『西コミの二宮金次郎』その3 | 宮城県富谷町の TOMIYAあったか探検隊

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宮城県黒川郡富谷町「笑顔輝くあったか富谷」の観光情報発信中

全国のにのきんマニアのみなさん、おはようございマッスルおっす!

さて、とおみやの金さんも佳境に入ってまいりました。


戦時中の金属供出はどうやら強制的ではなかったようですが、


しかし真面目な日本人ですから


ほとんどの学校で銅像は撤去されたようです。


もしもまだどこかの校庭にひっそりと建っていたならば、それは大変貴重なお宝であります。


公開せずにそっとしておいてほしいです。なぜならば、


にのきん窃盗団がいるからです。


もちろん素人が手を出せるしろものではありません。


破壊せずに持ち去るためにはおおがかりな重機と技術が必要です。


金ちゃんはアメリカにも2基存在するとか…海を渡った日本人の鑑、、、、



終戦になると今度は、金ちゃんが軍事教育の象徴とされ


GHQ の指令により次々廃棄されていきます。


とおみやの金さんは見ての通り石像です。


初代は昭和13年の3月に建てられました。


それが銅像だったのかどうかは不明ですが


供出せずにあったのかもしれません。なぜなら



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ということで、33年前の宮城県沖地震で破損し放置されていたものを


10年後にわざわざ復元制作しているのです。



この金ちゃんは、軍国主義に奔走されることなく


その人間性が尊重され、町民の純粋な思いによってよみがえったわけです。


そしてそのガッシリ体系仏像のような微笑みがどこからきているかといいますと


金ちゃんは180cm、94kgの巨体だったといわれています。


それを忠実に再現した結果だとすれば、おそらく全国に現存する金ちゃん像の中でも


類まれなキャラなのではないかとわたくしは考えるのです。


昭和48年をもって閉校となったこの旧富谷町立西成田小学校(現コミュニティセンター)の正面玄関付近には


「同窓生すべて やさしい力もち ここに学ぶ」


と刻まれた記念石碑もあります。


二宮金次郎を彷彿とさせるではありませんか。



戦後、像が撤去された理由にはもうひとつあります。


二宮金次郎が実際薪を背負って本を読みながら歩いていた、という事実が確認されない、


交通が発達した現代において、本を読みながら歩くという行為を


子供が真似したら危険である、


などの理由から取り去られていきました。


全国に現存する金ちゃん像がどれくらいあるのかは、いまのところ不明ですが、


未来へ残すべき歴史上の人物像であるべきと、わたくしは思います。




それからもうひとつ、


ド~ンどや
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金ちゃんのそばに寄り添うナゾの生物…



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植え木の陰にすっぽり隠れてもはや木と一体化しそうです。


コミセンの管理人さんにお聞きしましたが


「…あぁ、あれね、昔からあっけど、なんだべね…?」


orz・・・謎


西郷さんの飼い犬が迷子になってここへたどりついたんでしょうか。



そんなわけで、富谷にお越しの際はぜひ、


『勤勉の祖 とおみやの金さん』を拝んでくださいね。


受験生のご利益に とおみやの金さん をよろしくお願いします!



*緊急告知!


11/25(土)10時半~ここ西成田コミュニティセンターで


TOMIYA自由大学の開校式イベント が開催されます。


詳しくは↑コチラ↑をご覧ください。


ご参加申し込みを、金ちゃんともども心よりお待ち申し上げマッスルshokopon



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フォトby峰不治子