今思えば。
なぁ太の状態に、だれよりも早く気づいていたのはコン吉だった。
コン吉はいつもなぁ太の傍に寄り添い。
オモチャを譲ったり、自分のおやつをあげたり。
夜の就寝時も。
母と寝たがる兄のため、コン吉はパパと、もしくは一人で眠る。
一歳児らしからぬ気遣い。
その気遣いを周りは褒め称え。
余計にすねるなぁ太と、それを見つめるコン吉。
あの時期。
なぁ太だけがつらい思いをしたんじゃない。
それに気づいていたコン吉も、同様の思いでいたのだ。
それでも、成長と共になぁ太と張り合うようになったコン吉。
ケンカも一著前にするようになったし、譲れないものも出来てきた。
保育園で揉まれている彼もまた、彼なりに戦っているのだろう。
なぁ太ほど出さないだけで。
でも、なぁ太ほど見えないからと言って、放っておいてもいいわけではないのだと思う。
義母が話してくれたことがある。
なぁ太と同じような子供だった幼少期の長男マサオ。
それはもう大変だたったそうだ。
それに比べ、手がかからなかった次男。
その次男が小学生高学年のある日。
突然学校に行きたくない…と言った。
そこで義母は思ったそうだ。
「あぁ、ラクだからと今まで放っておいたツケがきたな…」と。
そして義母は、お仕事を数日休んでとことん次男と向き合い。
行きたくない…とごねた次男は、数日後にはいつものように学校に通うようになったという。
義母は言った。
「手がかかる子も、かからない子も、同じなのよ。
この子はラクで手がかからないわ~と思っても。
成長段階の予想もしないところで手がかかるようになってるものなのよ。
突然どうして?と思うかもしれないけれど。
我慢を重ねてきた彼のことを思えば、これは起きるべくして起きたことなのよ。
でもそこでちゃんと向き合えば、大丈夫。
自分を省みることが出来るなら、大丈夫。
子供はちゃんとまっすぐ育つから。」
正直、今まで義母に対して、母としての劣等感を感じることは多々あった。
どうあがいても、義母みたいな母にはなれない…と落ち込むこともあった。
そんな自信のないトマコに、義母はいつも「お母さんが一番なのよ」と言い。
一歩引いて支え、時に励ましてもくれた。
トマコが盲目的になって気付かない時にだけ、注意してくれたりもした。
だから今は。
違う人間なのだから、違っていてあたり前。
義母のいいところをなるべく吸収して、自分なりの母親になれたらそれでいいのかな、と思うようになった。
育児って本当に自分との戦い。
私も義母のように、子供の成長を見て自分を省みれるような母でいたいと思う。
自分が母なのだと胸を張って。
そして、子は親をうつす鏡。
そのことを忘れずに。
長く続いた話。
やっと今日で完結です。
まとめるのに時間かかったー(汗
人に伝えるのって難しいですね。
さて。
これが私が4・5月に体験した怒濤の出来事でした。
まだまだ終わってはいませんが。
きっとこれからも続く課題だろうと思います。
自分の気持ちの整理のためにも、書かせて頂きました。
それがだれかの子育てのヒントになったならば、良かったなと思います。
長い間お付き合い下さり、本当にありがとうございました。
明日からはたまりにたまったドタバタ劇を展開しようと思います。
今の我が家はネタの宝庫です(笑
ではでは、明日からのトマコ道もぜひともよろしくお願いいたします。
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