Tommy's Jazz Caf'e ジャズブログ Tommy's Jazz Caf'e ジャズブログ
ジャズ入門書ではありません
"自分のジャズ"を再認識する本

この年末から、ジャズ友のいっきさんが「読まないと"月にかわっておしおきよ!"」「読まなければ"死刑!"」とすごくオススメしていた本、四谷「いーぐる」の店主、後藤雅洋さんの『ジャズ耳の鍛え方』を読んだ。
ここはお年賀のつもりで、いっきさんのブログにコメントで書き込みたいところだが(笑)、長くなりそうなので今回は自分のブログに書く事にしました。
本来、知り合いの書いた本は、宣伝広告を目的としない感想はブログに書かないことにしているのだが、この本は、今までの後藤さんの著書とちょっと違うので、少し突っ込んで感想を書く事にした。厳しいことを言ってしまうかも知れないが、まぁ、顔見知りの戯言ツーことでご容赦願いたい。
それだけ、自分にとっても意味があり、面白かったツーことです♥

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ジャズ耳の鍛え方/後藤雅洋・著(NTT出版ライブラリーレゾナント/価格:1,785円)
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かなり保守的なジャズ本である
90%くらい賛成!!それが問題

この本を読んでいると、自分の感覚を代弁して書いてくれているような、心地いい~気分になる。きっとジャズ聴きで、この本に本気でイチャモンをつける人はいないと思う。いや、きっと50代以下だと「それは違う!」と言いたいだろうが、それを言う勇気はきっとないだろう。
「なぜ自分はジャズに魅かれるのか?」ということを40年以上も、考え続けているオイラにとっては納得、共感、理解の数々なのだが、あまりにも「ジャズ聴くってカッコイイことなんだよ!」と言われているような気がして、こっ恥ずかしい~'70年代にタイムスリップしてしまった(笑)。
だから、ここに書いてあることがジャズ初心者には全然感覚としては理解できないと思うし、これはすでにジャズを聴いて、ジャズ好きな人の体感&感覚確認書のような気がするのだが・・・?
それと後藤さんの本にしては珍しく、世代による区別(差別?)、時代による違い、人種による違いを明確にしているような気がする。まぁ、言っても分からないツーことだろう。
オイラは平気で言うのだが「'60年代~'70年代の社会状況を知らないで、ジャズを語ってもなぁ~」という感覚が、ところどころに見受けられる。油井正一さん、なかむらとうようさんの文献を引用したのも偶然ではないだろう。より時代的なリアリティーを求めたからではないのか?

「ジャズは好きに聴けばいい」というのが、最近の感覚だが、それにも疑問を呈しているのもいい~。Perfume、椎名林檎、坂本龍一をジャズのエリアに入れ込んでジャズを聴くな!という頑固ジジイさ加減も素晴らしい(あっ、そこまでは書いてないか/笑)。そうそう、広く音楽を聴いていますツーことで別ものまで塗している思い込みの人が多いからね。
ジャズってもっと議論が出来ることが大切だと思うよ。「好きに聴けばいいじゃん」って言われると議論もないもんね。「好きに聴けばいいじゃん」で、議論にピリオド打っていることが多いと思う。'80年代以降のジャズファンの口癖のような気がするなぁ~(笑)。
第1章から第3章までの、ジャズの知識とインテリジェンスな感覚が気持ちいいんだよね。ん~でもこれは、クラシックファンやロックファンはどう読むか?それは気になるところなのだ。

第4章から第5章は、後藤さんの他の本ともダブルところが多いが、ホントに「ジャズを聴くことは自転車に乗ることなのだろうか?」。この本の核心的な文言ではあるが・・・(笑)。
自転車はちゃんと乗れないと怪我しますが、ジャズを聴くのに危険はない。また、自転車の構造、仕組みまで知って自転車に乗っている人はどのくらいいるでしょうか?
そんなんで、ゴメン!後藤さんそれ違うと思いま~す。後藤さんそれ体育系過ぎます(笑)。
「体で覚える」と言いたかったのでしょうが、デリカシーが足りません。テニスでもない。
オイラに言わせて頂くと「ジャズを聴くことは絵を描くデッサンのようなものです」と言いたい(笑)。モノの構造を知ること、それを自分が受け止め、目と脳の信号と手の運動をリンクさせて認識していくこと・・・。作業の繰り返し、トレーニングすることで構図、陰影、質感が会得できるのです。デッサンの基本は絵を描く行為ではありません。モノの構造という本質を知ることなのです。
衝動としても自転車乗るほどのポピュラーなことではない。デッサンくらいのマイナー感?「自転車に乗る」の基本は、転ぶことも覚悟して乗る勇気だと思うので・・・ちょっと違う。

ん~。ちょっと全体に"芸術コンプレックス"を感じるんですよね。ジャズのいい書き手にはなぜか"芸術コンプレックス"を感じてしまいます。だから、いい評論者なんでしょうが・・・芸術の話になるとキレが悪くなるなぁ~。感じて分かっていても、文章では表現しにくいものです。そこにジャズ評論の根本的な難しさがあるんだよね。分かったかのように書くとウソッぽいもんなぁ~。
オイラは、「それはビジュアルにするから、言葉で説明する必要はない」ツーことから、言葉での表現に固執しないもんね。そこがオイラの楽なところです(笑)。仕事柄"芸術コンプレックス"に関して敏感なんだよね。子供の頃からず~っと美術職人(?)として扱われてきたので、その辺の悩みはよく分からないけど・・・(笑)。

オイオイ、そこまで親切に書いていいのか?という疑問が最後に残る。「ジャズ耳の鍛え方」は何のことはない「自分の日常での物事の捕らえ方、感じ方に敏感であれ!」と言っているだけなのだ。特にジャズを聴くために準備する能力でもなければ、トレーニングすることでもないと思うのはオイラだけだろうか?みんながすでに備わっていて、知っている行動なのだ。自分が仕事や趣味で日頃やっていること、気をつけていること、感じていることをジャズという音楽を聴く時にも応用すればいいだけだと思うのだが、それさえも教えなければならない時代なのだろうか?
オイラの感覚からすると、ちょっとヤボじゃないの?と思ってしまう。この本の先には「ジャズで成功する5つの方法」ツー本が待っている気がしま~す(笑)。

この本の第1章から第3章までテンションで、1冊が出来上がっていたら素晴らしいジャズ評論本だったと思う(そこに譜面や図形、写真で表記されていたらなぁ~/笑)。実践の「鍛え方」が災いしたように思うし、その鍛え方は人間としての常識的なことを書いているだけだったので、もっと後藤流「ジャズ虎の穴」を期待したオイラには、ちょっとガッカリかも?(笑)。
しかし、読み終えて考えると、'60年~'70年代、オイラたちが普通にやっていたことを、今じゃしなくなったのだと気づいた。だとしたら、チャーリー・パーカーを例に持ってきても、もう届かないかもしれないなぁ。実際、オイラも普段はチャーリー・パーカーは聴かないしね。みんなも聴かないよね(笑)。チャーリー・パーカー→自転車じゃ、「東京タワー」「夕日町三丁目」じゃないの?・・・'80年代、'90年代以降の人にでも分かる表現方法はないのかな・・・?
感情移入できる部分は多い
ジャズ聴きで良かったと思える本

この方向での後藤さんの著作物が増えていくのは、ミュージシャンもの、名盤モノで飽和状態のジャズ本の中でスゴク歓迎したい。「ジャズを聴くこと、楽しむこと」に対する自分の感覚が、どこからやって来るのか?その拘りや美意識は何が作用しているのかを知りたいのはオイラだけではないだろう。実際、オイラは「ジャズは必修科目だった」と思っているのだが、当時の先輩たちは何を伝えたいと思ったのか、なぜ多くの先輩たちはジャズを聴くのを止めたのか?
また、新しくジャズを聴いている人たちの感覚に潜んでいる"多くの問題点"をも分析し、ちゃんと答えられるのは後藤さんの世代じゃないとムリだと思うんだよね。
オイラはジャズ評論という作業は、後藤さんの世代~村井さんの世代で終ると思っている。その後の世代にはジャズの時代的なリアリティーがないからである。まぁ、CDのカタログを作るならライターとしては大丈夫だろうと思うが・・・どうしても読みたいと思わせる条件が揃わない。
全体がヨーロピアンジャズのような借り物なのだ、ジャズ耳の腰が座っていないんだよ(笑)。

時間ができたら、もう一度読み直そう。

●いっきさんからのコメント。
■おめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
作年は色々お世話になりました。
本年もよろしくお願い致します。

感想&書評、楽しく読ませていただきました。
それで、客観的な感想には共感できました。
tommyさんの主観的感想については、私はよく分からないと思いました。
価値観の違いを改めて痛感。
tommyさんがご自分の時代的背景をうったえればうったえるほど、私の頭の中には疑問符が充満してしまいます(笑)。
そして、ジャズ聴きで良かった悪かったというより、たまたま一番相性が良い音楽がジャズなんですよね。私の場合はそれだけです。

冒頭のがきデカのマンガ、懐かしいです。


◎あけましておめでとうございます、いっきさん。
育った環境や時代背景の話になると、これは理解しえないと思います。電気も水道もない島に暮していたのですから・・・それは分からないでしょう(笑)。それと沖縄のコザのことも今とは違うからね。まったく違う国の人だと思った方がいいと思います。そこがアメリカの統治下にあったので、よりリアルにアメリカに近かったということですね。ちょっと特殊過ぎるかも?
それは、いっきさんが「公民権運動」「人種差別」をリアルに感じるかということだと思う。
当然、オイラはリアルに感じますよ、そういう場面に何度も遭遇したので・・・。
音楽が鳴っている環境と体験が違い過ぎます。でもそれがオイラのジャズだから仕方がない(笑)。ジャズを聴いてイメージする、頭の中にある風景や映像のストックの違いだと思います。
今は「平和な時代のジャズ」観賞用の音楽なんですよ・・・それはスゴクいいことです。

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コザ暴動:1970年12月20日未明、コザ市(現在の沖縄県沖縄市)。