Above the Night | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

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先日、渋谷駅前でタクシーをつかまえ、明治通りを原宿方面にクルマを走らせると、進行方向右斜めの<アウディ>ショールーム前で、そこの社員たちが全体朝礼を行っている光景が視界に入ってきたのだ。




今思えば、ドイツの自動車メーカー<アウディ>が、イタリアの高級二輪車メーカー<ドゥカティ>を買収すると発表されたばかりゆえ、あの何気ない光景を、目の当たりにするのは不思議な巡り合わせの瞬間だったとも言える。いつもであれば、朝のそんな時間帯に、そんな場所にいるはずがないのだから。アウディといえば、中国人富裕層の間で最も人気が高く、近年、日本での人気も右肩上がりの高級車メーカーのひとつだ。




付け加えると、アウディを擁するドイツ最大手の自動車メーカー<フォルクスワーゲン・グループ>は、ファッション業界に例えるならば、フランスのコングロマリット<LVMHグループ>に類似している。なぜなら、フォルクスワーゲン・グループは、イギリスの<ベントレー>をはじめ、フランスの<ブガッティ>、イタリアの<ランボルギーニ>など、超高級車ばかりを傘下に置く多国籍企業なのだから。




そして、今回のイタリアの<ドゥカティ>買収劇は、金額の大小はともかく、俺の目には、LVMHグループCEOベルナール・アルノー>が仕掛けるM&Aを見せられているかのようにも映り、日本が1980年代に“ジャパン・アズ・No1”と形容された、あの古き良き時代を彷彿とさせたのだ。そして、業種が異なる両企業の売上を牽引する現在の主役は、アジア新興国の富裕層が中心となっている。




19日(木)午後




夕方頃、銀座での会食に向かう直前、前回取り上げたジェシカ・アルバのツイッターをチェックしてみると、彼女らは東京から京都へと移動していた。それと、もうひとつ気になった話題があったので、次のようにツイートした。




ジェームズ・ボンドの大衆化は、世界中のメトロセクシャルを失望させる出来事だろう。ワーキング・クラス・ヒーローの誕生か。シャンパンを飲みに出掛けよう。Have a nice night! 

「007がマティーニからビールに宗旨替え」




タクシーから降り、銀座に着いたのが18時半を回った頃だったろうか、銀座5丁目のアルマーニ銀座タワー隣に位置する<クリスチャン・ディオール>前には、人、人、人。その人混みは、今週末にリニューアルオープンするディオールのレセプションのやじうまだったのだ。




高級で洗練されたイメージのある銀座の街に、フランスで最も華やかなブランド<クリスチャン・ディオール>はふさわしいブランドなのだろうが、ディオールのミューズ<シャーリーズ・セロン>が来日するわけでもなく、とても地味な印象のレセプションであったことは否めないはずだ。日本市場の今を象徴しているかのように、華やかさが足りないというのかな、寂しい限りだ。




ところで、ラフ・シモンズの<ジル・サンダー>のクリエイティヴ・ディレクター就任は2005年まで遡るが、あれから7年の歳月が経過した今年2月、辞任の発表が行われた。




そして今回、ディオールのレディスラインの6代目デザイナーに就任したのが、他でもない<ラフ・シモンズ>その人だったのだ。




1947年~57年 クリスチャン・ディオール(ブランド創設者)

1957年~60年 イヴ・サンローラン(2代目)

1961年~89年 マルク・ボアン(3代目)

1989年~96年 ジャン・フランコ・フェレ(4代目)

1996年~2011年 ジョン・ガリアーノ(5代目)

2012年~ ラフ・シモンズ(6代目)




私的には、ラフ・シモンズというファッションデザイナーは、ディオール・オムのデザイナーを過去に務めた<エディ・スリマン>同様に、好きな人物なのだ。なぜなら、俺の感性とよく似た、彼らの音楽の趣味や、それぞれ独自の感性に共感を覚えるからだ。とはいえ、彼らの服が特別好きなわけではなく、彼らが創造するモードに興味があるだけで、他には何もない。
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帰宅後、18日にリリースされたインコグニートの新作アルバム『SURREAL』が届いていたので、早速聴いてみた。ブルーイの知的で洗練されたサウンドは、変わらず健在だった。




ライナーノーツには、ブルーイによるアルバム紹介があり、その中から一部抜粋してみたい。




SURREAL(サリアル)」という言葉から頭に浮かぶ言葉をいくつか言ってみよう。夢幻的非現実的空想的風変わり奇怪、そう、異様という言葉まで思いつく。




 私にとって、このインコグニートの15枚目のスタジオ・アルバム完成までの道程を表現するとすれば、これらの類語と語句の融合としか説明が出来ない。




 本作のパッケージを完成させるにあたり、私はロンドンで最もクリエイティヴなグラフィックデザイナー、ミッチー・ビウォイ を頼った。その結果、本アルバムの鮮やかで特色あるカヴァーが完成した。




 偉大な超現実主義者の画家、サルヴァドール・ダリはこう言った。「6歳のとき、私はシェフになりたかった。7歳の時、私はナポレオンになりたかった。そして、私の野心はそれ以来着実に成長し続けている」と。




 このアルバムで、私の新たな野心が明らかになった。私はなんてラッキーな男なんだ!





昨夜の会食では、シャンパンを飲みすぎたせいなのだろうか、それとも連日の疲れが溜まっていたのだろうか、帰宅後少しばかりの睡魔に襲われた。そうそう、前日のBGMに選択していたのは、トーキング・ラウドの1990年から1997年までのレア・トラックスを集めたアルバム『Playing Loud』だった。トーキング・ラウド・レーベルの最初のアーティストである、ガリアーノインコグニートの曲が収録されており、とてもオススメのアルバムなのだ。




そのライナーノーツを、10数年ぶりに読み返してみた。




トーキング・ラウド。それは大いなる衝撃。常に未来を見つめる音楽の概念。ダンス・ジャズの守護神。活字にしてみれば大袈裟かもしれないが、ぼくはいつもそう心のなかで思っている。このレーベルが存在していなければ、今の我々はなかったかもしれない。

―1996.11.15 United Future Organization 松浦 俊夫




そういえば、60年代、70年代、80年代、90年代には、「反抗する若者」像がそれぞれに存在したように思われるが、ゼロ年代の日本においては、そういったものが消滅したかのようにさえ感じられる。




J.D.サリンジャー」的な人物というのかな、例えば、ブレット・イーストン・エリスが描いた『アメリカン・サイコ』の主人公<パトリック・ベイトマン>のような、人々の記憶に鮮明に残る人物のことだ。




この作品は、人物を規定するといった資本主義の本質を的確に捉えていたと思うが、ゼロ年代には、その「個性的」なものが全て消滅したかのようにも感じられる。音楽の世界然り、ファッションの世界然り。ある意味、均質化されたかのようにね。




昨夜、インコグニートの未来を見つめる新作アルバムを聴きながら、ふとそういうことを思ったのだ。それゆえ、ジェシカ・アルバのツイートとは対照的に、ベイトマンを包んでいるようなあの何とも言えない虚無感が、今の時代、逆に新鮮に思えてくるのかもしれない。





Have a nice weekend!