武士の心 | 精神世界の鉄人のブログ

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UFOやチャネリング、霊、輪廻、超能力などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

新しい読者も、たくさん増えたので、過去のブログで、人気のあったものを、また、再掲載させていただきます。

「武士(もののふ)の心」という題のブログです。




「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」

by 剛柔流空手道開祖 宮城長順 遺訓


 

小学校の時に、よく、思ったことですが、クラスの男の子同士で、取っ組み合いの喧嘩に、なった場合、女性の先生に、特に多かったのですが、詳しい状況など、まったく、わからず、また、双方の言い分も、聞かずに、

「あなたち、喧嘩は、やめなさい!」

と言って、すぐに、止めに入り、その後、

「二人とも、悪かった。喧嘩両成敗」

という結論に、すぐにしていまうというケースが、多かった思い出があります。

喧嘩が、始まる前から、見ていたら、だいたい、

「誰が、一番悪いのか?」

「何が、原因なのか?」

なども、周囲の生徒同士は、わかります。

それを、先生は、

「喧嘩は、悪いことだ!」

という固定観念から、すぐに、

「喧嘩両成敗」

に、もっていくやり方は、不自然で、かえって、理不尽に思えました。



あと、子供ながらに、気がついたのは、喧嘩にも、大きくわけて、5種類の喧嘩が、あったような気がしました。

自分の側から見ての話ですが。

○絶対にやってはいけない喧嘩 

たとえば、自分よりも、はるかに弱い相手、無抵抗の相手、病気の人などに、自分から、喧嘩を、ふっかける行為。

○やらないほうがいい喧嘩

理不尽ないいがかりをつけられて、喧嘩を売られた場合など。
逃げることによって、回避できる余地が、残っている場合。

○やっても、やらなくても、どっちでもいい喧嘩

自分のプライドが、傷つけられたりした時。
黙って、我慢すれば、その場は、治まる場合。
ただ、喧嘩をすることによって、解決するかもしれない可能性が、感じられる状況。
我慢しても喧嘩しても、どちらでも、いいような状況ですね。

○やったほうがいい喧嘩

自分の親兄弟、配偶者、子供などの家族が、侮辱されたり、馬鹿にされた時。

○絶対にやらなくてはいけない喧嘩

自分や自分の愛する家族が、命の危険にさらされた時。
たとえば、家に、強盗が、入ってきた時や恋人が、襲われそうになり、逃げる余地が、なくなった状況の時。



戦争にも、喧嘩同様に、上記の5種類が、あるような気がします。

たとえば、丸腰で、平和的な行進をしている無抵抗の人間を、無差別に、虐殺したりするのは、仮に、国家の命令だったとしても、絶対に、やってはいけない戦闘なのです。

逆に、もしも、目の前で、自分の家族や友人が、虐殺されている場合は、これは、絶対にやらなくてはいけない戦闘モードに、入ったほうがいいと、思うのです。

これは、難しい問題なので、答えはないと思います。

でも、もし、自分の家族が、目の前で、拷問を受けたり、虐殺されそうであれば、絶対に、私は、その時は、戦います。

それが、「宇宙の法則」など、関係なく、「人間の良心」だと、思うからです。

とりえず、目の前の敵を、やっつけて、家族を救う。

それから、倒した敵のことや哲学的な探求などは、落ち着いてから、じっくり、考える。

これが、人間としての、ごく当たり前の行為だと、思います。

ガンジーなどが、唱えた、「非暴力主義」などは、素晴らしい思想だと、思います。

ただ、これは、理想ではありますが、実際には、これが、当てはまらない状況も、世界には、たくさんあるような気がします。



自分自身も、今回の人生は、46年目になろうとしています。

子供のころは、喧嘩したりしましたが、23歳をすぎてからは、なるべく、喧嘩は、やらないように、してきました。

それは、18歳から始め、22歳くらいまで、やった、「空手」からも、大きな影響を、うけたような気がします。

沖縄の空手だったのですが、「剛柔流」という流派でした。

これは、冒頭の宮城長順先生が、体系化した空手でした。

以前にも、書きましたが、この長順先生は、私の母方の曽祖父でも、あります。

最近では、ジャッキー・チェンが、リメイク版で、主演していますが、もともとの映画、「ベストキッド」の中に、沖縄出身の空手家、「ミスター・ミヤギ」という人物がでてきますが、この人物のモデルでもあります。

この長順先生は、私の祖母の父だったのですが、祖母から、いろいろな武勇伝や怪力話を、よく、聞きました。

子供のころ、一番、聞いて驚いたのは、祖母が、銭湯で、見せてもらったそうですが、空手の型をしながら、睾丸を、身体の中に、腹筋の力で、埋めて見せることができたそうです。

ほかにも、牛の肉を、凄まじい握力で、握ってちぎり取った話など、興味深い話が、たくさんありました。

この長順先生は、当時の沖縄の人たちから、「ブサー・マーグスク(武士の宮城)」と、呼ばれていたそうです。

本当の「武士(もののふ)」の心をもった、「武道家」だったようです。

沖縄に住んでいる方は、那覇市の那覇商業高校の隣に、松山公園という場所があり、そこの公園の中に、宮城長順先生の石碑が、建っているので、いつか、時間があったら、見てみてもいいと思います。

20歳くらいのころ、その石碑の除幕式があり、実は、ひ孫である、私が、幕を開けました。

大勢の人の見ている前で、とても、誇らしかった思い出があります。

ただ、先祖に、こういう偉人がいると、心理的に、プレッシャーになるというのも、事実です。

「よし、自分も、ひいおじいさんに、負けないような男になるぞ!」

こう思った記憶が、あります。



「武」という文字は、

「戈を、止める」

という意味だそうです。

「戈」というのは、「矛(鉾)」のことです。

「槍」や「銛」の意味も、あるみたいですね。

要するに、「武器」です。

つまり、

「武とは、理不尽な暴力や権力を、止める行為」

という意味が、込められているそうです。

だから、「格闘技」と「武道」は、違うのです。

「格闘技」が、どちらかというと、ボクシングやレスリングのように、一定のルールのもとで、公平に闘い、技や勝敗を競うことに対し、「武道」は、闘うことが、目的ではなく、あくまでも、無法者や無礼者などの理不尽な横暴や暴力を、止めるための心構えや技を、磨くための道なのです。

自分や社会を、よくしていこうとする道だと、言ってもいいですね。

だから、空手などの武道では、昔から、

「空手に、先手なし」

という言葉があるのです。

「なるべく、ギリギリのところまでは、争いごとは、避けるようにする。そして、自分からは、絶対、喧嘩など、吹っかけない。だが、いざ、闘わなければいけない状況になったら、なるべく、自分も相手も、被害を、最小限にするようなかたちで、遺恨を残さないように、すみやかに、戦いを終わらせる。そのためには、一撃必殺の技を、普段から、身に着けるように、稽古する。ただ、その技は、一生に一度、使うことが、あるかどうかである。使わないに、こしたことはない。それを、一度も使わないのが、いい人生である」

こういうニュアンスの意味だと、思います。

格闘技が、勝負に勝つことを、目的に、訓練するのに対し、武道は、そもそも、勝負自体を、人間の哀しい行為だと、考えるものなのだそうです。

だから、もし、勝負で勝っても、ボクシングのように、

「アイ アム ア チャンピオ~ン!」

などと、ガッツポーズなどして、叫ばずに、負けた相手にも、礼をして、しっかりと礼儀をつくし、もし、相手が、亡くなった場合も、供養もするというのが、武道なのです。

自分が、空手を、やっていたころは、ちょうど、こういう考えで、稽古していました。

空手道場を、辞めて、パワーリフティングの選手になってからも、やはり、自分は、どこか、こういう武道的な気持ちを、持ちながら、練習していました。

今でも、スポーツや格闘技なども、大好きですが、やはり、「武道」という言葉には、どこか、特別な尊敬や哀愁を、感じます。



宮城長順先生については、祖母から、いろいろ話は、聴いていましたが、書籍などの記録には、特別に豪快な武勇伝は、残っていません。

若いころは、少し、ムチャをやったり、暴れたりしたこともあるみたいですが、武道家として、名前が売れてからは、喧嘩をしたりしたことが、ほとんど、なかったみたいです。

ただ、長順先生の孫弟子に、極真空手の創始者、大山倍達などの達人がいることなどからも、相当な達人だったことは、予想がつきます。

生前は、その強さから、「拳聖」などとも、呼ばれていたそうです。

考えてみたら、若いころはともかく、武道家としてある程度の立場になったら、くだらない喧嘩などしないのが、本来の姿だと思います。

武道家で、武勇伝が、たくさん残っているということは、もしかしたら、それだけ、無益な争いが、多かったということではないでしょうか?

たとえば、居酒屋で、酔っぱらったヤクザに絡まれても、このヤクザをと喧嘩をして、やっつけるのは、同じようなチンピラだと思います。

格闘技の選手だったら、一発ぶん殴って、終りにするかもしれません。

ただ、これが、武道家だったら、すぐに、お辞儀をして、お詫びをして、その場から、すみやかに、立ち去るでしょう。

または、ニコニコ笑いながら、相手にも、周囲にも、わからないように、痛くないように、やさしく、技をかけて、眠らせるかもしれません。

ヤクザを、ぶん殴って、やっつけたら、武勇伝が残り、周囲から、注目されたり、自慢ができるかもしれませんが、お詫びをして、その場から、立ち去れば、目立たないし、武勇伝は、残りません。

でも、本当の武道の達人は、こういう目立たない行為が、できる人たちばかりだったと思います。

さらに、本当に賢い、武道家だったら、そもそも、そのようなヤクザが、絡んでくるような居酒屋には、行かないと思います。

少し、高くても、上品で、礼儀をわきまえている人たちが集まるような店で、お酒を、飲むかもしれません。

もしくは、酒場など行かずに、家で、奥さんや娘と晩酌するかも、しれません。

もっと、凄い達人になると、健康に悪いと、思ったら、お酒そのものを、意志力で、やめてしまうかもしれません。

こういう地味な強さは、わかりにくのです。

でも、私は、こういう強さに、憧れるし、これが、本当の強さだと、思うのです。

冒頭の長順先生の

「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」

というのは、弟子たちへの最後の遺訓だそうですが、本当に、それが、人間の生き方の理想だと、思います。

祖母から聴いた話によると、長順先生は、空手の試合や稽古よりも、気をつけていたのは、なんと、「戸締り」だったそうです。

空手そのものよりも、家の戸締りに、一番、注意していたそうです。

おそらく、当時、

「長順先生を、負かして、有名になっってやろう!」

という喧嘩自慢や腕自慢が、たくさんいたためだと、思われます。

そういう無益な争いを避けるため、家族に危害が及ばないために、一番気を配っていたのかもしれません。

これが、「武道」だと思います。

臆病さから逃げるのではなく、あくまでも、無益な争いは、その3歩くらい手前で、止める。

これができる人が、武道の達人なのだと思います。

昔からの諺でも、

「君子は、危うきに、近寄らず」

と言いますね。

自分も、パワーリフティングを、やっていた頃、武道家では、なかったのですが、いつも、「武道」の心構えが、頭から、離れなかったです。

自分の場合は、

「なるべく、人間関係で、もめごとが起こっても、強い腕っ節で、解決しないようにする。できるだけ、穏やかな話し合いで、解決するようにする」

こういうこだわりが、ありました。

なんか、一番得意な腕力で、問題を、解決するのは、とても、恥ずかしいことだという意識が、どこかで、あったのです。

「武道」というものを、別の言葉で、言い換えると、

「美学をもって、生きる生き方」

と言っても、いいかもしれませんね。

「ダンディズムのある人生」

と、言ってもいいかな?



国で考えたみた場合、世界中のほとんどの国は、悲しい事に、まだ、「チンピラ」の段階です。

発展途上国のほとんどは、「チンピラ」か、「腕自慢」や「喧嘩自慢」です。

アメリカやヨーロッパなどの先進国は、「格闘家」のような気がします。

そういう中、日本という国は、唯一、世界でも、「武道家」の国だと、思います。

憲法第九条などの平和憲法は、「武道家の精神」を、見事に表しています。

いろいろ改善点も、多いかもしれませんが、これは、武道家の心構えです。

よく、否定的な意見で、

「口先だけで、平和が、守れるか?」

という意見を、聞きますが、そうではなく、憲法第九条というのは、

「口先だけで、平和を、守ってみせる!」

という決意の表現なのだと、思います。

逆に言えば、口先だけで、平和を守るには、よっぽど強くなくては、難しいということです。

あと、ずば抜けた賢さも、同時に、必要になってきます。

これは、推測ですが、日本という国は、戦後、67年間、

「アメリカの属国だ! いいなりだ! 情けない国だ!」

と国民から、馬鹿にされながらも、67年間も、直接日本の土地を、戦場にしなかったり、他国でも直接の戦闘を、しなかったことは、もっと、高く評価しても、いいのではないでしょうか?

たしかに、情けなさすぎる一面もありますが、それは、部分的なもので、もしかしたら、日本は、居酒屋で、ヤクザから、喧嘩を、吹っかけられても、謝って、潔く、その場を、立ち去るような武道家の姿勢を、67年間、やっていたのかも、しれません。

ただ、この強さは、わかりにくいです。

武勇伝も、残りません。

もしかしたら、戦争が起こりそうな、3歩くらい前で、くい止めていたのかもしれませんが、地味な動きなので、歴史にも、残らないでしょう。

この日本の姿勢や強さに、世界中が気がついて、感動するのは、もしかしたら、100年後の22世紀になってからかも、しれません。




さて、ここで、私が、これまでの人生の中で、たくさんの人と、出会ってきましたが、

「この人は、本当の武士の心をもった人物だ!」

と思った人物について、書いてみようと思います。

沖縄で、大学1年生の夏に、大学の体育館で、ロウさんとコウさんという二人の台湾人と出会い、二人から、パワーリフティングを、教えてもらいました。

二人とも、日本語が、ペラペラでした。

「バーベルが、大好き」

という共通の価値観から、すぐに、打ち解け、よく、一緒に酒を飲んだりして、遊びました。

二人とも親しかったのですが、特に、ロウさんと、仲良しになりました。

数学者で大道芸人のピーター・フランクルという方が、以前に、テレビで、こう言っていました。

「今、世界中で、国際人が、求められ、日本でも、国際人になりたいと思う、若者は、たくさんいるみたいですが、私が、思うに、国際人というのは、英語などの外国語が、流暢にしゃべれたり、たくさんの国に、旅行に行く人では、ありません。その人が、一人でいいから、外国人と、心底語り合える、親友になれたら、その瞬間から、その人は、国際人です」

私にとっての、最初の外国人の親友は、このロウさんでした。



ロウさんとの出会いから、約3年後…。

1990年3月。

23歳の時の話です。

大学3年生の春休みに、生まれて初めての海外旅行に、行きました。

場所は、台湾でした。

ロウさんから、招待されて、ロウさんの家で、約2週間、過ごしました。

言葉が、通じなかったので、いろいろと、大変なハプニングにも、あいましたが、とっても楽しい体験でした。

ロウさんの家に着いた時、まっさきに、お母さまを、紹介していただきました。

「よく、いらっしゃいました。沖縄では、息子が、お世話になりました。ゆっくり、楽しんでいってくださいね」

このお母さまも、日本語が、ペラペラでした。

それも、そのはず、台湾で、旅行会社を、長年経営していて、特に、「身近な外国」ということで、「沖縄~台湾」の間を、ツアーの目玉にしていて、大成功しているとのことでした。

素晴らしい日本語だったのですが、沖縄の方言も、ペラペラでした。

しかも、沖縄の人でも、しらないような方言の敬語なども、知っていました。

もちろん、歴史などについても、とても深い知識をもっていました。

美人で、上品で教養があり、素敵な女性でした。



台湾では、ビックリの連続でした。台北市に、ロウさんのマンションが、あったのですが、家族や親戚、友人たちで、集まって、

「今日のランチは、チキンラーメンにしよう!」

と言ったあとに、ベランダから、生きている鶏を、持ってきて、私の目の前で、その鶏の首を、ボキッと折り、殺してから、鍋にいれて焼いて、それを、ラーメンの上に、置きながら、皆で、ナイフで切って、食べる豪快な食べ方には、驚きました。(笑)

それから、朝に、近くの公園に行って、老人たちが、太極拳をやっている姿を、見ながら、お茶を飲んだりして、楽しい時間を、過ごしました。

他にも、有名な博物館などに、行ったりもしました。

門番の軍人さんが、瞬きもしないで、立っている姿にも、驚きました。

夜は、ロウさんの友人たちと、皆で、踊りに行ったり、川で、バーベキューをやったりもしました。

同じくらいの若者同士で、かわいい女の子も、一緒だったので、とっても、楽しかったです。

温泉では皆で、入浴せずに、一人づつ、個室で、入浴するのにも、ビックリしました。

台湾の人たちは、皆で一緒に、お風呂にはいるのは、苦手だと聞きました。

ロウさんが、通訳をしてくれたおかげで、同じくらいの歳の外国の若者と、腹を割って、本音で、語り合うという貴重な体験ができました。

若いうちに、こういう体験を、味わったことは、とても、よかったと思っています。

酒を飲みながら、政治のことや経済のこと、戦争のこと、歴史のこと、恋愛のことなど、本当に、深い会話ができました。

よく、言われたのは、

「日本は、いい国だねー。居酒屋で、知らない人同士、殴り合いの喧嘩が、できるんだよね。それは、平和でいい社会の証拠ですよ。台湾なんて、普通のチンピラでも、拳銃をもっているから、怖くて、知らない人同士で、喧嘩なんかできないですよ。日本は、拳銃が、ほとんど出回っていないから、そんなことが、できるんですよ」

これには、ビックリしました。

まったく、考えたこともないような視点だったのです。



台湾には、18歳くらいから、徴兵制が、あるのですが、この徴兵制の話も、興味深い話ばかりでした。

数日間、眠らずに、500キロくらいを、歩かされる訓練がある話なども、聴きました。

「地獄だった…」

という人もいれば、

「楽しかった!」

という人も、いたりして、

「やはり、どんなことも、人によって、感じ方が違うんだな」

と思いました。

ただ、本当に、理不尽なイジメなどもあって、軍隊内では、上官が、部下を、汲み取り式の便所に、身体を、全部埋めて、溺れる寸前までイジメるとか、そういう非人間的なことも、よくあり、頭が、おかしくなってしまう若者もいるという話も、聞きました。

皆で、徴兵時代の思い出を、語っていた時、なにげなく、

「そういえば、ロウさんから、徴兵時代の話、一度も、聞いたこと、なかったんですが、ロウさんの徴兵時代は、どうだったんですか?」

とロウさんに、質問すると、突然、それまで、笑っていたロウさんの顔が、曇りました。

それから、

「トーマさんには、話したことなかったんですが、実は、僕は、徴兵には、行かなかったんですよ…。皆のような軍隊経験は、ないんですよ…」

と、申し訳なさそうに、ボソッと、呟きました。

「へーっ、それは、また、どうしてだったんですか?」

こういう素朴な質問を、してみました。

すると、ロウさんの口からは、意外な話が、でてきました。

「トーマさん、僕の身長、何センチあるか、知っていますか? 145センチくらいですよ。実は、この低い身長は、僕のお母さんが、わざと、僕が、赤ちゃんから子供の頃に、食事を与えないようにして、意図的に、つくった低い身長なんですよ」

どういうことなのか、私が、理解できずに、絶句していると、ロウさんは、話を続けました。

「僕のお母さんは、実は、大の戦争嫌い。軍隊嫌いなのです。本当の平和主義の人なのです。それで、どうしても、自分の息子だけは、軍隊に、いれたくなかったそうです。いろいろ世界情勢を、考えて、台湾の政治が、この先、しばらくは、変わらないと、判断したそうです。そこで、徴兵を免れるのには、身体障害があれば、免れるということに、気がついたそうです。それで、僕に、食事を、与えないようにして、あまり、身長が、伸びないように、育てたんですよ。極端に低い身長は、障害者扱いになるのです」

驚いて、口が、きけなくなってしまいました。

「それで、子供のころから、高校生くらいまで、この身長のことで、お母さんと、毎日、大ゲンカしました。でも、お母さんは、どんなことがあっても、自分の息子を、軍隊にいれて、戦場で、人から殺されるようなまねは、させない。また、自分の息子にも、人殺しも、絶対にさせない。これを、ずっと言っていました」

なんということだろう、ロウさんの身長が、極端に、低いのは、気になってはいましたが、自然に、そうなったのだと、思っていました。

「でもね、トーマさん、20歳くらいになって、友達が、徴兵制で、兵役を経験した話を、聴いたら、ようやく、お母さんの気持ちが、わかりましたよ。やはり、僕のお母さんは、素晴らしいお母さんだったと、今では、誇りに思っています。たしかに、この低い身長のおかげで、10代のころ、女の子にも、モテなくて、寂しかったです。でも、ブルース・リーの身体に、憧れたのが、キッカケですが、パワーリフティングで、身体を鍛える喜びも、知りました。そして、なによりも、このバーベルが縁で、沖縄で、トーマさんたちのような、素晴らしい友人ができました。だから、今では、自分の運命に感謝しています」

ロウさんが、こう言ったあと、もう、何も、言えなくなって、ずっと、下を向いて、いろいろ考えていました。

「世界には、こういう平和運動をしている親子もいるのか… こういう母親もいるのか…」

こう思って、心が、動揺しました。

日本には、こういう親子は、いないと思います。

そうです。

私が、「本当に、武士の心をもった人物」といったのは、このロウさんのお母さまのことです。

個人レベルですが、「戦争」というものを、3歩くらい前で、くい止めようと、必死になって、自分のできる範囲で、戦っていたのですね。

このように、「武士の心」というものは、とても地味なものです。

でも、とても優しくて、強いものです。



今でも、このロウさんお母さまの子育てが、はたして、よかったのか? 悪かったのか? という判断は、できません。

精神世界的な解釈をすれば、ロウさんは、凄く強い魂を、もっていて、それで、そのお母さんの同意のもとに、この世界に、使命をもって、生まれてきたのだろうと、推測できます。

ロウさん親子の平和運動は、小さな活動です。

また、台湾は、いまだに、戦争の脅威に、さらされています。

軍隊も、なくなっていません。

でも、私が、ブログやメルマガを、一度書くと、少なくても、数万人の人が、読むと思います。

このロウさん親子の「小さな平和運動」は、少なくても、これで、数万人の人の心に、届くことになります。

これによって、チョットだけ、世界は、平和な世界への第一歩を、また、踏み出せたと思います。

本当に、チョットだけですが、人間という存在は、この「チョットだけ」のために、人生を、生きているのかもしれません。



私個人からすると、少なくとも、ロウさんが、そういう人生から、身長が低くても、十分やっていける、「パワーリフティング」という競技を選び、それから、沖縄で、私と出会い、私に、パワーリフティングを、教えるという流れに、なったので、私の人生の大恩人だということです。

その後、パワーリフティングの勉強をするために、アメリカに渡って、キネシオロジーというものに、出会ったことからも、やはり、ロウさんとの出会いも、今回の人生の中で、必然だったかなという気がします。

ロウさんとの出会いが、なかったら、この「精神世界の鉄人」というブログも、生まれなかっただろうと、いうことです。



人生って、本当に不思議です。

そして、人と人との縁って、最大の神秘ですね。






<参考>


☆長順先生が、モデルになった映画、「ベストキッド」です。

この中で、ミスター・ミヤギという役で、登場します。

観てない方、ぜひ、観てみてくださいね。


○「ベストキッド(カラテキッド)」

http://www.youtube.com/watch?v=fUJ9_gffP1U&feature=related





PS 私の曽祖父、宮城長順先生です。

強そうでしょう。(笑)

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