Another day, Just believe | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

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我々が手にしているのは、時間だけだ。

―バルタザール・グラシアン(1601-1658/スペインの思想家)





狂騒のクリスマス・ウィークも過ぎ去り、2012年最後となる週末を静かに迎えたが、都心には雨が降り注いでいる。思索にふけるには、ちょうどよい時間なのかもしれない。



土曜日は、フランソワ・オゾン監督作『スイミング・プール』(2003/仏)、ターニャ・トッティ出演作『ビューティフル』(2008/豪)、テリー・ギリアム監督作『Dr.パルナサスの鏡』(2009/英)、ニール・ゲイマン原作の映画『コララインとボタンの魔女』(2009/米)、計4本のDVDを鑑賞。ニール・ゲイマン脚本のブルーレイ『ミラーマスク』(2005/英)と、デヴィッド・ボウイが声優を務めた『アーサーとミニモイの不思議な国』(2006/仏)も購入したが、この2本は年明けにでも観てみたい。



本日は、午前は日課であるスポーツジムへ。午後、自宅のBGMに選んだのは、フレンチ・エレクトロ・デュオ、Télépopmusik(テレポップミュージック)のデビューアルバム“genetic world”(2001)だ。



どこか心地良く、不思議な世界に誘(いざな)う、このアルバムを発売当時、繰り返しよく聴いたものだが、今改めて聴いてみると、すごくイイ。或る意味、ビョーク風でもあり、全体的な構成としては、ステファン・ポンポニャックの“ホテル・コスト”シリーズのような仕上がりで、クールだ。
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書棚からは、ギー・ドゥボール著『スぺクタルの社会
情報資本主義批判』(1993)、實重彦(はすみしげひこ/1936-ゴダール マネ フーコー―思考と感性とをめぐる断片的な考察』(2008)を取り出した。そして、俺が10代だった1989年当時に購入した塩野七生(しおの ななみ/1937-)著『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54』も目に留まり、手に取った。




この『男たちへ』という本は、当時10代だった俺には、或る意味、衝撃的な本だったかもしれないが、時が経ち、オトナとなった今、改めて再読してみると、(現在75歳となった)ななみちゃんが愛おしく思えてきて、楽しいエッセイであることを再発見した。





同書には、ジョルジオ・アルマーニをはじめ、デヴィッド・ボウイ、ヴィスコンティ、ダ・ヴィンチ、シェイクスピア、アラン・ドロン、チャーチル、ケネディ、ショーン・コネリーなどなど錚々たる顔ぶれについて触れられているが、彼女があたかも知ったような口調ぶりで語る、ななみちゃん節がとってもキュートであり、可愛いのだ(笑)。




本選びに関しては、俺の場合、基本的に世界的にも傑出した作家の書物しか選ばない傾向にあるが、彼女の著書は、珍しく2冊(小説ではなくエッセイ)も所有しているのだから、善かれ悪かれ、好きな部類の作家なのだろう、きっと。


ところで今、先述したテレポップミュージックの1stアルバムからのシングル“Breathe”のPVが、ソニーのBraviaの大画面上に、ネットチャンネルのYoutubeを通して、映し出されているのだが、この映像は何度繰り返し観ても、とても美しく、不思議な魅力に溢れている作品だと思う。





同曲に関して、ライナーノーツには、「閉ざされた感覚の蕾を開いていくようなミニマルなリズムの響き、柔らかく跳ね上げられるしなやかなキック。浮かんでは消えていくシークエンスのメランコリックなメロディ。まるで消えてしまいそうな女性ヴォーカルのさざなみが澄み渡る空の下へと誘ってくれるような穏やかな解放感を与えてくれる」と。





また、同PVに関しては、「本曲のPVを担当しているのは、あのリドリー・スコットの娘であるジョーダン・スコット。スタイリッシュかつ目の覚めるような鮮やかな覚醒感をあじわせてくれるこのアヴァンギャルドなクリップは、本国フランスをはじめヨーロッパ各地でへヴィー・ローテーションを獲得している」とも。





確かにこの美しい映像からは、何よりもゆっくりと流れる「時間」、すなわち「人生」をスローモーションで見ているような錯覚さえ憶えるのだ。ギー・ドゥボール著『スぺクタルの社会』の、“時間”について書かれた章から、一部抜粋して紹介したい。





現代という時代は、本質的にはその時間を多種多様な祝宴の迅速な回帰として自己に示す時代であるが、実際は祝祭なき時代である。円環的な時間のなかで共同体が生の贅沢な浪費に参加していた瞬間は、共同体も贅沢もない社会にとっては不可能である。対話と贈与のパロディである現代の世俗化された疑似的な祝祭が余分な経済的浪費を促す時、それらの祝祭は、結局は、常に新たな失望の約束で埋め合わされる失望に終わるしかない。



世界は、既に一つの時間の夢を所有している。今、それを現実に生きるための意識を所有せねばならない。
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雨の東京とは対照的に、澄み渡ったカリフォルニアの空の下、美しい人々がプールサイドでリラックスする光景の映像は、フランス的というよりも寧ろ、アメリカ的だ。憶測だが、撮影場所は、ハリウッドヒルズのどこかの邸宅のプールだろうか。

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デッキチェアで、カクテル片手に読書する青いビキニ姿の。プールサイドのアスファルトの上で、空を見上げ、優雅に佇むベージュのビキニ姿の。ベージュのスイムウエアで、プールに飛び込もうとする、鍛えられた肉体の男。プールサイドのマットの上に横たわるカップル(ピンクのビキニ姿のは目を開け、2色のカラーのスイムウエアの男は目を閉じている)。デッキチェアに、黒い帽子と、黒いサングラス、黒いハイヒール、黒いビキニ姿の謎めいた。ベージュのタンクトップを着て、マットに横たわる男。パームツリーとカリフォルニアの青い空。芝生の上で、フラフープで遊ぶ少と、青いバランスボールで遊ぶ少

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ベージュのタンクトップを着た男が、頭上の蝶を手で捕まえた瞬間から、物語は急展開し始める。プールサイドでは、美しい人々が、ヴァカンスという非現実的な世界(時間)を共有していたが、その男の頭に浮かんできたのは、現実社会での地下鉄、電車内の風景、そして一面に広がる麦畑だった。





突如、青いバランスボールで遊んでいた少女(ロボット)が、男の方へ歩み寄り、黒い帽子の謎の女がアイコンタクトで、少女に指令を出す。その少女は、男の飲み物に緑色の何かを混入し、それを飲んだ男が倒れる、といったエンディングなのだ。その解釈は、人それぞれなのだろうが、アンジェラ・マクラスキーのヴォーカルがとても心地良く、何度でも繰り返し、観たくなるジョーダン・スコットの洗練された映像だ。
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付け加えると、アルバムジャケットのデザインを担当したのは、パリを拠点に活動する
Hartland Villa(ハートランド・ヴィラ)で、近年では、ペリエ(2010)のボトルデザインなどで有名だ。





我々の時代は、事象よりもイメージ(形象)を、オリジナルよりもコピーを、現実性よりも表象を、本質よりも外観を好む。なぜかといえば、現代にとって神聖なものは、ただ幻想だけであって、真理は世俗的なものだからである。

―フォイエルバッハ(1804-1872/ドイツの思想家)




Happy Holidays!