発見
ブログを少しご無沙汰していました。
何かと2足の草鞋というのは大変ですが、新鮮で新しい発見だらけの日々を過ごしています。(指導の話はまた少し後で書きたいと思います。)
おそらく初めて走るということの楽しさを感じているのだと思います。
今までの私は走ることそのものはそこまで好きではなく、仕事としてとらえてた部分がものすごくある気がします。
日清食品陸上部を退部することにより、気持ちの変化というか、肩の荷が下りたというか、少し言葉では言い表せない心境なのですが、何かの縛りから解放された気分です。
そんなことを考えたのも、為末さんのツイッターを読んでなるほどなーと思ったので紹介します。
為末 大
結果を出す事と結果に拘る事 2月10日 twitterより
僕らの仕事はやっぱりどこまでいっても結果が全てで、勝たないとどうにもならない。だからみんな必死で勝ちにいくのだけれど、じゃあいざ勝負にどんな人が勝つのかというと、実は結果に頓着せず好きなように競技している選手が勝ったりする。
勝負強くなりたくて勝負に拘わり続ければ、自分の中で勝ち負けの比重が大きくなりすぎて、勝負に強いストレスを感じる。反対に勝負に拘らないと勝ち負けの比重が大きくないから、いざ勝負の時にのびのびプレーできたりする。失敗したら終わりですよと言うと大体みんな動きが悪くなる。
...
アメリカに来て驚いたのは、子供に関しては徹底して結果主義じゃない事。とにかく努力と姿勢を褒める。それがオリンピックとかになると急に結果主義になる。なのに勝負強い。負けて選手村に戻ってきて、次があるさ、という風に平気で笑いながら食事をしている姿が印象に残っている。
僕が感じている矛盾は、結果に拘らず勝負以外のものに価値を感じている選手が、結果に拘って勝負にしか価値を感じられない選手より勝負強くなって、勝ってしまったりする事。それに結果が全てという選手ほど一回負けると立ち上がれなくなる。
勝負強い人間は勝負の時”今”に意識があって、未来と過去に意識がない。そして”今”に意識がいく事は無我と言われたりするもので我を忘れている。勝つぞ、とか今やってる事は大事だぞ、と思った瞬間に我が現れて”今”は壊れる。
子供を勝負弱くするのは簡単。失敗したらおしまいだよと言い続ける事。そうすれば失敗を恐れ、挑戦を恐れ、評価を気にするようになり、縮こまる。怖いのは口にしなくても、親や周囲が心の奥ではそう思っていたら子供には伝わっているという事。
恐れは心を縛り、動きも縛る。そもそもその恐れが何処から来ているかをよく知るのが結果に繋がる。結果を出す為に結果に拘らないで楽しむ姿勢でいるという矛盾を、自分の中に上手に同居させる事が大事だと僕は思う。
まだ続きはあるのですが、長いのでこの辺で切ります。笑
今までの私はまさに結果がすべてと思い続け競技を続けてきました。
しかしこういう考え方になったは、大学に入りインカレでタイトルをとってからでそれまでは、勝負のこだわりがないわけではありませんでしたが、それよりも重視していたのは自分を超えること優勝よりも自己ベストをという考えでした。
結果的にそれが勝ち負けにつながることが分かっていても、一度タイトルをとってしまうとどうしても負けられない事情がスポーツ選手には出てくるものです。
また一度タイトルをとった選手が負けてしまうと評価を気にし、世間を気にし、身近な存在な人たちさえも気にしてしまう。
挙句の果てには、結果を出してるときにいた人たちが、結果が出なくなったときにいなくなったりしてしまう世界でもあります。
そういう人間不信などスポーツ選手の悩みもあるのではないかと思います。
結局は勝負にこだわりすぎるがゆえに、自分さえも偽ってしまうということなのでしょうか。
この為末さんのいうことが、すべてではないと私は思います。ただの一例にすぎないでしょう。
しかしながら、私自身が見事にこの話にあてはまってしまってるのではないかと考えてしまいます。
今の私は不甲斐ない心境ともとれるのですが、少し視点を変えてみると、スポーツで大事なことは楽しいと心から思えることなのではないかと最近思います。
楽しむことが今あるすべての力を出し切る鍵。きっと市民ランナーの人たちはすでにこのことがみについているのでしょう。恐いものがないということなのではないでしょうか?(ニュアンスが違うかな)
皮肉なことに結果が求められるチームで駅伝は優勝しか許されない雰囲気の中で走り続けてきましたが、今ではそのプレッシャーがない分肩の荷が下りているせいか、徐々に走りが良くなってきています。不思議なものですが、おそらく結果を出さないといけないというプレッシャーとは違い今ある力を出し切りたいという思いが練習の取り組みにも出てるのだと思います。
そこには焦りというものがありません。実業団と市民ランナーの違いをいろいろマスコミは書いていますが、ここに尽きると私は感じています。生活をかけて走っているプレッシャーは経験したことのない人から見れば想像のつかない世界ですよきっと。
結果主義がいいのか?そうでない方がいいのか?はどちらも正しいというべきでしょう。
ただバランスが大事だということかな。
今は私自身の心理状況をブログに書いていますが、スポーツ心理学の分野でもっと追及できることだと思っています。
実業団選手がこういうプレッシャーをうまく克服できればもっと高いレベルにいけるかもしれませんね。(結果を求めて焦りを感じない心理状態を作るのは並大抵のことではないでしょうが・・・)
2010年2011年の試合数はおそらく途中棄権を合わせても4,5試合しか出ていません。
2012年はまだ2か月ちょっとしかたっていないのに4試合出ています。
試合に出るたびに調子を上げて、姫路ロードでは優勝してしまいました。
身体がどんどん走れる体になってきている実感があります。それが楽しい。
こんな心境の中でもこの感覚を大事にしたいと思います。
琵琶湖では勝負にこだわる最後の試合!そういう走りをしたいと思います。
。
何かと2足の草鞋というのは大変ですが、新鮮で新しい発見だらけの日々を過ごしています。(指導の話はまた少し後で書きたいと思います。)
おそらく初めて走るということの楽しさを感じているのだと思います。
今までの私は走ることそのものはそこまで好きではなく、仕事としてとらえてた部分がものすごくある気がします。
日清食品陸上部を退部することにより、気持ちの変化というか、肩の荷が下りたというか、少し言葉では言い表せない心境なのですが、何かの縛りから解放された気分です。
そんなことを考えたのも、為末さんのツイッターを読んでなるほどなーと思ったので紹介します。
為末 大
結果を出す事と結果に拘る事 2月10日 twitterより
僕らの仕事はやっぱりどこまでいっても結果が全てで、勝たないとどうにもならない。だからみんな必死で勝ちにいくのだけれど、じゃあいざ勝負にどんな人が勝つのかというと、実は結果に頓着せず好きなように競技している選手が勝ったりする。
勝負強くなりたくて勝負に拘わり続ければ、自分の中で勝ち負けの比重が大きくなりすぎて、勝負に強いストレスを感じる。反対に勝負に拘らないと勝ち負けの比重が大きくないから、いざ勝負の時にのびのびプレーできたりする。失敗したら終わりですよと言うと大体みんな動きが悪くなる。
...
アメリカに来て驚いたのは、子供に関しては徹底して結果主義じゃない事。とにかく努力と姿勢を褒める。それがオリンピックとかになると急に結果主義になる。なのに勝負強い。負けて選手村に戻ってきて、次があるさ、という風に平気で笑いながら食事をしている姿が印象に残っている。
僕が感じている矛盾は、結果に拘らず勝負以外のものに価値を感じている選手が、結果に拘って勝負にしか価値を感じられない選手より勝負強くなって、勝ってしまったりする事。それに結果が全てという選手ほど一回負けると立ち上がれなくなる。
勝負強い人間は勝負の時”今”に意識があって、未来と過去に意識がない。そして”今”に意識がいく事は無我と言われたりするもので我を忘れている。勝つぞ、とか今やってる事は大事だぞ、と思った瞬間に我が現れて”今”は壊れる。
子供を勝負弱くするのは簡単。失敗したらおしまいだよと言い続ける事。そうすれば失敗を恐れ、挑戦を恐れ、評価を気にするようになり、縮こまる。怖いのは口にしなくても、親や周囲が心の奥ではそう思っていたら子供には伝わっているという事。
恐れは心を縛り、動きも縛る。そもそもその恐れが何処から来ているかをよく知るのが結果に繋がる。結果を出す為に結果に拘らないで楽しむ姿勢でいるという矛盾を、自分の中に上手に同居させる事が大事だと僕は思う。
まだ続きはあるのですが、長いのでこの辺で切ります。笑
今までの私はまさに結果がすべてと思い続け競技を続けてきました。
しかしこういう考え方になったは、大学に入りインカレでタイトルをとってからでそれまでは、勝負のこだわりがないわけではありませんでしたが、それよりも重視していたのは自分を超えること優勝よりも自己ベストをという考えでした。
結果的にそれが勝ち負けにつながることが分かっていても、一度タイトルをとってしまうとどうしても負けられない事情がスポーツ選手には出てくるものです。
また一度タイトルをとった選手が負けてしまうと評価を気にし、世間を気にし、身近な存在な人たちさえも気にしてしまう。
挙句の果てには、結果を出してるときにいた人たちが、結果が出なくなったときにいなくなったりしてしまう世界でもあります。
そういう人間不信などスポーツ選手の悩みもあるのではないかと思います。
結局は勝負にこだわりすぎるがゆえに、自分さえも偽ってしまうということなのでしょうか。
この為末さんのいうことが、すべてではないと私は思います。ただの一例にすぎないでしょう。
しかしながら、私自身が見事にこの話にあてはまってしまってるのではないかと考えてしまいます。
今の私は不甲斐ない心境ともとれるのですが、少し視点を変えてみると、スポーツで大事なことは楽しいと心から思えることなのではないかと最近思います。
楽しむことが今あるすべての力を出し切る鍵。きっと市民ランナーの人たちはすでにこのことがみについているのでしょう。恐いものがないということなのではないでしょうか?(ニュアンスが違うかな)
皮肉なことに結果が求められるチームで駅伝は優勝しか許されない雰囲気の中で走り続けてきましたが、今ではそのプレッシャーがない分肩の荷が下りているせいか、徐々に走りが良くなってきています。不思議なものですが、おそらく結果を出さないといけないというプレッシャーとは違い今ある力を出し切りたいという思いが練習の取り組みにも出てるのだと思います。
そこには焦りというものがありません。実業団と市民ランナーの違いをいろいろマスコミは書いていますが、ここに尽きると私は感じています。生活をかけて走っているプレッシャーは経験したことのない人から見れば想像のつかない世界ですよきっと。
結果主義がいいのか?そうでない方がいいのか?はどちらも正しいというべきでしょう。
ただバランスが大事だということかな。
今は私自身の心理状況をブログに書いていますが、スポーツ心理学の分野でもっと追及できることだと思っています。
実業団選手がこういうプレッシャーをうまく克服できればもっと高いレベルにいけるかもしれませんね。(結果を求めて焦りを感じない心理状態を作るのは並大抵のことではないでしょうが・・・)
2010年2011年の試合数はおそらく途中棄権を合わせても4,5試合しか出ていません。
2012年はまだ2か月ちょっとしかたっていないのに4試合出ています。
試合に出るたびに調子を上げて、姫路ロードでは優勝してしまいました。
身体がどんどん走れる体になってきている実感があります。それが楽しい。
こんな心境の中でもこの感覚を大事にしたいと思います。
琵琶湖では勝負にこだわる最後の試合!そういう走りをしたいと思います。
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