アメリカ50州を読む地図
私、何が苦手と言っても[地理]ほど苦手なものはない。
高校生活は今振り返っても、これと言ってたいした思い出もなく、ひたすら本を読んでいた記憶しかない。
しかし、唯一の例外は高1のとき必死で[地理]の勉強をしたこと。
私が生まれ育ったのは福岡県だが、大分県に隣接したド田舎。
高校まで遠くて、行く学校は偏差値より家からの距離で決めた。
だから、高校入試も行く公立学校1校しか受けていない。
「一応私立も受けてみたいのですが」
中学の担任にそう言うと
「受験料がもったいなか。それに、受験に行くのも時間がかかるやろうが」
あっさり、拒否された。
そんなレベルの学校だったので、定期試験の勉強などしなくても、居心地のいいポジションに居れた。
そうそう、学校自体「居心地のいい」学校だった。
戦前は、旧制中学だった所が、戦後新制高校となった学校。
1つ隣のバス停のそばに、元女学校から新制高校になった学校があり、家政科もあった。
そういう関係か、私が行った学校は男子が圧倒的に多く、お隣の学校は女子が多かった。
先生も男の先生が殆どで、高3の時理科に大学でたての若い女の先生が入ってくるまで、音楽と家庭科、それに養護の先生3人だけが女性だった。
高校時代の私は、髪を長く伸ばしていた。
校則では[肩につく長さになったら結ぶこと]となっていたが、無視していた。
おしゃれというより、めんどくさかっただけの気がする。
先生たちも、別に気にしていなかった。
音楽の先生が1度だけ、用事があって職員室にいた私に注意したことがある。
「tomatomaさん、黒髪は女の命。貴方の髪は長くて素敵だわ。
でも、学校では結びましょうね」
そう言いながら、他の男の先生に援護射撃を求めたが、全く無視された。
どうやら、他の先生は私の髪が素敵とも、結ぶ必要があるとも感じていなかったらしい。
お陰で、私同様、私の髪型に注意を払う人はいなくなった。
一事が万事その調子で、校則などあって無きがごとくだったが、制服を改造しようとするおしゃれな女の子もいなかった。
隣の元女学校と何故か制服が全く同じだったが、「見ただけでどちらの学校かわかる」と世間で言われていた。
もちろん、垢抜けているのがお隣の高校の女子!
そんな風に校則はゆるく、周りはドンクサイ友達ばかりなうえに、勉強はレベルが低くて楽勝。
私が全エネルギーを読書につぎ込める、絶好の環境にあった。
定期試験の勉強など、全くやる必要なく高得点が取れた。
しかし、例外が。
[地理]
全くダメ!
2週間前から試験勉強を始めていたが、平均点を取るのがやっとだった。
先生もひどかった。
「しゃべるのが苦手」という最初の授業の自己紹介が、一番饒舌だったと後に判明するほどしゃべらなかった。
いつも、授業時間一杯黒板に書き続け、生徒は黙ってそれをノートに写していった。
試験勉強もそのノートを中心にやれば良さそうだが、ノートした内容とテストは大幅に違っていた。
私には、そう感じられた。
他の教科は授業さえ聞いていれば、楽々覚えられたが、[地理]はそんな風でノートだけが頼り。
しかも、教科書に沿っているとは思えない内容。
自学自習。
私にとって、まさに[地理]は独学だった。
他の人もさぞや点が悪いだろうと思うのだが、そんなことは全くなくて、他教科に比例したそれぞれの点を取っていた。
私が必死で[地理]だけを勉強しても、なんとか平均点をとるのが自己ベストだった。
そんな私の虚しい努力を、先生は察知してなかったようで、テストの後にいつも
「今回は点が悪かったけど、どうしたの?風邪でもひいていたの?」
と言われた。
年間6回あった定期試験のたびごとに。
1度もいい点を取ったことがなかったのだから、[地理]が出来ない生徒として、そっとしておいて欲しかった。
せめて、「今回は・・・、風邪?」のセリフだけでも変えて欲しかった。
そこまで[地理]がだめな私。
当然地図も覚えられない。
九州はなんとかわかる。
四国となると、県が4つあることは知っているが「高知はどこ?」と聞かれると全く自信がない。
話はちょっとそれるけれど、全国的発想でみるとどうやら「九州は1つ」らしい。
「九州は1つ」は、九州の政治・経済人にとって合言葉であり、悲願。
九州をトータルで運営し、売り込みたいけれど、各県の利害関係が相反することが多い。
実現せず、スローガンに終っているのが現状。
しかし、関東、関西に進出した福岡人のボヤキを聞いてみると
「田舎はどこ?」って聞かれるのが、一番頭にくる。
「ここより、福岡の方が都会だよ」と言い返したくなる。
ぐっと我慢して「福岡です」と答えると
「ああ、九州」
他の人達には、福岡も佐賀も一緒。「九州は1つ」なんだよ(怒)
しかし、そんな人たちも白地図を出して、「どこが福岡?どこが佐賀?」と聞かれれば、正確に答えるはずだ。
その点、北海道は控えめでなかなかいい!
広さ的には、1都市が1県分ぐらいある。
人口が足りなければ、動物を数に入れればいい。
「県にして欲しい」と言っても誰にも止める権利はないのに、「北海道」と言えば全てを許してくれる。
そう、日本でもこの有様なのだから、アメリカの州など私を罠にかける悪魔のたくらみとしか思えない。
英米のサスペンスが好きな私。
州の特徴がテーマになっているような作品も多い。
私が地図を見たところで、何の予備知識にもならない、
そこで登場するのが
『アメリカ50州を読む地図』(浅井信雄・新潮文庫)
各州の歴史、人口比率、特徴、支持政党、日本との関係、果ては出身有名人まで、ありとあらゆることが書き込んである。
単なるデータではなく、読み物として面白く書かれている。
初めて読んだのは8年前だが、『私のこの一冊』と呼べるぐらいの愛読書だ。
最近では音楽にも利用している。
1州が1国に当るぐらい広く地域差のあるアメリカの州。
生まれる音楽も、独自の土壌を持っている。
音楽を聴きながらこの本を読み返すと、理解がさらに深まる。
浅井信雄さんの本では『民族世界地図』(新潮文庫)も秀作。
巻頭の序で
[「民族」を定義するむずかしさ
民族について考えたり、論じたりしていて、いつも「酸素不足の中で動き回るような息苦しさ」を覚える。
(中略)その原因はわかっている。民族そのものが捉えどころのない存在であるからだ]
と語っている。
私は[地理]は苦手だったが、世界史は大得意。
それでも、民族を考えると確かに難しい。
歴史、言語、人種、宗教、政治などが融合して、民族と言う捉えどころのない、あやふやだが闘争の根拠となってしまうものを創り出している。
『民族世界地図』は私の中で断片的だったものを統合し、地図入りで解説してくれた。
歴史書、政治論を読むような手ごたえのある、これもお勧めの1冊。
2004年に『民族世界地図 最新版』が新潮社から出ている。