番外編 ブラジルのコーヒーにまつわる話 | パ ル パ ロ ブ ロ グ PARUPARO WEBLOG

番外編 ブラジルのコーヒーにまつわる話

本日は週末番外編として「ブラジルのコーヒー」について。


サンパウロ州のコーヒー農園。丘陵地の斜面に展開される広大な畑。

ブラジルのコーヒー生産量は年間約260万トン(2006年)。生産量第2位のベトナムの約3倍もの生産を
誇る主要農作物です。(ちなみに3位はコロンビア、4位はインドネシア、以降メキシコ、エチオピア、
グアテマラと続きます)


手前に見える赤い土。TERRA ROSSA。パラナ州、サンパウロ州、ミナスジェライス州などブラジルの
高原一帯に広がるこの赤い肥沃な土がコーヒーの栽培に適していたのです。

ブラジルのコーヒーはアラビア種、この種は17世紀末にアラビアからまずインドネシアのジャワに
伝わり、18世紀初頭には宗主国オランダのアムステルダムにある植物園で栽培されていました。
そして、南米にはオランダ領ギアナが最初で、そこからブラジルに苗がもたらされました。
ブラジルの記録によれば、1727年のことだそうです。

当初はリオデジャネイロ周辺で栽培されていましたが、その後1850年以降はサンパウロ州が中心に
なり、特に北米大陸での需要が増え始めた19世紀後半からはコーヒー園の労働者不足が深刻な
問題になってきました。1888年に奴隷制が廃止になり、頼れる労働力として移民が注目されたのです。

そのコーヒー園の労働者として大いに評価を上げたのが日本人移民でした。
当時のレポートには「貧しいが実直で秩序がある。黙々と労働に励む。」「未来のサンパウロの富源は
彼らに負うことになろう。」と記されていました。


コーヒーの実を収穫して、袋に詰めて運ぶ作業はあの広大な土地を考えたら、大変な重労働です。
一俵60Kgだったそうです。


一昨年発売されたASAHI WONDA 100年コーヒー(実際は「移民98年」だったわけですが)


で、今年は移民100周年を記念して各メーカーから新商品が発売になるそうです。
UCCではこちらの商品。

コーヒー農園を皮切りに日本人移民のブラジルでの活躍が始まりました。
日本人移民は地主から見捨てられた土地(主に湿地)を安く借り受け、この不毛の湿地に途方も無い
労力を費やしてまずは水を抜き、この段階でやっと「荒地」になります。
そこからさらに労力を費やしてついには野菜ができる畑にするのです。
このような我慢・忍耐がいる作業はまさに日本人しかできない仕事でした。

先日の当ブログで、カーニバルのテーマに「日本人移民100周年」を採用したチームがサンパウロにも
リオデジャネイロにも出現したことを報じましたが、人口比0.8%程度の日系人に対していくら100周年
とは言え、それほど大きく取り上げられることが不思議に思われた方がいらっしゃるかも知れません。
それにはこのような背景-日本人移民が、現在市民が口にしている野菜など近郊農業の礎を築いたこと
があったのです。
実際、ブラジル政府の評価も高く、1960年に高原の何も無かった土地ブラジリアに新首都を移した
際には、首都に食糧を供給する大切な近郊農業をサンパウロ州の日系農家に頼み込んだほどでした。

ところで、コーヒーに話を戻しますが、コーヒーはブラジルでは「CAFE(カフェ)」です。
朝食のことをブラジルでは「CAFE DO AMANHA(カフェダマニャン)」と呼びますが、直訳すると
「朝のコーヒー」ということです。


特別にお願いすれば、こんな豪華な朝食が・・・・。フルーツ王国ですから。



仏教徒の日系の家庭では、朝、仏様にあげるのはお茶ではなくコーヒーです。なるほど・・・。


「CAFE」とは書いてありますが、こちらにコーヒー目当てで来る人はいませんね。
ブラジルの若者はアメリカ志向です。

リオデジャネイロにあるこちらのお店は現地の若者たちで連日大賑わい。

ということで、本日はこのへんで。

それではまた明日。おやすみなさい。BOA NOITE!