母を想う! | 播磨の甲斐遊記

播磨の甲斐遊記

 播磨の山間部で甲斐犬とともに自然を満喫しています。家族と楽しく梨栽培など色々なことを無理なく負担なく行っています。こんな環境に感謝しつつ、これからの歩みを遊記として綴っていきたいと思います。

毎度の徒然なるまま

飲んだ勢い 思いついたまま

キーボードを叩いて打っております

このブログ


連日綴った あの記事この記事

我が町 我が身内に降りかかった事件


言葉厳しく汚く綴った記事

そうです!私が怒った記事!


最後に記した何気ない日常の母との会話


そしたらメールや電話で

ユーモア―がある終わり方で良かったですね!

素晴らしいお母さんだねと

予想外にたくさんたくさん

母を誉めて頂きました


何かそれが無性に嬉しくてこの記事

今日は少々 その母について書いてみます


母は岡山県のとある農家地主の産まれ

6人兄妹の末っ子で育ちました


両親の強い希望で近くに嫁がせたい

それで父と出会って目出度く結婚

高校卒業から務めた町職員

町病院の薬局から事務

最後は役場の支所長を務めて

早期定年退職


子どもながらにみても

母は実直に仕事に従事し真面目でした

几帳面な字と事務能力

仕事ぶりは普段の生活から伺えました

実家を常に想い 両家を支えた母


悔しいこと辛いこと様々にあったようですが

それを励ましていたのは私の祖母でもある

実母であり母の兄弟 お兄さんお姉さん


母の実家はとても厳格な家でもあり

常に「人」としてどうあるべきか?

そこを教えられていました


もちろん私も母の実家へ行けば

お爺ちゃんお婆ちゃん叔父さんらに

様々な例え話を交えながら頂きました話

今 思えばどれもこれも大切な話でした

何ひとつ無駄がありません


母もよく事ある度に

「うちのお父ちゃんがこう言いよった」

「お母ちゃんがこう言いよった」

私が悪いこと恥べき行為をしたなら

バシッと言われて叱られた記憶


繰り返し繰り返し叔父さんらから聞いた話


春の田植え たくさんある田圃に苗を挿していく

近所の子は終えて遊んでいるが

おっちゃんらはいくらしても終わらない

一緒に遊びたいな~ 何度も思いよった

でも秋になって供出所へ持って行くとき

近所の人は一輪車に乗せたり 一俵担いだり

リヤカーにチョコンと積んで運ぶ姿

でも うちは牛に荷車を引かせて

山のように積んだ米俵


お父ちゃんについて一緒に歩いた

供出所までの道

おっちゃんら~は嬉しかったし誇らしかったで!


お父ちゃんがよく言ってましたは

先祖代々から頂いた土地や米

言うて手を抜くことなく朝から晩まで働いて

ホンマにあの米俵は立派やった

夜なべして俵のコモみんなで作ってな~

今でも誇らしく思えるで~


自慢では無く「誇り」

この胸を張れることの素晴らしさ


私はこんな話から多くを学んだんだと思う

母の母 祖母も口数は少なかったけれど

「兎に角 真面目に真面目に」

「良い子だ 良い子だ」

この二つの言葉をかけてもらった記憶がある


でも私も罪な者で中学高校の反抗期

今思えば穴があったら入りたいぐらいだが

荒れに荒れていた!

停学なんかは当たり前 両親揃っての謝罪行脚

どんな事をしていたかは割愛するが

両親を相当悩ませたと思う・・・・


母も私に

「アンタの姿をお婆ちゃんに

 恥ずかしい申しわけなくてよう言われへん」


でも何かのはずみで 真面ではないけど

大学進学を決意して東京大学 早稲田大学

東京理科大学 受けようとしたけど諦めて

関西の大学・教育学部

こちらもはずみで 推薦入試で一発合格

母はもちろん 母の実家のお婆ちゃん

皆で喜んで頂いた


合格した日 母に合格の電話

母はいつもより少し遅く帰って

上にぎりの大きなすし桶一つと

すまし汁の材料を買い込み台所に立つ


忘れもしないあの姿 まん丸大きなすし桶

腹いっぱい食べて ちょっと一服


親父!タバコ1本くれ~


馬鹿言ってんじゃないよ!


冗談だよ冗談


合格したからって油断はならんよ

これからなんだよこれから

男なら大学 最低でも大学

人並みのことしかさせてやれないけれど

金は親が出すんだから真面目に真面目に

努めなさいよ

合格した日にバシッと言われた母の言葉


そしてそれから父とヒソヒソと話す姿

何かあるのかな??

そう思っていたら居間に呼ばれた私


まぁ座りなさい!

アンタはうちの長男や跡取りや

ゆくゆくは家に帰ってくるという事や

大学も合格したし何か欲しいものは無いか?


突然問われた質問??

私はまぁ 無難にバイク!と答えた


そしたら そんなもんアカンアカン

もっと大きいもん買おうと思うけどないや?


さっぱり訳わからず

何さ何さ?家か?


そしたら母は一瞬黙って唾をのみ込んで


山や山 あんたに山買ったるは!


はぁ~ 山~!?


母の実家は材木業もしている

何処かで掘り出し物の山が出たのだと

直ぐ察しもついた そしたら案の定


兄ちゃんが絶対 良い言うんや

田舎の長男ならあれぐらいの

山持っておかないと駄目や言うんや


だから秀和が真面目になって

跡をとってイザと言う時にはこの山

でもお母さんらにしたら清水の舞台から

飛び降りる覚悟だよ

真面目に真面目に働いて

作ったお金で買うんだから・・・・・


そんな会話をそこそこに

実際見に行くことに


ぶったまげた!

これまでも手伝いで方々の山々を

見てきたがケタが違う


主はヒノキ山で杉も有るが

どれも幹回りがデカイ

大人2人が手を繋いでも届かない太さが有る

戦前に植林した大山


これまでの持ち主が手入れに手入れをした木々

足元は裸足でも歩ける 林道も整備 出しやすい


下から上までバシッと筋が通ったように

見渡せる山 もう枝打ちの必要もない 


当時 健在だった叔父さんや従弟らと登った山

抱えられない木の太さに惚れた

これが僕のものに・・・欲しい


山を担保にして借金しない 極道しない

こんな約束を再確認して買ってもらった大山

今も手つかずのまま存在しています


これまで来た台風

その度に肝をつぶして心配したが

枝一本折れることなく 一本も倒れていない


周囲の木はベタ倒れ

しかしうちだけは助かった

それはやはり叔父さんのお蔭


全て見抜いていたからだ

木の植わっておる土壌と根の深さ

山々の地形と風の吹き方


職人として山で生きた男の判断


台風で大水害となった日

数日経って叔父さんと見に行った山

車の中で「絶対大丈夫や」と聞いた言葉

見ての通りだった


そして言われたもう一言

「絶対 良かった」言うたらアカンぞ

倒れて辛い人もいっぱいおるんだから

木はな家の先祖からの財産じゃ

それが倒れてしまったんだから

ここで自分所は助かったとワーワー言いよったら

妬まれるもとになる 人としても言われない理屈だ!

黙ってオッチャンの後ろを歩け


山はな 日本の木は安くなった言うけど

アレは知らない者が言うんや

木や山は売ったら最後で次の植林をして

孫の代へと育むもの

日本の木は高い美しい これが当たり前の事

「木に惚れ込む」

これでオッチャンはここまで来たんや!


今でも覚えている金言である


こんな気性の兄妹の中で育った母

本当に兄妹みんな気性が似ていた


そしてうちの親父は

ちと優しすぎるぐらいに優しい

でもそのバランスが一番良いんだと

常に感謝の言葉を掛けていた母の両親

そんな話を懐かしんで私にしてくれる

母のお姉さん


そんな立派なところにあるのに

どうしてこんな私が発生したのか?

みんな不思議がる所であるようです


でもだからどうしたで行くしかない

ちょっと母の事と思ったら

脱線したりしながら徒然なるまま


こんな家族 両親のもとに産まれ

妻と出会って結婚し子どもを授かった

私には勿体ないぐらいだ


今度の連休には

子どもたちを連れて山を見せに行こう!

びっくりするぞ~


トトロの森以上の木ばかりだからな

本当にコレが木か?と思うぐらいの大木群

久々に木を抱いてみたくなった・・・・


そして母のもとに産まれて

本当に良かった

お母さん僕を産んでくれて有難う



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