=2353=美濃・久々利城
3日は薮だらけの大森城を歩いてからタクシーで久々利城へ移動、運転手さんに「可児郷土歴史館の向い側です」でOK。現地に久々利城に関する説明板が無いので簡単に。久々利城は可児市内では金山城に次いで2番目の規模を誇り縄張面積は18,000平方m、延元・正平(1336-70)ころ美濃国守護・土岐頼康の弟・土岐康貞が築城、後に土岐久々利氏を名乗りこの地方で勢力を奮ったが天正10年(1582)金山城主・森長可に攻め落とされた、とか。
例により余湖さんの鳥瞰図に(余湖さん、いつも勝手に使わせて頂いてすいません)歩いたルートを赤黒線で示し各所の画像を並べます。
余湖さんの鳥瞰図
可児郷土歴史館の向い側
危険で案内板の撮影不可
登城口、画像右奥の小さい<白=久々利城跡>に従って右折すると
すぐにココ、井戸郭(?)への小口、画像左奥に騙し小口ような遺構あり
美しい古城の風景、画像左に三郭の切岸、右に大土塁、奥に
中が石積の井戸
三郭小口
三郭、右は二郭切岸
二郭へ
三郭を見下ろす
三郭からの小口(?)
主郭を見上げる
主郭への道を登るとすぐ尾根に出て左へ行くと主郭、途中の6郭は薮で何処か分からない
画像右から登り着いた尾根は土橋状、主郭から最高所の郭へ
最高所の手前
左へ行くと
堀切と堀残し土橋
堀底
最高所郭を見上げる
その先の大堀切
尾根土橋に戻り右へ行くと
最高所郭の腰郭、下の5郭は薮で分からない。最高所郭へ
郭?土塁?
下に先に見た堀切
帰り道の井戸郭
紅葉
食事処が無いのでタクシーを待つ間にバナナと菓子パンと缶コーヒーで昼食、歴史館から見た真ん中の山が久々利城。歴史館の人間国宝・荒川豊蔵展で桃山時代の志野と織部を堪能した。
「運転手さん、羽生ヶ丘団地のいちばん北側の道を行くと明智長山城というのが有るんだけど」「分かります、私が住んでる団地だから」、迷うことなく明智長山城へ。途中で「お客さん、光秀が生まれた城らしいんだけど恵那の奥の明知にも光秀が生まれた城が有るらしいんだけど?」「そうですねえ、明知城にもソウ書いてありますよ。はて?どっちなんかなあ」。