こんばんは、このブログへの投稿は随分と久し振りとなっています。最近はフェイスブックへの投稿の方が増えて、こちらへゆっくりと描くことが無くなっていました。この2年間は何かと忙しくしておりまして、心の環境も物理的な環境も随分と変わりました。その間にたくさんの成長や変化をすることが出来たと思います。そして、この期にブログを心機一転お引越しさせて頂くことにしました。


「Jardin des Couleurs」 ジャルダン・デ・クルール

http://ameblo.jp/jardin-des-couleurs


フランス語で色彩の庭という意味です。

私は昔から緑でむせかえるガーデンという言葉とイメージが好きでした。
いつか、自分の何かに取り入れたいと思っていた言葉です。

そしてやはりいつになっても興味深い色彩と庭を合わせました。


たくさんの色と自然の中でくつろぎ、楽しみそしてその中にあるシンプルな心理を見付けていく。

自然から学ぶことをふんだんに取り入れて行けると良いなと思っています。


どうぞ今後ともよろしくお願い致します。





今年は本当に寒いですね。
家でエアコンをつけても、全然温まらない日々を過ぎしていて、
もはや現在の私の一番の暖はお風呂です。お湯に浸かる瞬間に一日の幸せのピークを迎えます。
そう思うと、寒さがあるから温かいという幸せも感じることができるという
聴き慣れたフレーズを体感できたわけです。悔しいけど感謝ですね。




さて、皆さんは夜明けに架かる空一面の虹を見たことがあるでしょうか?
夜という闇の中に一点の光が顔を出し、
その光を原点に、レッド、オレンジ、イエロー、グリーンと虹と同じように
光の帯が空に広がる瞬間です。



これはごく僅かな時間に起きる現象です。
何故なら夜はあっという間に明けるからです。


でも。虹を見たときのように、この夜明けの虹もとても
神秘的なものを感じます。



あるいは、晴れた日に水道でシャワーを撒くと、その水を光が通過するときにも
そこには虹が出現します。


さっきまでは何もなかった場所に色が生まれ出てきます。
見えないだけで、私たちの周りにはいつも色があるんですね。


そういう所に色彩の秘密を感じます。

極端にいうと水と光で虹ではなく別の何かが生まれ出ても別にいいんだと思います。
例えば特別な生き物が出現したっていいし、地球の裏側と繋がっても構わない。


けれど地球では一定の条件で色彩が生まれる。
その星で私たちは生きている。



そして、地球に存在する全てのものはすべて色を持っている

色の無いものは私たちの目では確認できない。
それはエネルギーであったり、五感を通じて感じるものあるいは、第六感を使い感じるものであったりします。


だからこそ色はとても大きなキーを持っている。
そんな風に感じます。




そんな色の言葉を使うオーラソーマというツールですが、
長く関わってると、その凄さに改めてジワジワと気付いてきました。

何故なら私たちの言葉には必ずフィルターがかかりますが、
色の言葉は純粋です。時に厳しいほどに。


人の力の凄さも感じる反面

疲れてくると誰の言葉も聞きたくなくなる時もあります。
好き勝手にいうアドバイスは励みになることもあれば、更なるストレスになることもあります。

けれど、そういう時は意外に自分で選ぶ色の言葉が嫌味なく自分に馴染んでいきます。

私自身がそうであったように、人に話せば話すほど分からなくなるような時にも
この色の言葉はシンプルに答えに導いてくれることがあります。
自己と見つめ合う作業ではありますが、とても自然です。




やっぱり、最後には自然の力や摂理に敵うものはものはないのだなぁという
思いすらします。一見歩みの遅さを感じることがあっても
自然のリズムは時にそういうもので、
植物であっても、一年でサイクルを終えるものもあれば
何十年というサイクル、何千年というサイクルと色々です。

枯れないようにと、化学肥料を与えればひとたび大地との循環は断ち切られます。
とはいえ、放置していると知らない間に枯れている。




こんな風に、自然現象や、木々や花の姿、世界の有り様。
それらすべては私たちの問いかけの答えとなる。
そしてそれら全てにいつも色がある。




ああ、一人で楽しくなってきましたよ。
こんなことを書いていると、もっと勉強して純粋な色の言葉を伝えられる
人でありたいという想いが強くなります。





明けましておめでとうございます。
2014年の幕開けですね。


こうやって毎年毎年、年を越えてはまた一つ歳を重ね。
重ねれば重ねるほど、時間が愛おしくて惜しくなっていきます。

それは言い換えれば、私がとても幸せな時間をこの世界で味わっているといって
いいのでしょうね。



というわけで、今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、オーラソーマでは毎年、イヤーナンバーという言葉が年末から年始に向けて飛び交います。
西暦を一桁になるまで足し合わせた数字のことを指すのですが
2013年は「6」。そして2014年は「7」


1~9という数字が9年単位で循環していくという訳です。

昨年は6ということで、これは愛と責任を表し、

タロットはラバーズ=恋人たちのカードにも対応します。


そんなことからそういうテーマの出来事が多かったのではないでしょうか?
身近にも結婚やパートナーが出来た等という話も多かったし、

私自身も婚活のイベントに関わってコンサルなどさせて頂いておりました。



そして、今年は「7」

オーラソーマボトルではB07の「ゲッセマネの園」になります。


キリストが磔になる前に祈りを行った園から名前をとったボトルで
意味するところは、信念を貫く、自分の人生を信頼する、

試される、葛藤、恐れを乗り越えるなどの意味があります。



今年はチャレンジの年になるのかもしれませんね。

そんな時、どれだけ自分の中心を保ってられるのか、
環境は否応なく襲ってくるのかもしれないけれど、私たちが何を目指し、
何に従いあるいは反発し、恐れや葛藤の罠に嵌らずに中心で答えに辿りつく。

中心を試される。


その先には、限りの無い希望に満ちたオリーブの世界が待っていますよ。


中心を意識しながら、進むべき道を進めますように。
嵐に遭っても、星を頼りにもう一度道を探して
その時々に、旅の楽しみも受けとりながら。




私たちにとって、学び多く輝かしい一年となりますように。

現在、サンジェルマン(ペールバイオレット)の学びの中で
レッドとブルーという相反する色の作用を体験しています。


レッドとブル-という色の3原色の内の2色であるこれらの色を混ぜると

バイオレットが産まれるのは摂理のようなもので、


それらの色は光と闇の限りない曇りの中で
今か今かと導き出会うことを待っている。



私たちはその曇りの中で生きる一人一人が例えようのない色彩で
本当はすべてがそのままで美しいのではないでしょうか。




今回、レッドのサバイバルという人間が本質的に持っている恐れと
ブルーという平和やブループリント、側面としては抑圧などに関連する色を
体験している間に私が気付かされたことは



何事も、裁くなかれ。相手も自分も。です。



私たちが各種感情に振り回されているときというのは
必ず同一化といって、私という感覚だけで感じ切っているのです。


しかし、怒りや悲しみや情けなさ等色々と辛い感情はありますが
そのほとんどは、いつの時点かで植えつけられた感情のパターンで
その人の本質的な質ではないのですよね。


多くは3歳前後の幼少期なのではないでしょうか?


現在3歳前後の子供たちと毎日関わる機会を頂いていて、子供たちを見ていると
そのぐらいの子供は、大人が言ったことや、やったことを一瞬でコピーしてしまうのです。

言ったこともそのまま飲み込みます。なので大人が何の気なしに言ったことや
おこなったことによって、たまたま悲しくなったり、偶然嫌な思いをすると
それでその子のパターンというものが出来上がってしまう。

今の大人もそれによって出来上がっています。

そして切れることのない鎖のようにそれは続いていきます。



バイオレットはこの気付かぬうちにできたパターンから自分を解放するということを伝えています。
ほとんどのパターンはたまたま、偶然なのですから、

怒られようが、否定されようが、あなたの本質とくっつけて考えなくていいということです。

いちいち事柄に対して、裁く必要はないよということです。



私たちの存在は皆、脈々と長い旅を続けてきた1つ1つのト尊い魂なのだから。
そこに優劣はないし、ジャッジもない。
きっと草木のようにただ光の方へと伸びていく命の1種類。


どれだけ、社会や対人関係の中で無価値感に苛まれようが、

あなたの価値には何の影響もないし、当たり前のように生きて

幸せを受け取っても良い。私も含め、自己価値の低い人たちはこれに抵抗が

あるのかもしれないけれど、先に述べたように、それこそが植え付けにより出来た

思考パターンであるだけです。そんな自分を裁かずに、今世の私はこういうことに

悩む人なのね、じゃあこのパターンクリアしときましょか♪ぐらいの雰囲気です。



さて、オーラソーマのボトルのシステムの中で

今回のペールバイオレットのB56サンジェルマンの恋人が、B59レディポルシャと言われることが
うなづけるような気がします。

レディポルシャの最大のメッセージは「裁くなかれ」ですからね。



改めてボトルのシステムに唸る思いです。


私たちは生きる色彩そのものですね。


しばらくブログの更新が止まっていましたが、皆さんお元気でしょうか?
毎日暑い日が続きますね。
暦の上では秋などと言いますが、モヤモヤしてしまいます。


さて、今日はバイオレットについて。

バイオレットといえば何を連想するでしょう?
ラベンダー、アメジスト・・・


癒しや鎮静を表したり
また高貴さを表現する色であったりもしますね。

実際に昔の着物の着色においては、この紫色を表現する
染料がとても希少なものであり高価であったと言われています。


身分の高い人しか着ることのできない代物だったのですね。
しかし、だから高貴というよりは、この地球上にわずかしかないということ自体が
バイオレットの持つエネルギーなのでしょう。


人間のチャクラの分布においても、バイオレットの領域はレッドやイエローに比べると
小さいのです。


しかし、その領域は脳という非常に繊細で高度な器官に位置します。

色はそれそのものをいつも語っているのだと思います。

私たちにそれを感じる繊細さや知識さえあれば。


なので、色は情報で埋め尽くされたこの世界の中の物言わぬ異質な情報と捉えています。



さて、バイオレットのキーノートに「変容」というものがあり、さらにそこへ光が射すと「変成」となります。

これは表現が難しすぎます。。。。。よね?


色の言語を勉強し始めたとき、このフレーズは私にはあまりにも難しすぎたんですよね。

そして難しすぎて半年くらい放置していまして(笑)

けれど自分の経験とともに色を体験する形でプラクティショナーは言語を習得していくのですよね。



で「変容」とは何なのでしょうか?
変容とはつまり形を変えることです。例えば大豆が豆腐になることを示します。
素材は同じだけれど、違う料理というような具合。



バイオレットはなぜこのようなことを表すのでしょうね。


それはバイオレットが波長の一番長いレッドと割と短いブルーを合わせた色であるのに
そのバイオレットの波長はブルーより短いのです。


通常はレッドとブルーの間ぐらいの波長に落ち着くのかと思いきや
可視光領域での一番短い波長となるのです。


この過程で何が起きているのでしょうね。



つまりこれがバイオレットの変容、変身という言語にも通じるかもわかりません。
予定調和ではないことが起きる。変容、変身。


言い換えれば、変容、変身を望むならレッドとブルーというような
内側の相反するもの、葛藤などを統合させることが必要ということ。

その手法は色々な種類があるとは思うけれど
積み上げた価値観を必要に応じ一度手放し、その過程で自分と和解する。


これはバイオレット/バイオレットのボトルB16が対応するタロットが表すところの「塔・タワー」のプロセスでもあるんですね。

全部壊して再生する。


この破壊と再生のプロセスはしばしば蝶々のプロセスに例えられます。
幼虫時代から蝶になるまでに一度さなぎとなり、中でドロドロになります。

そしてそこから幼虫時代からは想像もできないような形へと変容して飛び出します。
このドロドロの時期を変容の時といいます。想像もできないことが起こるための過程。




そして私たちは何度も何度も死ぬまでこの変容を繰り返す
蝶より美しい生き物なのだと思います。




破壊の痛みは何度味わおうと痛いのだろうけれど
そこには必ずヒーリングが訪れるのだと色の言語は説明しています。


この色に惹かれる時、少なからずこのようなストーリーが
あなたの中に隠れているのかもしれません。


物言わぬ色の言葉は、ひっそりとこうやって必要な人に届くのだと思いながら。


トキミチルイロノセカイ



バイオレットの変成についてはまたいつか理解が深まったときにでも♪