『西コミの二宮金次郎』その1 | 宮城県富谷町の TOMIYAあったか探検隊

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富谷ファンのみなさんこんにちわんこそば。

二宮金次郎を熱く語る会会長の峰不治子です。


まずはコチラをごらんください→にのきんについて


郎の本名は金郎だったんですが、出生届を出すときに

役場の係が間違えて


治を次にしてしまった…ということらしいです。


(どんだけイヤだったのか?)大人になってから金ちゃんは


『尊徳』と名乗ったようです。


幼いころより親の手伝いをし、読書好きなすばらしい子供でした。



しかし思春期の頃になると大飢饉におそわれるわ、両親を次々亡くすわ、


とても悲惨な子供時代を送ったようです。


だがしかし、預けられた親戚の家でも一生懸命に手伝いをして働き


倹約しながら勉学にいそしみ


その努力と実践力を買われてのしあがっていくのです。



金ちゃんのすごいところは、ただガムシャラに馬車馬のごとく働いたわけではなく、


利益を出すためのアイディアを実行し確実に成功させていったのです。


それによって、農民の暮らしも豊かになり、


金ちゃんは人々から尊敬される人になっていきます。


金ちゃんの農業改革は斬新なものだったのでしょう。


ときたまお百姓さんから反感をかって攻撃されたりもしたようです。


すると金ちゃんは


突然姿をくらまし行方不明になりました。


しばらくしてからわかったそうですが、金ちゃんはその間山にこもって


断食してたらしいです。


断食から戻ると農民の怒りもおさまっていた、、、ということです……よくわかりませんが


とにかく金ちゃんのカリスマ性は、不滅です。


70歳でインフルエンザをこじらせ亡くなった尊徳さん。


その後全国の小学校の校庭に銅像が建てられることになります。


つづく


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