応天門燃ゆ 43/243 | いささめ

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 裁判の様子は一つしか伝わっていない。その一つというのは、裁判の場において直名が弁官たちから「奸賊之臣」「貪戻之子」と罵倒されたことである。

 一方、裁判の結果ならわかっている。被告人登美直名、有罪。登美直名は遠国への流刑が命ぜられると同時に、法隆寺の資産が取り戻されることとなった。

 善男はこの裁判に最後まで反対した。律令を適用すると、一僧侶でしかない善愷は貴族である直名を訴えることができず、ゆえに今回の訴訟は無効であると主張したのである。

 だが、どうもそれだけが最後まで反対した理由ではないと考えられる。

 確かに今回の告訴は律令違反である。とは言え、寺院の財産や奴隷を勝手に売り払うなど犯罪以外の何物でもない。だから、善男はあくまでも訴訟そのものが律令違反であり、直名の罪状については全く議論に乗せていない。それはまるで何かをひた隠しにしているかのようであり、善男は直名の起こした犯罪については完全に沈黙し続けた。そして、最後まであくまでも訴訟を認めないことだけを主張し続けた。

 もし、善男が世間の評判を気にするのであれば、ここは律令違反に目を閉ざしても、直名の犯罪を弾劾し、直名を裁判で有罪とすべきであった。

 この裁判の注目度は高く、尊敬する聖徳太子ゆかりの品々が、そして、奴隷たちが、一貴族の私利私欲のために売り払われたことを知った都の人たちの中で、極悪人登美直名の存在が一躍脚光を浴びていたのである。

 登美直名が正義の元に断罪されることを都の人たちは願い、それが実現したことで喝采を浴びせた。そして、律令違反を知りながら裁判にまで持っていった正躬王をはじめとする五人の弁官たちの評判が上がり、最後まで律令を盾に裁判に反対した善男の評判は沈む一方であった。

 善男は直名のこの評判も知っていたし、律令にこだわることで裁判そのものを否定しようとしていることが悪評を浴びていることも知っていた。

 知っていたが気にしなかった。

 善男に限ったことではないが、主義主張が現実と離れるにつれて評判は悪化し、支持率は低下する。しかし、そうした人たちに言わせれば、自分の理屈は常に正しく、そうでない現実のほうが誤っているらしい。そして彼らは自分への評判が下がっていることを情報としては知っていても、悪評を浴びせる国民のほうがおかしいと一刀両断する。善男もそうした心境であった。

 だが、寺院の財産や奴隷を勝手に売りさばくなどどう考えても犯罪でしかないし、これを無罪放免とするのは政治家としてどうかとも思う。実際、善男が反対したのは裁判を起こすことそのものであって、有罪か無罪かの判決ではない。

 そこで、善男が直名への訴訟そのものに反対した理由を掘り下げてみると、律令の精神の遵守といった崇高な理由ではない、もっと腹黒い理由が出てくる。

 それは、直名に買収されたか、あるいは、直名と同様の犯罪に手を染めていたか、何れにせよ、善男は明らかに法に触れる方法で利益を得ていたということ。そして、ここで直名が有罪となることが、律令の遵守を壊すことを恐れたというより、自分に飛び火するのではないかと恐れたのではないかということ。

 太古から続く名門大伴家の直系の子孫である善男ではあるが、裕福という点では難がある。それほど大した財産を築いているわけではないし、大規模な農園の開発もさほどではない。全くのゼロではないから自領からの収入だという言い訳もできるが、それでも、善男の裕福さとがつり合うと考えるのは難しい。

 その頑迷なまでの訴訟拒否は、律令遵守よりも自分の財産を考えてのものと言えよう。




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