本が好き!プロジェクト第十八弾レビュー!

天才をプロデュース?
- 森 昌行
- 新潮社
- 1260円
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livedoor BOOKS
書評
/ルポルタージュ


オフィス北野の社長「森昌行」氏による「ビートたけし」論。(私にはそう感じられた)
人間は、近距離にいるほど相手に気遣い、本音や、ちょっと独特な切り口、そして反対意見。
それを言えなくなってしまう。
本書を読んでまず残念だったのが、その点だ。
本書は、どうあがいても、たけし(さん)側の意見しか書かれていないような気がした。
無論、私のような無名かつ才覚の無いものが、あの天才「ビートたけし」さんを論ずることなど不可能だが、それでも本書には、田中角栄に対して持論を述べる早坂茂三さんのような弁を期待していた自分がいた。正直。
しかし、森社長という方は、自身の哲学がまずありきではなく、たけしさんのポリシー、思想がまずありきで、それにお供する女房役。
そういう役割の方ではないだろうか?
ゆえに、天才をプロデュースと題されているが、(失礼ではあるが)そのプロデューサーは、たけしさんのシナリオ通り演技をする役者的な存在。
本書を読んでいて、そんな気がしてならなかった。
そう、やはり天才「ビートたけし」をプロデュースすることなど不可能なのだ。
つまり、それぐらい「ビートたけし」という方は計算高く、知力が高い。
しかし、すべてを自分一人で行うことなど不可能だ。ゆえに、役割として森氏が選ばれた。
しかも、(本書を読む限り)どう考えても、「たけし」さんから見て安全な人物かつイエスマンなタイプの方(無論、人徳がある)ゆえ、森氏にバトンを渡されたような風に、森社長の文章の体温、雰囲気から、ふと推測してしまった。
しかし、私自身、こんな失礼な指摘をして、気持ちなどよいわけはないが、何か、たけしさんのように、巧みなアイデアで、本当に芸人かつ脚本家、監督をプロデュースされているのならば、一目置かざるをえないが、本書を読む限り、かなり譲歩しても、たけしさんをヨイショするような発言ばかりが目立っていて、「いえ、たけしさん、私はこう思います。今回は、こうさせていただきます。それには勝算がありますし~」という風な発言も多々見られれば、私も、森社長の采配に感心していたものの(しかし、そうでもなさそうなので、やはりたけしさんが主軸という論理なのでしょう)、その辺、本書から、森社長の魅力が今一つ伝わってこなかったことは残念で仕方がないと思う。
いや、相手が大物すぎるからかもしれない。
ゆえに、あの天才を本当にプロデュースするためには、あの方の才能、頭脳を超えるほどの大天才でなければ不可能……ということなのかもしれない!?
しかし、七変化をしてきた「ビートたけし」さんに対し、苦労が多かったのではないかとお察しするが、どこまでもついていき、どんな時でも下から支え、わがままも言わずに仕事をこなされてきた、そういう(女房的な)忍耐力。
プロデューサーとしての才覚よりも、森社長の忍耐心、尽くす心。
そこの面には、大変、感心させられてしまった!
つまり、社長は、天才を否定することなく受け入れ、許してきた、本当に優しい方ではないかと!
(やはりたけしさんといえば、毒舌者ゆえ、その毒舌に耐えてきた=色々な言葉を許し、受け止めてきたとお察しするだけに)。
そう、人間としての優しさ。
そこを感じ取ることができた点は収穫であった。
そして森社長にとってのプロデューサーの定義は、私の考える定義とは少し異なり、天才を否定するのではなく、それを肯定しつつ援助、後方支援する。
そういう概念に近いのではないだろうか?
ゆえに「プロデューサーは、女房役」
そんな(第二の)タイトルさえも、本書を閉じた際に閃いてしまった。
しかし、公的な立場から発言するばかりに、どの発言もやや硬く、どうしてもたけしさんをヨイショする発言が多い点は、偏りを感じてならないのも事実だ。
よくいえば、森社長は真摯な態度にて、本書を執筆されている。
しかし、真摯すぎるゆえに、踏み込みが足りない。そんな気もしてならないのだ。
そう、プロデューサーというからには、プロデュースされる側よりも、もう少し上の目線から思考し、提案してこそ、プロデューサーではないかと私(のプロデューサー定義的には)思ってしまうからである。
そう、全体に、たけしさんへの気遣い。
その霧に覆われていて、その霧の先へと筆が迫られていなかったような気がするところは残念だと思う……。
えっ、本音ばかり書いたら、読者の興味は惹けるだろうけど、人間関係悪くなるし、立場的にまずいだろう?って。
確かに、しかし、あのビートたけしさんが、本書のような文章を書いて発表して面白いだろうかと私は考える。
そう、何故ビートたけしが凄いのか。
それは本書にあふれる礼儀を重んじた言葉たちとは対極的で、本音のオンパレード。だからではないだろうか?
鋭い突っ込みを人に対してガンガン入れていき、物事の裏側を浮き彫りにさせるたけし戦法。
ゆえにビートたけしは、天才的な言術者として、世間から一目を置かれているのではないだろうか?
つまり、本書における発言等はその逆で、そういう書き方はなされていない。
いや、ビートたけしさんの言葉が正しいとも思わないが、確かに、あの人は天才だと思わせてしまうような凄さがある。
ゆえに、天才をプロデュースするには、それ以上の人でなければ難しい。
そこ(論点)に、(私は)立ち返ってしまうのである。
しかし、こんな書評を書いている私自身、たけしさんとどこか似た部類の人間なのかもしれない。
失礼で無礼な言葉を平気で繰り返す性分が、どこかにあるのかもしれない……。
しかし、私も本気で書評を書いているのだ。
たけしさんが、芸人として、本気で人に対して、突込みを入れるように、表現において、物事の本質に迫りたい性分の持ち主。
ならば私も、毒舌であるということなのだろう。
心の中は、人を褒めたい気持ちで一杯であるが、一方で、鋭い指摘を口にしてしまう……性格なのかもしれない。
こうして文章を書きながら己を見つめながら、そう思う。
己を知ること。
そう、私はまずそれが大事だと思う。
そうすれば、他人のことも、読者のこともよくわかってくると思う。
読者は意外と、厳しい目で本を読んでいると思う。
それだけに、褒めモードで書かれた本よりも、鋭い視点、切り口で書かれた文章。
そちらに手が伸びるのだ。
しかし、本書は、それよりも、天才への礼儀が第一に来ていると感じられるため、一般受けはともかく、私には、正直物足りなかった。
褒め言葉って、過剰であるほど、人の本音はどこかに潜んだまま睡眠している気がするからだ。
ゆえに文学はそこを拾うのだろう。恥や汚いところ。
ゆえに文学は綺麗なものではない。
人間の真実。それを書く恐い行為。
最近、私は筆を取ることさえ、恐くなってきて……いる。(2007/7)
~本書評は、本が好き! さまから献本をいただきまして、執筆いたしました書評です。(書評数は、本書で十八冊目であります)~