誰かが「君の名は。」が話題だからと、私の前で“観に行こうかな”と口走ろうものなら、私はその都度全力で阻止している。観たという人から僅かでも「良かった」的な言葉が出ようものなら、私はその都度「は?どこが??あれ何処が面白いわけ?感動した?んなわけないじゃんありえないじゃん!どこが面白いのかさっぱり分からないでしょ、フツーの映画でしょ!あんなありきたりのフツーのストーリー、どこがいいの?!?」と全力でディスる。これマジ本音ですよ。いや、その心は「あなたにあの映画の良さが理解できる訳がない」、もとい「あなた如きにあの映画の真髄など理解されてたまるか」という選民意識なのだが。

 

 

ところで先月。IMAX版「君の名は。」観に行きましたよ。しかし正直なところ、ディープなファン以外、敢えてIMAXで鑑賞する意義あるのだろうか?私のような変態的に好きなマニアは、中央ど真ん中の席で全方向からの映像と音響に包まれて瀧や三葉に「なりきる」という鑑賞法によって味わい尽くせるのだが、普通そこまでなりきりたくないでしょ。

 

そうこうしているうちに、先日、遂に、リアル・新海誠作品のファンにやっと出会えた。

 

飲み会の席で、“「君の名は。」を5回観たけど、あれはラストがダメなんだよね~”と私の友達に語る声が聞こえたので、気付いたら「いや、あれは再会するラストシーンはどうでもいいのよ。ラスト、二人がすれ違った瞬間までで完結してるんだよね」と割り込んでいた。

 

多分、この会話だけで完璧に互いを、「新海誠ファン」であると確実にピンときたと思う。

 

「5回観た」ってことは、相当この映画が好きということ。

にもかかわらず、ラストにダメ出しをしているということは、相当な新海作品ファンであるはず。

そして私が発した「ラストはどうでもいい」という言葉に、彼も「こいつは新海作品観てるぞ」と本能的に感じたはず。いや、ダメ押しでこれも言っておこう。

わたし、ほしのこえから、新海誠全部見てる

 

そして、私たちが発した次の言葉は、ほぼ同時だった。

 

「君の名はで最高のシーンは、ラストの前歩道橋で2人がすれ違っても気付かなかったシーンなの!

 

そして絶叫。おお同志よ!今こそ新海作品を語ろうではないか!!というわけで開始された「君の名は。」トーク、と思いきや、それは完璧に「秒速5センチメートル」バトルトーク。まずは「秒速5センチメートル」をいかに暗記する程繰り返し観て、どれほど作品を愛しているかを競うトークから。「私のiPodとiPadに主題歌と天門のピアノ曲入ってて、毎日聴いてて、今日も聴きながら歩いて来た!」と言えば「パラランパンパン~」と秒速~のエンディングテーマを口ずさまれる。「私はセリフを暗記する程何回も観たよ!」「僕はアニメ本編をそのまま録音して、セリフを毎日聴きながら通学してました!!」「バカそれじゃセリフ全部完璧に言えちゃう程頭に入っちゃうじゃん」「勿論ですよ!」

・・・なんてこった。私が暗記したセリフは第2話「コスモナウト」のカナエのセリフ「だけ」だ。うう、負けた。

神木隆之介くんは秒速5センチメートルの遠野貴樹に憧れて、貴樹のセリフはトーン抑揚から情感まで全て暗記したっていうからなぁ。

 

「君の名は。」トーク、いや、秒速5センチメートルトークに口角泡を飛ばしまくっていたら、余りにうるさくて他の人の声が聞こえないから別室で二人でやってくれとみんなから摘み出されそうになった。

 

しかし、一番困ったのは盛り上がった挙げ句に発せられたこの問いだ。

 

「でも、女性なのに、秒速5センチメートルいいと思ってるんですか?あの作品女性でいいって言ってる人1人もいないですよ?どこがいいんですか?」

 

彼曰く、10年前にハマった当時、大学のクラスメイト女子や彼女に勧めたところ、皆一様にバカにしまくって吐き捨てるように言われたそうだ。

 

「オタク童貞のナルシズム映画」

 

そして、私に詰めよるんだな。

 

「(女性なのに)あんな、オタク童貞ナルシズム映画の、どこに共感するんですかっ!?

 

うっ。壮大なるブーメラン、突き刺さる。まさか私が周りの君の名は。を見たとか見たいという人々に、「は?どこがいいのあんな映画の?」と毒付いてきた同じ台詞が、自分に戻って来ようとは・・・。

 

迷いに迷った挙げ句、よくある次の台詞でかわそうとする。

 

「んー、あれと似た経験してるから。誰でもあるでしょ?」

 

すかさず詰められる。「あのストーリーの、誰だったんですか?明里ですか?」

 

うーん。私がなぜ「秒速5センチメートル」を偏愛しているか。

 

悪いけど、そのホントの理由は誰にも言わない。たとえ君が同志であっても言えないんだ。ごめんね。

 

 

「秒速5センチメートル」第2話コスモナウト。

 

こちらは「君の名は。」。

遠くで想い合う二人は互いに背を向け、片想いの二人は互いの背を見ているのが新海ワールドのふたり。

 

 

私がこの「秒速5センチメートル」を初めて観た衝撃の邂逅から間もなくジャスト2年になる。2年前の寒い冬の2月末~桜の花開く3月に必ず思い出すだろう。降り積もる桜はまるで雪のように、哀しみのように。雪は哀しみであり、桜の花びらである。だから最後のシーンの桜は舞い散っている。哀しみを心に積もらせては生きて行かれないからだ。でも私が一番好きで一番リピート見したのは、晩夏の種子島が舞台の第二話だったなぁ。

 

(ちなみに私が最初に「秒速5センチメートル」なるアニメを耳にしたのは、オウム真理教逃亡犯の平田信逮捕のニュースで。17年間も平田を匿い続けた元信者の女性がいて、その慎ましい生活ぶりが紹介されていたのだが、その女性がレンタルビデオ店で借りたのがこの「秒速5センチメートル」だったというのだ。テレビでは山崎まさよしの歌に乗せて何度も映像が繰り返し流れ、「二人はどのような想いでこのビデオを観ていたのでしょうか・・・」とキャスター。あらゆる意味で言葉に困るエピソードだ。)

 

2周年を勝手に記念して、もう何十回目か知れないが先ほど鑑賞してまして、涙なしには観れないエンディングを飛ばすことなく見つめておりましたら。

主題歌「One more time,One more chance」のクレジットに今更気付き、驚愕。

 

作詞・作曲 山崎将義

編曲     森俊之

歌      山崎まさよし

 

も、森さん・・・・・!!!

日本中のオタクを密やかに涙に濡らし続けるこの名曲の編曲を手がけておられたとは!

 

 

神木くんも愛聴しているサウンドトラック。ちなみにこの貴重なサントラは、現在は販売していない「秒速5センチメートル 特別限定生産版DVD-BOX」の特典CDとして付属している。これを聴くと、イントロだけでマジで死にたくなること請け合い。
 
 
結局今回も泣き濡れてしまった。結局私にとっての「君の名は。」って、「秒速5センチメートル」のオマージュでしかないからなぁ。雪がちらつく歩道橋の上で、瀧と、傘を差してマフラー巻いた三葉がすれ違う例のシーン。完璧、貴樹と灯里にしか見えない。その直後に被さるRADWIMPSのエンディング「なんでもないや」、何度聴いても、喪失後の世界を歌っているようにしか聞こえないし。
物凄く言い古された陳腐な言葉になってしまうが、新海作品は、背景の美しさを絶賛されている。特に「空」の描写。「秒速5センチメートル」は、登場人物が(主に貴樹)空を見上げるシーンが無茶苦茶多いのだ。第三話「秒速5センチメートル」は突出している。山崎まさよしの主題歌が流れる5分半の間、空を見上げるシーンが19回。実に15秒に1回見上げてる計算になるのだ。
 
なぜ「秒速5センチメートル」の登場人物は、空ばかり見上げているのか?
 
答えは簡単。人は誰かに恋すると、やたら空を見上げるようになるから。但し片想い限定。
 
 
先週、インフルエンザで一日寝込んだ際、「君の名は。」のプロデューサー川村元気の「四月になれば彼女は」を読んだ。「恋に落ちて愛が成就して結婚して何年か経つと、必ず恋も愛も失われる」という真実に答えを出そうとするラブストーリ-。主人公がラスト近くに出した結論が、これ。
 
“愛を終わらせない方法はひとつしかない。それは手に入れないことだ。決して自分のものにならないものしか、永遠に愛することはできない。”
 
その通りだ。だから新海作品には、永遠に失われないものしか存在していない。心に秘めた永遠に失われることのない誰かを、永遠に探し彷徨い、永遠に求め焦がれる姿に、自らの姿を重ねて慟哭するのだ。
 
 
私がこの映画を語れる日が訪れるのは、当分先のようだ。