ノーモア ミナマタ その18 | TOLOSのブログ

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蒲島知事


熊本県 蒲島郁夫知事参列のもと 慰霊式は続く


今年から 慰霊式実行委員会に患者/遺族代表の方々が加わった


例年、政府代表から順に述べていた「祈りの言葉」


後半だった遺族代表は今回、先頭に順番が変わった


その結果、次の環境大臣との論点、立ち位置の差が鮮明に映ることとなった。


祈りのことば 遺族代表 川本愛一郎 (要旨)


  「父は69歳で病院の牢屋のようなベットで苦しんで死んだ、わかるかな社長!」


  チッソとの直接交渉の場で 私の父は激症で死んだ祖父の無念をぶつけた。


  父は東京のチッソ本社前で1年9ヶ月にわたり座り込み交渉を続けた


  人間の尊厳と生活を1人1人に取り戻す戦いである。


  その激しい交渉がニュースで流れると、水俣の私の家には


  深夜のイヤガラセ電話や「死ね」と書いた葉書が届いた


  留守を守る母は私たち兄妹に寝るとき懐中電灯を握らせた。


  「暴漢が襲ってきたら、この懐中電灯で裏口から逃げなさい」


  家には家宅捜索が2回はいり、父は3回逮捕され、3回とも無罪だった。


  母は「父ちゃん 偉かぞ」と話し、その父はこう言った


  「信念とは、ことあるごとに 意志を表明することだ」


  語り部をしていると こう言われます「長い戦いをしてきたんですね」


  環境大臣は初代環境庁長官から数え 50代目です。


  これからも長い戦いを続けていくのでしょうか


  原田正純先生は住民全員健診を提言されたが 未だ実行されておらず、


  足元に埋まる、水銀まみれの魚を封じ込めたドラム缶3,000本の寿命は50年、


  これからも 第二、第三世代まで長い戦いを続けていかなければならないのでしょうか。


  御霊の前で、私なりの式辞を述べさせていただきました


  私の父も ここに眠っています。



会場は静まりかえる、それに対し 環境大臣がどう答えるのか注目が集まる



祈りのことば 石原環境大臣 (要旨)


  失われた多くの御霊に哀悼の意を表するとともに、患者、御遺族のかたがたが


  長い苦しみを負ってきたことに対し 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


  あらためて 衷心よりお詫びする。


  福島の中学生の作文で


  「教科書のスミの水俣の表現に 数々の悲劇があることを知った」と表現されていた。


  今、不知火海を前に思う 二度と悲劇を繰り返してはならない 


  責任をもって解決に全力をもって取り組み、将来にわたり安心して暮らしていけるよう


  国として 引き続き認定患者の救済と、福祉の向上に努める


  現在、水俣は自然を取り戻し、市民の意識は高く 環境再生モデル都市となった


  水俣水銀条約が採択され、ここ水俣から世界へ再生技術を提供していく


  改めて 亡くなられた御霊に哀悼の意を表し 私の挨拶とさせていただきます。

  (・・・抽象的なことばが続いたので だいぶ省略させていただいた)



今年も官僚の作文そのままのイメージで 心に残るものは無かった。


参列者全員が順番に献花するさい、最前列の国や県の代表者の直前を通る


それなりの地位の方は相応の態度とオーラを感じるものだが


唯一、環境大臣の落ち着きのなさが 印象に残った。 走る人