1月25日、夜。森は金子と大槻を追及し出した。もはや理由にもならない理由であったが、森の言葉は最終宣告も同じである。金子は反論したが聞き入れられず、未明、二人は緊縛される。
永田の嫉妬はそれだけではやまず、大槻はその髪の毛を永田によって無惨に切り落とされて虎刈りにされ、金子にはお腹の子供めがけての容赦ない暴行が加えられた。
1月26日、坂口、吉野、坂東が山本順一を囲んで総括を要求。
山本順一は抵抗を見せず、三人にされるがままに暴行され、暴行が終わると逆エビに縛られた。
1月27日、森はついに胎児の私物化すら許さないとの考えに至った。
「金子が子どもを私物化することを許してはならず、子どもを取り出すことも考えておかねばならない。」
妊婦の腹を引き裂いて胎児を取り出そうというのである。
この言葉を止める者すらいなくなっていた。
1月28日、金子への暴行が始まる。
暴行を受けている最中、金子は「私は山へ来るべきではなかった」と洩らす。
この言葉を聞きつけると更なる暴行が加えられることとなった。
午後7時頃、暴行は止み、連合赤軍は青砥を残して迦葉山に移動した。
縛られた者は縛られたまま車に乗せられての移動。
1月29日、迦葉山の新アジトが一応完成。
縛られている三人は床下の柱につながれた。
山本保子は「総括してよ、総括してよ」と山本順一の胸に顔を埋めて泣き続けていたが、縄をほどくことはできなかった。
山本順一はCCのほうがおかしいと反発し、舌を噛み切って自殺を図る。
自殺は失敗し、猿ぐつわをされる。
1月30日、午前1時、山本順一、死亡。
妻は夫の死にも泣くことを許されなかった。
山本順一 享年28歳
同日、植垣と大槻が新倉でとキスしたことがあることを問題視し、総括を要求する。この場では植垣ではなく大槻が問題視され、植垣を含む全員で大槻に対する総括が提起された。
床下に行くと大槻はすでに亡くなっていた。
大槻節子 享年23歳