちなんでつけられたそうです。
都城市は平成18年に、旧都城市、山之口町、高城町、山田町、高崎町の1市4町が合併し誕生した市で、移動中睡魔が襲っていて気付いていませんでしたが、走るうちすでに鹿児島ではなく宮崎に入っていたのでした。





駐車場を出てまず目に付くのが、大手門になります。
木造で都城の杉を使い、単層櫓を冠した櫓(やぐら)門となっています。




~が、説明書きを読むと本丸跡に作られた歴史資料館と合わせ平成6年に建てられた、とあるので昔の大手門はこうではなかったような気もします。



                                       マンホールを撮るのも好きですが、瓦を撮るのも好き←変人っぽいw


瓦も都城産らしく、鹿児島藩約4万石を治めた都城島津家の、丸に十字の家紋がこれでもか!と入っているのに圧倒されます。
この島津家の十字マークですが、キリスト教から取ったもの、という説や魔よけの"十字を切る"動作からとったなど諸説あるらしいですね。
真相はいかに?




本丸のあった場所が城山公園に整備され、そこに資料館があるようなのでそこまで歩くことにしました。
ちょうど春のいい陽だまりの日だったこともあり、ぽかぽか散歩日和。
沿道の苔の萌える色がまた美しく私たちを歓迎してくれます。

すると近くから「カーンカーンカーン!」と踏み切りの音がするではないですか・・・・・!!!!!!!!!!
目を凝らしてみると、上りきった先に線路が! そしてまさに電車が通ろうと遮断機が降りていくのが見えたので、カメラを抱えてダッシュです!




迫ってくる正面には間に合いませんでしたが、787系特急きりしま!




またまた「鹿児島の黒」に会えた気がしました(笑)。

バックの桜と手前の菜の花の両手に花を抱え"きりしま"は黒い残像を残しながらフェードアウトしていきます。
JR九州の車両はどれもハンサムだと思いますが、スクエアカットな黒が映えて本当イケメンですね~♪
城とは関係なかったですが、しばし楽しみました!





さて、上りきったところが"都城歴史資料館"です。
お城の上のほうだけがぽこっと乗っかったような天守風の構え。
平成元年に開館したとあって新しいです。
付近図を見ると、やっぱり線路すっごい近い(笑)。





都之城は中世城郭だったそうで、都城島津(本郷)家二代目の本郷義久により永和元年(1375)年に築城されたといわれています。
1615年一国一城令で廃城となるまで、戦で落城していないそうですよ。
資料館の正面に広がる城山公園は、とってもキレイに整備されています。
石畳には落ち葉一つなく、砂利は美しく敷かれ・・・キレイに整備されすぎなほどです。 

丹波篠山城でも思いましたが、私はこれがちょっと淋しい・・・(ノω・、)
「そのままの君でいて!」とまでは言いませんが、崩れがかった野面積みも危険なうらぶれた廃墟の石垣が、苔むすあまりに森のようになってしまった様相が好きだったりします。




もっこりしてる門址(もんあと)。




ね、せっかく当時のまま発掘されても、周りがキレイすぎるとありがたみ半減・・・↓orz




資料館にも十字マーク連打w またまた島津家紋に圧倒されます。

この最上階の丸窓のガラスは、外から見るとこんな感じで目立たないでしょう?

ところが中から見るとキラキラ輝く美しいステンドガラスになっています。
このことからもなんとなく私は、この家紋はキリスト教に関連してではないかな~?なんて思いましたが。
館内には縄文~弥生時代の石器や土器、特攻遺品や戦争資料、農具などの民俗資料など都城の歴史や文化を知る展示がたくさんあるそうで、予定外でしたがせっかくなので館内見学も。



                 具足カッコヨスww


館内は撮影禁止と書かれてあったため、鹿児島県さんのご案内でありますしここが宮崎県下なので無理に取材申し込みもいたしませんでした。(え? にま~さぼっただけ?)

なかでも島津家の系譜図と、田谷・尻枝遺跡から発掘された都城盆地の火山灰層の転写が素晴らしかった!
火山灰層の前ではじーっとしばらく立ち尽くしちゃった!
実際に化石のような状態で出てきた地層の断面組織を、一枚の板のように丁寧に剥ぎ取って特別な糊で固めて貼られていましたが、何年前にどんな噴火に襲われ溶岩に覆われたかがグラフのようにわかりやすいのです。
薩摩の人々が火山と共生しながら続いてきた歴史が、どんなに苦労の上に重ねられてきたかが、色の違いでくっきりとわかる地層図、貴重なものに(宮崎ですが)出会えました。
寄り道してもらってよかった~はぁはぁ





周囲にも城がたくさんなので、軽くお引越し気分で住み替えて増築していったのか、敵から逃れるためか、なににしろ財力の大きさがうかがい知れますね。




島津家の始まりは、源頼朝から薩摩・大隅・日向の守護を任命された惟宗忠久(これむねのただひさ)が、姓を島津に改め、「島津忠久」と名乗るようになったことから。
島津家第28代当主、島津斉彬は人材の登用に優れ、家臣には西郷隆盛や大久保利通などののちの明治維新の立役者が揃っていたといいます。
人を見る眼も確かだったのですね
こうして明治維新に及ぶまでの約700年間、鹿児島は島津家とともに歩むことになるのです。
私的にはその島津斉彬氏の肖像を、あの黒田清輝が描いていたことに反応!

ちなみに資料館の屋根の上に載っていたのは、しゃちほこではない何かに見えたんですが、これ何!?




都城歴史資料館
宮崎県都城市都城町803
0986-25-8011
9:30-17:00
月曜休館
大人210円



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