では古代蓮の里 を後にして、さきたま古墳公園の横を通り抜けて武蔵水路 沿いに南下します。
しばらく行って案内板のある交差点を右折すると、石田堤(いしだづつみ) に到着。
(以前訪れた時の写真はこちら )
石田堤とは、石田三成(豊臣秀吉勢)が忍城(おしじょう)を水攻めにする際に築いた人口堤防のことです。北の利根川から南の荒川までの間を堤で結び、そこに川の水を引き入れて忍城の周りを水没させ、城側の降伏を待つという作戦。三成は堤を一週間で完成させて、さっそく水を溜めたのですが…
石田堤に関しての解説は、画像をクリック↑すると拡大して見る事が出来ます。
現在復元されている忍城(おしじょう)こと行田市郷土博物館
は、石田三成の水攻めの際の姿とは異なっているので、どちらかというと石田堤のほうが微妙に… 萌え (〃▽〃)♪
しかし…さすがにマイナー過ぎて、観光客らしき姿は皆無です (・ω・`)
駐車場というオシャレなものはありませんが、説明版の前に空き地が広がっていますので車を停めてゆっくりと見学することが出来ます。
ここから少し道を下っていくと忍川(おしかわ)があり、堀切橋という橋がかかっていました。忍城水攻めの際、このあたりから堤が決壊したらしいです。
橋を渡ってすぐの所に石田堤史跡公園
がありました。
そのまま公園内を歩いて抜けると、上越新幹線の高架があります。そしてその下にぁゃιぃ櫓が。
忍城水攻めに関する秀吉の書状や、絵で見る解説(?)が設置されていて楽しめます。
チョッピリ大き目の画像をUPしているので、興味のある方はクリックしてご確認ください。
原文と現代語訳の解説が書かれています。合計で4枚。
実はこの施設ちょっとしたサプライズが仕込まれていて、あるきっかけで音声による解説を聞くことが出来ます。なかなか楽しいです♪
絵に書かれた解説文が読めるかどうか微妙なところですが、よろしければクリックしてご確認を。
この石田堤史跡公園は、テーマごとに4つのゾーンに分かれています。
道を挟んだ反対側には石田堤の断面図を模した展示物がありました。
カマボコ兵舎(古!)のように見えるのが石田堤の断面部分。台形の底辺に当たる部分は意外と長く、高さの割りに幅が広い印象です。
総延長14~28kmとも言われるこの堤を、人力で作り上げるのはかなりの大工事だったことでしょう。
その断面部分の後ろ側は堤が延びていました。階段が設置してあるので堤の上まで登ることが出来ます。きれいに草刈りされて道のようになっていました。説明版によると120mあるみたいです。
後ろを振り返ると、高架下の展示ゾーンが見えます。
おや!?お客様がいらっしゃいますね。自分だけじゃなかった事に嬉しさを感じる瞬間です (笑
石田堤(行田市堤根)と石田堤史跡公園(鴻巣市袋)は2市に渡っていますが、歩いて5分もかからない(実質つながっている)場所なので、両方見学するのがおススメです ヾ(・ω・`)
【P.S.】
解説板によると堤の先に駐車場とトイレがあるみたい。とりあえず歩いて堤の長さを体感すれば良かったな…失敗失敗
次回訪れた際に駐車場を確認してきますので、いつの間にか画像が増えているかもしれません。
石田堤マニアの方(いるの!?)、期待せずにお待ちください。
【P.S.2】
大晦日にあらためて訪問、駐車場も確認してきましたよ (・ω・)/
詳しいことは補完版
にてご確認ください