聖地だと感銘した「真名井神社」と、日本のルーツ。日本人は何処から来たのか? | BLOG MYSTERY NOVELS

聖地だと感銘した「真名井神社」と、日本のルーツ。日本人は何処から来たのか?

1月11日(木)先負・乙巳・六白・定・斗・氏・鏡開・蔵開・初巳・月が最遠・下弦
1月12日(金)仏滅・丙午・七赤・執・牛・房・東京青梅だるま市・三隣亡
1月13日(土)大安・丁未・八白・破・女・心

 「夜想」のお知らせ。

 2月2日(金)PM七時。

 タイトル「日本史カフェ 第一回 ~吉備の謎~」

 チューター 薫葉豊輝。おそらく博識のMさんも協力。


 この間参拝した元伊勢「真名井神社」
 噂では、霊能者の間で最も高く評価されていると。
 私は、目的地である「籠神社」を参拝し、外宮もあるのかと、ふと足が向いた程度だったものの、「真名井神社」を前にして、霊気のような物を感じた。
 人の気の漂う「籠神社」には無い、厳格かつ神秘的な空気感。

 何だろう。確かに「伊勢神宮」も美しい。しかし研磨された宝石のような「伊勢神宮」に対し「真名井神社」は、原石のような無限性を感じた。
 底知れぬブラックホール?銀河?
 しかし、底深い。
 「伊勢神宮」が「花形満」なら「真名井神社」は「明日のジョー」か。

 しかし、「真名井神社」は私にとって聖地に位置づけられた。
 勘では、目的外に(無人だった)ここを訪ね、一人だけで祝詞を唱えたのには何か見えざる自然界の意図(プログラム)が働いているような気がしてならない。
 そこで「真名井神社」のルーツを調べる事にした。
 そこで、この神社が日本の重要拠点である事に気が付く。

 まず「籠神社」の宮司海部氏(海部氏とは、物部氏の祖)の記録によると「籠神社」及び奥宮「天真名井神社」(真名井神社の正式名)には代々、神宝の壷という壺が伝わり、宮司の交代期に密儀として神宝の壷「黄金の壺」が受け継がれているらしい。

 この壺と、旧約聖書の「黄金の壺・マナの壺」は同一という説もあるらしい。

 「マナ」とは、ユダヤの三種の神器の一つで、出エジプト後のモーセ一行の飢餓を救った食べ物を入れた壺のこと。
 「マナの壺」のマナ=「学ぶ」は「真字ぶ」のことだそうで、「学(學)」の漢字の元。
 真名井の「真」は鑑真の「真」で、真字(マナ)の「真」でもあり「真名=真字」?

 しかし、戦中に籠神社から「伊勢神宮」へ神宝の壷は移された?という説が存在。

 「真名」=「マナ」。天から降ってきた聖なる食物「マナ」の象徴か?
 天真名井神社の御神体は「マナの壺」か?

 籠神社の先代宮司・海部穀定氏は、『元初の最高神と大和朝廷の始原』という書の中で、「神道の本質は、多神教ではなく、唯一絶対神信仰だ」と解いているようで、元初の大神こそ、古事記冒頭の「天御中主神」と述べているようだ。

 その元初の神「天御中主神」こそ、「籠神社」が代々祀り、伊勢神宮の外宮へと移された「豊受大神」=大元の神だと。
 「豊受大神」の正体は「天御中主神」(大元の神)?

 またある説では、「豊受」の「受け」という語がキーで「受大神」=「ウケノオオカミ」「ウカノオオカミ」=「宇迦之大神」=「宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神」ではないかと論立てしている。
 「宇迦之大神」とは、つまり、伏見稲荷神社の総本山「伏見稲荷大社」の主祭神。

 「稲荷」の「稲」は穀物と同時に「稲妻」=「雷」=「雷神」
 米とマナの言葉の相似。
 「マナの壺」=ユダヤの六芒星の籠の字を持つ「籠神社」の奥宮「天真名井神社」に存在した、壺と関係があるのではないかと?

 そこで、イスラエルの十支族を取り上げたい。
 小谷部全一郎氏の説によると、十支族の一つ「ガド族」の生き残りが日本に到来したのではないかと推理している。

 別の説でも、騎馬民族の「高句麗」の王「失蒙(チュモン)」の息子「沸流(フル)」と弟の「温祚(オンソ)」のうち、温祚が百済を興し、沸流は自殺したと。(「百済本記」)
 しかし、自殺ではなく、別の地を目指した可能性も。
 九州へ移動?

 もう少し、資料を集めてみよう。

 紀元前二世紀初め頃、衛満により国を追われた(箕子朝鮮の最後の王)準王が、南方へ逃れて馬韓を奪い、韓(=辰)王となる。
 朝鮮半島の「馬韓」の王となった辰王は、都を馬韓「月支国」に置き、統治するも、一代で終わる。(秦人の侵攻で、「辰韓」と「弁韓」に二分)

 その後、衛氏が建国するも前漢に滅ぼされ、(中国前漢王朝の郡県)楽浪郡として設置。
 紀元二世紀後半、後漢衰弱し楽浪郡も衰える。馬韓・弁韓・辰韓の三韓体制となる。
 後漢後、時代は魏に。

 高句麗が北方から南下して楽浪郡を滅ぼし(318年)半島南部では馬韓族を統一し百済、辰韓族を統一し新羅が成立(350年)。弁韓族のみ日本の支配を受けた?(任那日本府)。
 紀元三世紀頃、馬韓から「百済」が、辰韓から「新羅」が、弁韓から「伽耶(かや)」が成立。

 百済の建国=半島北方の満州平原(中国東北部)の古モンゴロイドに、南下した北アジア人が混血しツングース諸部族に。
 ツングース西方の「扶余族」(モンゴルの一部族)が、ツングース諸族を征服して混血し(半農半猟民)「扶余国」を建国。
 しかし、高句麗の侵攻で紀元四世紀前半に滅亡。
 が一王子が逃れて「東扶余国」を建てる。が王位継承問題の末に王子は朝鮮半島に逃れ華南に移り、馬韓を制圧。
 これが百済の建国。百済とは、王族は扶余族で住民は馬韓人(倭族)。で辰国は解体。
 辰韓族を統一し「新羅」誕生。(350年)
 六世紀半ば過ぎ、新羅は加羅を併合。
 七世紀後半、高句麗が半島全土を統一(676年)。

 さて、百済滅亡後、百済の軍は九州へ攻め、縄文人(国津神)を制し、大和王朝を建国していった!?

 江上波夫氏の「騎馬民族国家」によると「百済王関係と、倭国王関係の系図がびったりと並列する」と。

 又は、遡り、辰王の時代に、騎馬民族の機動力を駆使し、日本を支配?

 百済説をもう少し踏み込んでみよう。

 過去、朝鮮半島の百済王家には、「解氏」と「真氏」がいて、「解氏」は繁栄したが、「真氏」は衰退したらしい。

『天照大神の謎』(三神たける・飛鳥昭雄)によると。
 日本の出自を記した『新撰姓氏録』の序文に「真人は是、皇別の上氏なり」と記されているようだ。
 天皇の姓は「真氏」と。
 そして、真氏の筆頭は「息長真人(おきながまひと)」で、「誉田(ほむた)天皇より出づ」と記述されているらしい。
 誉田天皇とは、第十五代「応神天皇」の名。(朝鮮半島からやってきた真氏の流れか?)

 イスラエル十支族の一つガド族(騎馬民族?)=ガド族出身の者という意味で「ミ・ガド」と名乗り、邪馬台国を征服?(神武天皇=崇神天皇?)

 小谷部説に戻り。
 「失われたイスラエル十支族の一つ「ガド族」(名称のルーツ=ヤコブの息子「ガド」に由来)の族長ガドの息子の名は「ツェフォン」といったらしい。
 ヘブライ語の本来の発音では「ニッポン」という発音に近いと。
 また「ツェフォン」を強く発音すれば「ゼッポン」と。

 古代イスラエル王国において、「マナの壺」を継承した説のあるガド族は、それを手にしたため、イスラエル十支族の長となった説もあるそうだ。

(モーセの後をついだヨシュアはイスラエル人を率いて約束の地「カナン」へと「聖櫃アーク」を運んだという。この契約の聖櫃アークと、マナの壺は同じ物か??)

 さて、(百済・ユダヤ)二つは近付いたが、ここから私論。
 二つの融合は、難しいとも思う。
 それは、ガド族の「マナの壺」と、「真」氏の「壺」(過去、籠神社に継承されていた神宝の壺)を、一致させるには、論理的材料がちと足りない?
 よって、統一理論にて括る事がまだまだ難しい気がしてならない……。

 そう、百済王家の「真氏」の末裔が、天皇ならば、即ち壺は、百済経由から到来したものだ。
 となると、百済王朝を、キリスト教の重要地点と考えるには、無理があるのでは?(失われた十支族の末裔と考えるには?)

 おそらく、百済王家の「真氏」の末裔説の方が高く、ガド族説の方が論理的に弱い気が……。

 某説では、ガド族の血を引く王=雷神でもある絶対神「ヤハウェ」 それの訳が「宇迦之御魂大神」=「豊受大神」?という説も存在。
 
 さて、私が聖地だと感銘した「真名井神社」(奥宮「天真名井神社」)
 この真名井の真も、百済王家の「真氏」と関係している気がする私?

 それならば、そこには、封印された秘密がまだまだ眠っているのではないだろうか?
 とっておきの黄金伝説?
 無論、今はすべて「伊勢神宮」へと移されて、秘宝など無いかもしれない。
 しかし、「真名井神社」には、何かがおられる!?

 無形の物か、霊魂か?
 もしかすると、あの地中にまだ何かが封印されているのかもしれない?
 記録される事もなく忘れられた歴史のコードが?
 神のパンが?
 何だろう、何かはわからないが、何かが眠っている?
 何かが!?