みなさん、こんにちは。とうしんです。
今日はちょっと軽めの記事でね。軽い書き方を覚えないと、もう更新頻度はますます遅くなり、長文度がますます上がるという、「誰得?」状態になってしまうので。
お陰様で新著「ワンネスは2つある」、無事に2/27アマゾンより発売開始、一般書店には翌日2/28から並ぶようになりました!
(※東京神田の某書店にて撮影)
発売以来、ありがたい感想を沢山頂いております。まぁ、発売後すぐにゲットして完読して下さる方は、みんなコアな人というか、通ばっかりですから、感想もがっつりディープなものが多いです。
そんな中で、本文にも一箇所登場してくる哲学者・甲田烈さんから、大変ありがたい感想というかレビューを頂きました。アマゾンのレビューにも載せられた様ですが、許可を得て私のブログにも掲載しておきますね。
ただせっかく軽い記事の回にしようと思ったのに、甲田さんのレビューを載せてしまうといつも通りのヘビー級記事になってしまいますが……それぐらい長文ではありますが、「ワンネスは2つある」の要点をほぼ余すところなく見事に押さえた素晴らしいレビューとなっております。
まだの方は是非ともご一読ください。
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(甲田烈さんによる「ワンネスは2つある」のレビュー)
「名づけ得ぬものへの愛として」 甲田烈
3月に入手してから3回読み返している。一回目を読んでから、間をあけようと思っていたのに2回目、そして3度目は熟読。350ページ余あるが、長さを感じさせない。
著者は「プロローグ」で、自らが代替医療にのめり込み、アトピー性皮膚炎とヘルペスを併発して病院に担ぎ込まれるという経験から、ある気づきについて語り始める。それは「多数下部が少数上部を支えているという「ピラミッド構造」(p,43)。歴史的な宗教も、新々宗教も、自己啓発も、ネットワークビジネスもみな同じ。そうしたことの背景に、著者は人類史に匹敵する「一神教精神の歴史」(p,51)を見出す。
第1部は、主にシュメール文明を発祥とするこの「一神教精神」の歴史と、2013年以降の「別のもの」への方向性が辿られる。それは「普遍的精神の元にみな平等」という「一君万民」(p,84)の思想が挫折を重ねていく歴史となっている。一神教の本質は「神の名を唱えてはならない」、つまり偶像崇拝をしないということがポイントなのだが、ユダヤ教は直線的救済史観の下、終末論的メシア思想を生み出し、それを批判したキリスト教も、戦争と差別を世界的に引き起こし、イスラム教もまた、他宗教に対する排他性に陥ってしまう。それでは科学主義はどうかといえば、行き過ぎたそれは地球規模の戦争と自然破壊をもたらす。そこで「人間」そのものの限界にいきあたる。そこから見えてくるのは「歪曲された空間認識」(p,116)であり、そこから「変換人型ゲシュタルト」の方向性が示される。
第2部は、ヌーソロジーの知見に基づいて壮大な6500年周期の宇宙輪廻のサイクルが示されたあと、ふたたび西洋精神史が反復される。それは著者の歩みと歴史的な遷移が絶妙に重ね描きされているものだが、その各々は前・従・脱・反・超キリスト期と分節されている。おおまかに趣旨をたどれば、「前」は「死とは何か?」「宇宙はどうなっているのか?」という問いが起こる段階。そして著者は問いの解決を求めてキリスト教の門をたたき、これを従・キリストという中世に否定している。さらに著者は皮膚炎治療を契機に「アトピービジネス」のピラミッド構造から離れ、一時ビジネスに没頭する。これが歴史的には「近代」に相当するという。そして現代は「反」キリスト期。すべてが相対化されるニヒリズムの時代である。
このニヒリズムの超克、ということが本書を通した隠されたテーマの一つと言ってよい。そこで著者はヌーソロジーに出会うのである。
こうした著者の精神史と歴史の重ね描きは、一見すると恣意的に見えるだろう。しかしそれは「時間のフラクタル」(p,156)という骨太な構想に支えられている。たとえば人間が体内で受精卵から誕生までの間に、微生物から哺乳類へと生物進化を反復するように、新しいものを生み出す時には、過去のプロセスを一気に短縮して反復するのだと著者は述べる。
そして第3部では、いよいよそのヌーソロジーの著者による継承・展開が一気に解き明かされる。この第3部に関しては、丁寧に体感と照らし合わせながら読み進めた方がよい。
こうした試みは実はすでに当のヌーソロジーの提唱者である半田広宣氏の著書『2013: 人類が神を見る日ーアドバンスト・エディション』における第2部「トランスフォーマー型ゲシュタルト: ベーシック・プログラム」で試みられたことだった。補い合う内容なので併読をすすめたいが、半田氏のそれがやや構造論を削り出すことに留意されているのに対して、著者のそれは心理臨床におけるワークブックのような体裁をとっている。
ただし、そこで行うのは心の中を心理臨床や宗教のように觀照していくことではない。身をもって「空間認識」を編み変えていくことだ。
しかし、強靭な理路がそうであるように、しかけはいたってシンプルである。要点は「空間認識と意識進化を結ぶ概念」(p,229)としての対称性にある。この対称性の本質は回転にあり、回転によってそれまでの対立は解消される。
たとえば著者があげているシンプルな例では、A とBという矢印が逆方向を向いている一本の直線を描いてみる。このとき、AとBとの対立は直線上では解消しない。しかし、この直線を回転させると2次元平面の円になり、対立は解消される。さらに右周りと左周りの対立は3次元の「球」として解消され、「球」における空間の内と外の対立はメビウスの帯を二つ重ねたような「メビウス球」において解消される。
第3部の論点は濃厚で多岐にわたるが、ここでも著者は回転対称性を歴史的遷移と重ね合せる。空間の上・下が固定されていた二次元対称性の時代→上下方向が自由になったことで、左右も自由となった三次元対称性の時代→そして空間の内外・物質と精神の対立が解消される太極図のマークに象徴されるようなメビウス球、四次元対称性の時代、そして来るものとしての自己と他者の対立の解消である二つのメビウス球にあらわされる五次元対称性の時代。
全体を通して、評者から見て興味ふかいポイントは2つある。そのの1つは、三次元対称性の時代において、未だ達成されていない課題として「霊的基本的人権」(p,246)が強調されている点である。基本的人権は歴史において達成されてきたとしても、霊的には「階級制度」が残り、それは神の代理人のシステムや、霊的ハイアラーキーといったまさにピラミッド構造を前提にしている。そのことに対する異議申し立てとして、著者がイエスと親鸞をあげているところは目をひく。
そしてこれが第2のポイントだが、全体を通して、実は著者がとても自らのキリスト教との関わりを大切にしていることが伝わってくることだ。
それは、「名づけてはならないものへの愛」と言い換えてもよい。
たとえば著者は「真実を求める人間の精神活動のほとんどが、いつのまにか「偽りの一神教精神」に陥っているのではなないでしょうか」(p,113)と問題提起をし、四次元対称性の時代に宗教があるとしたら、「そしてその神は、かのイスラエルの神の如く、「その名を語ってはいけない神」であり、「I am that I am」であり、決して他の人に伝えてはいけない宗教である筈です。それが「自分教」です」(p,307)と述べている。
このように書いたからと言って、ヌーソロジーの価値が減ずるということではない。宗教を超えるとは、どこまでもその宗教を内在的に突破するようなところがある。それに比すれば外在的な批判は意味をなさない。なぜなら、外側から批判するだけの論じ手がそれをえてして生きていないからだ。そうした意味で、著者は一人のキリスト者として生き抜き、その突破において独自の「空間認識」論に到達していると言っていい。本書は、まぎれもないキリス者の書なのだ。
しかし「神」とは、その名を語ってはならず、他の人に伝えてはならない筈ではなかったのか。そのとおりである。それゆえに著者は、彼が出会った「名づけえぬ」ものへと、決して著者の真似はできない形で読者を誘おうとする。その姿勢は、どこまでも誠実なものだ。
すでにヌーソロジーに興味のある方や、精神世界やスピリチュアリティのみならず、西洋の精神史に関心のある方、そして「人間はどこからきてどこへいくのか」と真摯に問いかけている「別のもの」たちに、広く一読を勧めたい。
(転載終了)
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甲田さん、ありがとうございました。
これからもウレシイ感想や為になるご意見などを頂戴した時は、ブログでも紹介して行きたいと思います。
ということで、本日のブログはこのあたりで。
※前回の長文記事「相対性と双対性について」の続きは、今月中にちゃんとあげますからね。
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