まずはこちらをご一読ください
ちばてつや先生がご自身の終戦時の引き揚げ体験を漫画にされ、NHKのサイトで無料で公開されています
引き上げ時の壮絶さが描かれています
『家路』ーちばてつや画
こうした体験をされた方々の戦後の頑張りで今の平和があるのだと思うと時間も身体も食べ物も、何もかも無駄にしてはならないとあらためて思います
そして私ももうお返しする側の年齢です
次世代に何を残せるかだけを考えています
このちばてつや先生の無料漫画を読み返して、あらためて戦争について考えました
まず思うことは、戦争とはやはり狂気であること
自分がされて嫌なことは人にもしないように、と誰もが小さい時に教わっているはずで、それができるようになることが大人になるということなのだがこうしてSNS一つとってみても丸腰の相手を批判罵倒する投稿やコメントがあったり、そしてそれに乗っかる人がいる
分別ある大人ならそんなことはしない
何故なら人に攻撃を故意にしかけることは感情をコントロールできない幼稚な所業であり、そもそもそんな行為は無益であると大人ならわかっているからだ
子どもと大人を見分ける方法は簡単だ
自分の意見と違う人とも、共通点を見つけて温かい付き合いができる人が大人
自分と違う意見を持つ人を排除しようとするのは子ども
大人と子どもの世界は相容れない
だが世の中には大人の姿をした子どもが沢山おり、その人が肩書きや名声や権利などを持つ場合も少なくない
銀座にもたまにいましたよ
事業を起こして代表取締役と、世の中への響きは良いけどホステスに意地悪を言ってウサを晴らす人
自分に逆らうと即その部下を排除する人、沢山いました
そしてそういう人に迎合する人もまた子どもで、自分の弱い心が一時的に救われるから人を虐めるリーダーにそうだそうだとついて行くのだが、そもそもそうした人に意地悪をするエネルギーが増幅していくことが戦争の火種になると私は思っている
人を傷つけることって全く楽しくないよ
だって単純に自分がされたら嫌でしょう
(たまに悪意なく言った言葉に敏感に反応して私はそれを一番気にしているのに、とか勝手に傷ついたとか言って落ち込む人いるけど、それは知らんがなって話。相手に悪意が無い場合は100%受け取る側の問題。甘えんな)
自分がされて嫌なことを平気でできること自体がまだ大人になっていない証拠であり、人が虐められていることや嫌な思いをしていることに対して喜んで混ざっていることが狂気なのだ
人の不幸は蜜の味、って、そんなわけねーだろ
戦争だって、単純な話
自分がされたら嫌でしょう、ってこと
自分に銃を向けられたら嫌でしょう
自分に刃物を向けられたら嫌でしょう
自分に手榴弾投げられたら嫌でしょう
SNSは気軽に使えるコミニュケーションツールだ
だからこそ慎重に扱わねばならない
沢山の人が見るSNSで個人や特定の団体を批判や糾弾するなどもってのほかだ
本当に言いたいことがあるなら本人に直接会いに行って伝えるのが筋
交通費やアポイントの手間を惜しんでいるようじゃ全く本気じゃないのよ、その意見
私は少なくとも批判を繰り返す人、その人に迎合する人を大人とは見ない
心が弱い人は、まだ子どもなのだ
もっとも自分から縁を切ったりはしないけどね
ただ、戦争を引き起こすのは自分以外の人を認めようとしない弱い心だし、幼児性の集大成だと思っている
大人になるためにはじっくりと自分に向き合うこと
昨日友人がアルフレッド・アドラーの名言集をシェアしていた
このことが腹から理解できて実践できたら大人なんだろう
アルフレッド・アドラー名言集
大人ばかりの世界には、争いなんてない
感情抜きの話し合いで解決できるからね
そもそも、大人は自分のことでは怒らない
そう感じられる人が世の中の大部分になったら戦争なんて起きるはずもないのだと思うが
追記 「いるいる、こういう幼稚な人!」と、他人事に捉える人が一番危ないと思う
私自身も自戒を込めて、忘備録として書き留めています
土岐山拝