運転できる? ブログネタ:運転できる? 参加中
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じいたん(父)は、とても穏やかで、優しい人でした。 ばあたん(母)といさかいを起こしても、あんたは欠点のないひとだからなあ・・・と笑ってた。。。


その父のパーキンソン病 がわかったとき、免許を取る決心して、誰にも相談せず、即自動車学校に入学手続きしたんです。

いずれ、役に立つとき、絶対に必要になる時が来る。  40過ぎていました。


パパから、あんたが免許を取ったら、オレが一生ウダツが上がらなくなる・ ・・とずーっと免許取得を反対されていたのです。

なんで、免許と関係あるのよ・・・・信用ないんだなあ・・・ぶつぶつもやもやしていて、免許を取るチャンスを持たないまま過ぎました。




自動車学校入学は、パパには事後承諾だったけれど、反対しないで、応援してくれました。

とにかく、どこでも運転できるようにと、免許が取れてからは、朝晩のラッシュアワーに会社への送り迎え、やったわ。
自動車学校では絶対に教えてもらえないコツを覚えるためにね。



例えば…・
混んでいるときは、車間を空けすぎていると、割り込みされるから、かえって危険なこと。
法定速度を守ることは大切だけど、ほかの車と同じ速度で流れに乗ることも、事故を起こさないためには大切なこと。



おかげで、仙台市内の朝の混んでいる4車線の道を次々車線変更したりすることもできるようになった。
どこでも運転する度胸がついたっていうか…。


パパは、自動車学校の教官より、ずっと恐い専任指導員だったのよ。
でも、専任指導員は、助手席に座るのも命がけの気持ちだったんでしょうね。


その後は・・・・これだったら、早く免許取っておけばよかったと思うほど。

じいたんとは、車を使っての病院の送り迎えはもちろん、病院の帰りには一緒にピクニックしに行ったり、健康だった時よりもずっとじいたんと仲良くなれた気がする。いっぱい私に思い出を残してくれた。



今日は、お寺さんで、じいたんの法事でした。
とにかく、住職さんは、地震以来とても忙しく、大変な中で読経を務めてくださいました。

お寺も多大な被害を受け、最初は避難所として炊き出し、それに加えて遺体安置所と火葬場への読経ボランティア、連日のお葬式 加えて法事と、法衣を脱ぐ暇がなかったほど。
地震被害のため、本堂が使えず、別室で執り行ってくださいました。

そんな中での法事で、たまたまこの世に生きていることの重さと意味をあらためて考えることができました。

ばあたん、子供たち、マゴたち、ひ孫に囲まれて、うれしそうです。