なぜ他人に興味がないといけないのか? | 石黒ブログ「縁の下の力持ち」

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所属する組織とは一切関係のない、個人が思う所感を気の向くままに記載しています。変わった考え方もあるんだな程度に読んでいただければ幸いです。

社会保険労務士法人とうかいの石黒です。

毎週木曜日に更新しています。




私はよく変わっていると言われます。



そういわれると



そんなに私に興味があるのか?と感じてしまいます。



だいたい日本人は



・価値観が一つ

・押し付けようとしているのか、違う価値観を認められない。



こういった人が多いと思います。




私は基本他人に興味がないのですが、



いろいろ理由があります。



まず、他人の何を知りたいのか?



血液型なのか?

誕生日なのか?

性格なのか?



そんなことを知ったところで、好きになるか嫌いになるかしかありません。



私は他人に対して、好きとか嫌いとか評価することが嫌いなのです。



そしてそんなたいそうな人間でもないのです。



だから、ほとんどの人に対してフラット、普通です。



もちろん尊敬している人はいますが、



性格で好き・嫌いは判断しません。



嫌われていると思えば、離れて行きますし、



好かれていると思えば、近づいていきたいと思います。





好き・嫌いは私が判断すべきことではなく、



相手がどう思っているか感じるものなのです。



だからなのか、相手のことを知ったとしても、好きにも嫌いにもなりません。



だから興味がないのです。



もともとフラットというかだいたいの人は好きです。



嫌われない限り好きです。



だから他人に興味を持てという方が難しいのです。



私からすれば、センスが同じなら好きになりますし、センスが違えばそれはそれで尊重できるので好きです。



考え方が同じなら好きです。考え方が違えば面白いと思います。



ちなみにその確認である「人の話を聞くこと」も好きです。



それを興味があるというんじゃないのか?と思われると、



違うのです。



誰の話でも好きなので、その人の話である必要がないから、興味がないのです。





毎日がワクワクで、ディズニーランドみたいだったら飽きるでしょう?



それと同じなのです。





私は他人を基準にして生きていたくないのです。



人一倍努力をしても、嫌われる。



嫌われる人には嫌われる。



残念ながらそんなものです。



だから、人一倍努力して、



認めてくれる人と生きていく。



私はそれでいいと思う。





人は一人では生きていけないけど、



誰にも愛されなくても生きていける。



愛されようと変に気を使うよりも、そっちの方が楽しいかもしれない。



固執して無理をすればするほど、自分はゆがんでいくような気がします。