Where Is My Mind? | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

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ロマンティックな夢を追い求めるギャツビーが、二重の視点を養えば、世界は違って見え、彼の人生は変わっただろう、きっと。



20121125日。3連休最終日となった日曜の銀座は、3年ぶり22度目の日本一に輝いた読売ジャイアンツの優勝パレードに、38万人の大観衆が押し寄せたが、その光景はまるで(日本の)「狂乱の1980年代」にタイムスリップしたかのように、美しかった、あの時代のノスタルジーを感じ得ずにはいられなかった。



俺が10代だった、今から23年前となる1989は、読売ジャイアンツが日本一に輝いたゴールデン・エイジであり、「ジャパン・アズ・No.1」と形容されたバブル狂騒の時代である。


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とはいえ、現在の大不況時代とは対照的なあの時代は、日本国が最も繁栄した時代であり、昭和天皇が崩御し「昭和」というバブルの時代が終焉を迎え、ソニーがアメリカのコロンビア映画を買収し、三菱地所がニューヨークのロックフェラーを買収した年だ。また、フィリップ・スタルクのデザインによる黄金色に輝くアサヒビール本社ビルが完成した年であり、日経平均株価が、史上最高値となる
38,91587銭を記録し、日本人には眩いばかりの虹色の光が射し、恍惚とした歓喜と陶酔の真っ只中にいた、古き良き時代だ。



どんよりとした時代に、今年ジャイアンツが日本一に輝いたのは、偶然の出来事なのだろうか。前回のブログでも記したが、ハリウッドは、ディカプリオを起用し、(アメリカの)「狂乱の1920年代」を描いたフィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』を映画化させた。中国という野蛮な国がバブルを迎えた近年、日米ともに、かつての自信を取り戻すかのように、気分だけでも「バブル・アゲイン」に浸りたいのだろう。視点を変え、最先端のモードスーツに目を向けると、近年、ダブルブレステッドが登場して久しいが、その兆候でもある。
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ところで、三連休の
DVD鑑賞には、アメリカ人作家チャック・パラニュークの小説を映画化させた『ファイト・クラブ』(1999年)のブルーレイ版と、
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『セックス・クラブ』(
2008年)を改めて鑑賞した。また、書棚からは、『アメリカン・サイコ』(1991年)が発行される以前のブレット・イーストン・エリスをはじめ、ジェイ・マキナニーやタマ・ジャノウィッツなど10名のアメリカ人作家にインタヴューした書籍『素顔のアメリカ人作家たち 90年代への予感』(1989発行)を手に取った。



これらのDVDと書籍を不思議と選択した理由は、俺自身が、「いま」という時代を読み解きたかったからだろうか。強烈な自己主張が光る映画『アメリカン・サイコ』と、『ファイト・クラブ』、付け加えると『華麗なるギャツビー』『ウォール街 狂乱日記』もそうだが、消費至上主義の帰趨、その答えを俺は改めて見つけたかったのだろう、きっと。


映画『アメリカン・サイコ』のエンディングでは、デヴィッド・ボウイの曲“Something in the air”が流れる一方、『ファイト・クラブ』のそれは、ピクシーズの“Where Is My Mind?”が、『セックス・クラブ』のそれは、レディオヘッドの“Reckoner”が使われる。最高だ!



『アメリカン・サイコ』は傑作ゆえ、最初から最後まで観る必要性が多分にあるが、『ファイト・クラブ』及び『セックス・クラブ』は駄作だとはいえ、ラストの10分間いや5分間のシーンを観るだけで、監督や作家のメッセージが観客に十分に伝わると思われる。クソ以下の作品を、ラスト5分間のシーンに、そのコンセプトに合った、最高の音楽を見事に融合させた結果、「この作品、ひょっとして傑作なのでは?」と錯覚を生じさせる見せ方

は、正にハリウッド・マジックだと断言できる。



先述した3曲の歌詞に、何度も繰り返し、目を通したら、ニューヨークの場所がどこにあるのかさえ分からない一部のアメリカ人にも、その答えがきっと見つけられるはずだ。



またもうひとつの答えになるかもしれない一例が、日曜日の朝7時半から偶然目にした、TBSで放映されていた『がっちりマンデー!!』というTV番組だろうか。その中で、成功報酬型のアルバイトサイト『ジョブセンス』を立ち上げ、会社上場を果たした弱冠25歳(現在は26歳)の若手社長が紹介されていたのだ。



彼は、会社まで徒歩圏の、8畳の1Kマンションに住み、形状記憶シャツと思われる安物のシャツに、安物のスーツを身に纏っていた。冷蔵庫なしの部屋に、地デジ放送が映らないTV(ゴミ)を所有し、(意味不明だが)2つのヘアドライヤーを同時に使い、母親が録画してくれたDVDを観る、そんな退屈なライフスタイルを送っていた。



そんな価値観に満足しているかのように、TV画面上では、彼の満面の笑みが絶えることはなかった一方で、ハーマンミラーの高級な家具だけが、彼の安っぽい自宅空間に、俺の眼には異質の存在にも映った。が、彼は或る意味で、今どきの「消費しない若者の象徴なのかもしれない。彼が口にした某IT企業の名も、俺の周りのリッチスタンの面々には全く響いてこない存在であるのも、皮肉に等しい(笑)。



話を戻すが、“洗練”を極めた映画『アメリカン・サイコ』と、“洗練”されていないが興味深い映画『ファイト・クラブ』をさらに深く読み解きたいのであれば、『「いまを読む消費至上主義の帰趨』(2007年発行)をぜひオススメしたい。尚、音楽などには一切触れられていない。



同章の中で、とりわけ目に留まったのが「消費という破壊」の一節なのだが、一部抜粋して紹介したい。



スチュアート・イーウェンとエリザベス・イーウェンの著書『欲望と消費』によれば、「消費」の語源には「破壊」という言葉があるという。彼らは「レイモンド・ウィリアムズの“消費者”という言葉の語源研究によれば、この言葉の意味の変遷は、ライフスタイルの変遷の反映である」とした上で、次のように書いている。



「もともと“消費する”(語源はフランス語)という言葉は、略奪行為という意味で用いられていた。“完全に取り上げる、むさぼり食う、浪費する、費やす”という意味で用いられたのだ。ウィリアムズによれば、「初期の英語用法のほとんどの場合において、消費するという言葉は芳しくない意味を持っていた。つまり、破壊し、使い切り、浪費し、枯渇させるという意味だった」」。



そう、「」が人生なのだが、15頁から56頁までの「消費とカタストロフィ」(自虐的な破壊/カタログ化された世界/消費という世界/遮断と切断/皮膚とショック/カタストロフィの瞬間)という章の中で、映画について事細かに書かれているが、その内容はとても興味深く、その見事なまでの分析力は、俺の興味を過剰なまでに誘ってくれた、深いよ。
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この「消費」「破壊」から、『アメリカン・サイコ』『ファイト・クラブ』にも通じるような「殺人」というキーワードが思い浮かぶはずだ。『ファイト・クラブ』と『セックス・クラブ』のエンディング、そのカタストロフィの瞬間は正に、快感(カ・イ・カ・ン)なのだ。



最後になるが、前回のブログのタイトルで形容したように、フィッツジェラルドの作品には、一貫して「」と「」のテーマが展開されているのは確かだ。とはいえ、彼が描く主人公に、アメリカ人の誰もが注目するのは、富と成功、そして女性に対する夢を追い求め、ヒーロー志向が強いロマンティストであるからだろう。


第一級の知性とは、二つの相対立する考えを同時に持ち、

尚且つ機能することができる能力である。

―エドマンド・ウィルソン



Have a nice day!