こんにちは。小松です。

3/3から3/9の一週間、練習を休ませていただき北京に行ってきました。キャンパスアジアのプログラムの一環で、北京大学と清華大学での交流が主な取り組みでした。


北京大学、清華大学といえば中国では言わずと知れたトップ2大学ですが、驚くべきはその設備の充実度でした。中国はよく軍事費が莫大であることをフィーチャーされがちですが、実は教育にもかなりの国家予算を割いています。研究施設や留学生のための宿舎が非常によく整っており、校門のセキュリティも厳格でした。

特に北京大学には校区内に寮が多数存在し、学生の食・住を大学が全面的に負担していました。国があれだけ広いので、全国の各地から勉強熱心な精鋭たちが集まります。彼らが故郷から遠く離れた地で、学業にだけ専念できるように国ができうる限りのサポートをするのですね。なので中国の学生はあまりアルバイトなどはしません。(その割に日本に留学する中国人はコンビニの店員をやりがちなので不思議です。やはり日本だとお金に困るのでしょうか。)あと彼らの多くは非常に流暢に英語を話します。外国製品を厳しく取り締まる中国でも、やはり英語は学術的な交流手段として不可欠なのでしょう。

北京大学で勉強しているシンガポール人の学生と仲良くなりました。シンガポールはマレーシアから独立して数十年の国で、人口のほとんどが中華系の人種です。今のシンガポールがあった地域は、マレーシアでもともと中華系の人が多く住んでいたところであり、それも要因の一つとなり独立した背景があります。その友達も両親が中国人なので国籍は中国人なのだそうです。シンガポールにおいて彼らは中華系のコミュニティの中では中国語を使いますが、他のマレー系やインド系のコミュニティと意思疎通を図る時は、英語を話します。どの民族の母語でもない英語が国の公用語になるというのは、よく考えると不思議なことであります。この結果、シンガポールにはSinglishとしばしば呼ばれる、独特な英語が生まれます。例としては、「良い!/悪い!」を表す時、「can!/cannot!」と言うというものがあります。主語を絶対に省略しない言語である英語において、これは非常にユニークな表現に思われます。(canは助動詞なのでこれだけで文になることはありえません)また、Singlishでは語尾にlahをつけます。ラァのように発音するのですが、これは文末に付属します。OK lah.

のようにも使えますし、I speak English lah.などとも言えます(たぶん)。このlahは語調を整える働きとして発音されていますが、実はこのlahは、中国語の完了形、新事態出現を表す「了(le)」にルーツを持ちます。シンガポールにいる中国人は中国の南部出身が多いので、正確には福建語や広東語なのですが、中国の影響が思わぬところに出ているのです。しかしそれ必然でもあります。人口の大半を占める中華系の人々は、中国への帰属意識を見せることが多く、中国側もこれらの人々に国籍を比較的容易に与えています。こうすることで東南アジアに中国のパイプが形成され、幅が効くようになっていくのです。シンガポール自身、国が狭く資源も乏しいので、生き延びるために外交して行かざるを得ません。

では日本と中国の関係はどうでしょうか。よく日本のニュースなどでは、日中米の参加国のトライアングルのパワーバランスを重視します。しかしこの三角形は、本当にニュースで言われているような綺麗な正三角形なのでしょうか。そうとも言い切れません。アメリカからしてみれば、アジア各国との関係を気づく上でまず最優先に考えるべきは中国なのです。中国から見たアメリカもそうです。両国とも、日本にはその橋渡し的立ち位置を務めて欲しいと考えています。韓国も日本と似た立場に立たされています。これ以上はcontroversialな議論になりそうなので深くは追求しませんが、日本の立場を明確にし世界でのポジションを客観的に見つめ直す時、アジア、特に中国と韓国に目を向けることは、非常に有意義だと僕は思います。


もう一つ。中国に行ってテクノロジーがどのように人々に受け入れられて行くのかをよく見てみようと思いました。現在中国ではGoogleTwitterFacebookなどは情報統制で禁止されていますが、その代わりWechatWeiboなどが普及しています。これらを個人の銀行講座と繋げ、今では電子マネーが非常に普及しています。コンビニで現金を使っているのは私たち外国人くらいです。電子マネーや共用自転車などを見ると、本当に共産主義の国なのだろうかと思うほど様々な社名を見かけました。どんな国家でも、新しいテクノロジーについてはやはり競合と淘汰が発生するのだなと感じました。発展が著しい国でいかに技術が受け入れられて行くかを観察するのは大変興味深いところがあります。中国人学生との会話を経て、中国の人たちは新しい技術にとても関心があり、それと同時に無関心であるなと思いました。というのも、彼らは新しいモノが現れると積極的にそれらを使用し、便利で面白いと思えば喜び、不便で面白くないと思えばすぐに飽きてしまうのです。技術の発展が著しい国では、消費者は新しい技術に対しての購買欲が非常に強く、目も厳しい。それに比べると、日本では(というより僕は)今の生活にある程度満足していて、大きな変化を求める姿勢に欠けるのではないかと思いました。

 たしかに会計のシステムに現金が根付いている日本で電子マネーの普及をゴリ押ししていくのは、効率が悪いかもしれません。しかし、夢があるシステム、ロマンのある技術を「実現性が低い、儲からない」と言って切ってしまうのは少し残念だなと感じました

 ある程度成長してしまうと、その上にあぐらをかいてしまい、成長が止まってしまうといった類の話はよく聞きますが、中国はどれだけ成長しても背伸びをし続けて来そうです。


以上、思ったことを簡単に書きました。今後は、中国語をとりあえず英語と同じくらい喋れるようにすることと、世界史と国際関係の知識を増やすことを目標に頑張っていきたいと思います。