雇用と科学技術 | ふとしたときの雑記録

雇用と科学技術

テレビを観ていると、最新の科学技術を用いた機器の展示会のことを放送していた。主に工場で使うもので、タマゴを凄い勢いで割ったり、刺身のつまを大量生産したり、とにかく効率的な生産活動を可能にする機器ばかりで「すごいなあ」と感じていた。



一方で複雑な思いも持った。科学技術の発展で効率性が向上することは、特に製造業においては人件費の削減につながる。技術の進歩は工業部門の雇用吸収が停滞する結果となったのだ。それまで正規雇用で採用されていた社員はどんどんへらされ、一方で非正規は増え、さらにいえば雇用の枠自体が狭くなっている。



先日読んだ北海道大学の宮本太郎先生がその著書である『福祉政治』や、最近読んだ『生活保障』で触れているのは、戦後の日本は雇用を守ることで国民の生活を成り立たせていたということ。だから、福祉が西欧諸国に比べ歳出が比較的少なくても、国民は一定水準の生活を営むことができた。



しかし、小泉構造改革以後、そのはしごがはずされ、雇用が揺らいでしまった。それは同時に社会の揺らぎであったと言えるだろう。



科学技術の発展は、生産の合理性を生むがゆえに人手を必要としなくなった。社会の豊かさを生むために開発された技術により、その豊かさを享受できない人を生んでいる。これは皮肉な結果である。



この状況の打破には、雇用構造の転換が必要だろう。従来の製造業で雇用を吸収できないならば、新たな産業、それも長期にわたり一定の需要がある産業を伸ばす必要がある。医療・介護といった部門は今後さらに人手が必要だ。原発への不安から今後はクリーンエネルギーへの転換も徐々に進むだろう。また一次産業の大規模化、株式会社化などで雇用の裾野を広げられる。このような、従来の製造業から新たな産業へと、就業希望者を誘導する必要がある。



そのためには充実した職業訓練システムが必要だ。細かい数字は本を読み返さないと忘れてしまったが、宮本先生によれば、日本は職業訓練などへの支出がGDP比で他国の半分程度という。就労支援が充実しているとは言えないという。政府にはこの辺をしっかりとやってもらいたい。課題はいわゆる「雇用のミスマッチ」だが、これを解消するためにも安心して技術を身に付けられる職業訓練プログラムと、訓練期間中の生活保障を充実させてほしいものだ。



そして、科学技術が雇用を奪うかのようなことを書いたけれど、新たな雇用を生みうる科学技術の研究には、あまり厳しい仕分けをせずに予算を配分してほしいものだ。