このセリフは、ドストエフスキーの「罪と罰」で出てきます。
少し前に NHKの『100分で名著』で ドストエフスキーの「罪と罰」を紹介&解説していました。
「大地にひざまつきなさい」
主人公のラフコーリニコフに、売春婦として生きる少女ソーニャが言った言葉です。
ソーニャは、ラフコーリニコフにとって、彼がどこか 自分と通じるものを感じながら心のよりどころにしていた少女でした。
「罪と罰」は
罪を犯したラフコーリニコフの葛藤と心の動き、、たったの7日間をとてもダイナミックに描写している小説であることを、この前初めてテレビ番組で知りました。
それも とてもリアルに感じるのは
罪を告白したときのラフコーリニコフは、ソーニャが自分と一緒に罪を隠して逃げようと言ってくれるような、、、そんな甘さも持っていました。
そこで
「大地にひざまづきなさい」 とまっすぐに言ったソーニャの言葉は、すぐに彼の心は打たなかった
それでも
その言葉は彼の奥深いところに静かに響いていて、
ふとした瞬間に
涙とともに 彼は歩いていた通りに崩れ落ちていた
「大地にひざまつきなさい」
その言葉通りに。
その後、彼は自首します。
「物語」はいつも、ここで終わり。
心を打つ言葉が、衝撃的な真っ赤な夕日が、美しい大自然が、感動的な親子の物語が、、、 人の心を動かし、物語は展開していって、今までの苦労が嘘のように動き出し、整っていく。
でも、人間が生きるってそうでもない
むしろ そうじゃない
人生の物語は たんたんと続いていく
どれほど感動することがあっても また何か山や谷がやってきては過ぎていく、、、
「罪と罰」のリアルさは、、
ラフコーリニコフが、改心して自首をしたように描かれた後も、シベリア流刑地で彼が「やっぱり嘘をつきとおせばよかったんじゃないか、、、」とか、あのときこうしていたら、、とか、いろいろ葛藤するところまで描かれているところです。
これを番組で解説者は 「ゆりもどし」と呼んでいました。
この「ゆりもどし」を彼は8年も体験して、、 その間もソーニャとの関わりを続けながら、彼はこの「ゆりもどし」から抜けていきます。
解説者の先生は、 「ここに人との関わりが欠かせない」 と言っていました。
その通りだな~ってしみじみ思いました
自分自身の実体験、そして自分の今までの人生を通して出会い関わってきた人達、そしてセラピーを通して様々な方と関わっていても、この「気づき」から更なる深い自分へのアクセス、そして「ゆりもどし」を体験することが 「全体に繋がる普遍的な I (わたし)」を思い出し強めていくこと、、
これが 「自分の中心を確立していく」 「自立していく」 こと
「ゆりもどし」は 大切な課程であることを セラピーを始めてからは一層 深く体感しています。
「意識の架け替えワーク」という 新しいメニューを始めようと思ったとき、この番組を見ました。
わたしの中で、そうそう、 それが 「人間としてあることの何か、、そういう味気ある何か、、」
そう思いました。
「意識の架け替えワーク」は、以前この記事でチラッと書いた新しいメニューのひとつです。
芋づるしきに必要なことって出てくるね
以前この記事を書いた後、既にモニターさんのお問い合わせをいただきました。
近々、モニター募集します
その際にまたワーク内容詳しく紹介します