ボクの住む多摩ニュータウンの稲城エリアには、街の北西側と南東側に大きな緑地がある。南東の緑は「南山」といい、北西の緑は通称「多摩弾薬庫跡地」という。

トコロジスト生活
実はこの二大緑地のひとつ「多摩弾薬庫跡地」は、いつもかおりと散歩する城山公園のすぐ隣同じ緑地つづきだけど、そこは鉄条網の中。一般人は入れない。以前から城山公園を歩くたびに、この鉄条網の向こうにある深い森のことが気になっていた。


今日は、ようやくこの森に入れるチャンスがやってきた。稲城市と米軍との協定の一環で、施設を公開するツアーがおこなわれるのだ。これはトコロジストとしては行かない手はないでしょう!


ここは、戦時中は旧陸軍の弾薬庫だった。終戦後は朝鮮戦争の影響で米軍の弾薬庫として利用され、ここから横田基地まで弾薬が輸送されていたらしい。ベトナム戦争終了後、東西緊張の緩和とともにその役目を終えた。今は米軍人のためのレクレーション施設で、「多摩サービスアネックス」というのがその正式名称だ。


今日は、ボクとかみさん、それから背中にかおり(2歳)を背負って参加。施設の入り口で免許証を提示して中へ入る。セキュリティは結構厳しい。

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参加者は、15名ほど集まっていた。

時間になると、稲城市の担当者から横田基地施設部環境課の山口さんが紹介される。今日のガイドをしてくれる人だ。


施設の敷地面積は、173haある。そのうちほとんどすべてが手つかずの森!多摩ニュータウンにそんな規模の緑地が残っているなんて!

敷地内は米軍基地の決まりにより1999年以降、生物の調査が行われている。

鳥類61種、昆虫1027種、両生類11種、魚類2種、植物803種が記録されている。そのうち国指定の絶滅危惧種11種、都指定のもの71種が含まれているらしい。森の中に水辺がないのに、鳥類61種というのは驚異的だと思う。


生きもののリストは、その土地を保全するための基礎資料だ。公表はされていないが、そうした資料はすでにあるということだな。(公開はしていないが隠しているわけでもないらしい。なんとかこのリスト、手に入らないかな?)


山口さんにガイドをしてもらいながら、施設内を歩く。この日は天気も良く、色づき始めた紅葉が鮮やかだった。次第に森の中心部に入っていき、ベールに包まれた中の様子がわかってきた。
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まず、地形としては、大きな谷が2本あるが、起伏はゆるやかそのためか谷戸というほどの湿地はない常時水が流れる川もない。水環境としては特に見るべきものはなさそうだ。
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そして森の方は、落葉広葉樹林を主に、発達したスギ林と照葉樹林が混在しているといった感じ。標高は、低いところで50~60m、高いところで120mだから、高低差は60~70mといったところ。面積が広い割に落差はない。歩いていてもなだらかな坂が続くと言った感じで歩きやすい。


この森の中で確認された主な哺乳類は、タヌキアカネズミハクビシンの他、イノシシキツネもいるという鳥は、オオタカフクロウの繁殖を確認しているそうだ。


そういえば、数週間前に隣の城山公園でタヌキを見たことを思い出し、山口さんに聞いてみた。
「最近、城山公園でタヌキを見ました。鉄条網を超えて行き来しているんでしょうか?」
すると

「多分そうでしょう。あの程度の鉄条網だったら、穴を掘ったりして超えられるでしょう。」

とのことだった。


今回特に面白かったのは、旧陸軍から米軍になってから、ほとんど森に手を入れていないという点。つまり70年間放置された森だということ。
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よく里山が放置され、荒れてしまった」ということが問題になる。でも、それは高度成長期以降の話。長くてせいぜい40~50年くらいのもんだろう。70年というのはなかなか例がないんじゃないか?

70年前どんな森だったのかわかれば、放置したことによってどのような林になったのか比べられそうだ。写真も残っているので参考になる。


それにしても、言いたくはないけど、米軍が管理していなかったらここは残らなかっただろうな。それを考えると、なんかとても複雑な気分・・・。


後編に続く・・・。