=1550=法然・親鸞・等伯・(ゴヤ) | 老コンサルの残日録

=1550=法然・親鸞・等伯・(ゴヤ)

12月に入った、あと1月で今年も終わる、思ってる内に1日が過ぎた。嘗て<21世紀はどんな世紀?>なんて言ってたのに、それはもはや10年以上も前のはなし。昔の人はいい事を言う、<光陰矢の如し>、時間をムダにすまい。今日の東京は気温7度、寒い。午前中に予定していた事を済ませ、4日に閉幕する東京国立博物館・平成館で開催中の<法然と親鸞>の特別展へ。


法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌、法然享年80歳・親鸞享年90歳、親鸞は法然の10歳した、法然より10年長生きしたので忌年の切れがいい。信じ難いのは、この時代の平均寿命は恐らく50歳位だったろうから、彼等の超長寿。平均の1.7倍なら今では127歳、なんで?


私の勝手な素人考え、平安末期は庶民に光が見えない混沌の時代、彼等を救うべき宗教は特権階級と同根、仏教を庶民のものにしようとした法然・親鸞は守旧派に弾圧され法然は四国へ親鸞は越後へ放逐、これに挫けず民を救うのが生涯の勤めと精進し念仏を広めた精神力が長寿の原因だった、では?


今日を入れて残り4日間の為か入場者が驚くほど多かった。我が郷土の誇り、源平合戦・湊川の戦いで平敦盛の首を上げた事から無常を感じ武士を捨てて法然の弟子になった熊谷次郎直実(出家後は蓮正坊)直筆の誓願文(花押)が有ったのでびっくり。


上野駅から東国博へ行く途中の国立西洋美術館の前を通ったら、<あれっ!ゴヤをやってる?>。ブラド美術館所蔵のゴヤの代表作<自画像>・<着衣のマハ>などが…。<ゴヤ・光と影>、有名な作品はそれ位だったが、ゴヤの版画集<日々の風物詩やチョッと危なそうなものを描いたロス・カプリーチョス>・<ナポレオン・フランス軍のスペイン侵略が画材の戦争の惨禍>、素描帳が幾つか…面白かった。まさかパリのオルセーで見た<黒い絵>はあるまいと…予想通り無かった。


彼が宮廷画家NO.1の立場にありながら安住せず、庶民の日常生活やチョッとゾッとしそうな作品が多いのはナゼ?左腕で乳呑児を抱え右手に持った槍で侵略者・フランス兵を刺し殺す母親の版画、聖職者と資産家が宝物を抱えて我先に逃げる版画…、魔女…。


先月29日は有楽町・出光美術館で<長谷川等伯と加納派>を楽しんだ。折しも日経朝刊の連載小説は安部龍太郎著<等伯>、今日が第306回。能登の絵仏師・長谷川信春(元は能登守護・畠山家の家臣奥村家の出で長谷川家の婿養子)が31歳の時に地元を追われ信長の比叡山焼き討ちに巻き込まれながら京都に出て、絵扇子屋をしながら多くの有徳人と交流が広がり艱難のすえ51歳の時に<等白(後に等伯)>を名乗り長谷川派を起こすところ。


当時の画壇の帝王で、これ以上ない狷介な性格の加納派の総帥・加納永徳が信春の台頭を恐れ想像を絶する邪魔をするが、信春は己の求道心がもたらした<何か>と元武士の負けじ魂で対抗していく様子が今のくだり。29日は面白いものを…。それは、等伯の作品の部分的な補修をした永徳の子孫・江戸時代を代表する画家・探幽が但し書きに<等伯の画を>でなく<○○(他人)の画を>と…、恨み?遺言?続くのかな?


体制の中でしか生きられない人達は、自分達が拠って立つ体制を破壊しようとする者が現れれば当然のこと反発・抵抗する、でも末は決まっている。大阪維新の会・橋下徹さん、これから想像を遥かに超えるような反発があるでしょうが庶民が味方します、心を強く持ち体制派を打破、勝ち抜いて大阪から日本を変えて下さい、頼みます。