死者を生きかえらせるケシの実 | RYUの生き方、逝き方

死者を生きかえらせるケシの実

むかしある所に、非常に善良な夫婦が住んでいました。

2人は仲良く宮沢賢治じゃないけれど、どこかに困った人がいると行って相談にのり、病人がいると手厚く看護し、飢えている人あれば自分達の食事を減らして、分け与えていました。

その善良な夫婦の願いは、子供を授かる事でした。

時は経ちやっと念願の子供が夫婦に出来た。

2人はその子を、溺愛して育てました。

夫婦は子供が授かった事に感謝し、今まで以上に人に尽くしていました。

でも運命は残酷です。

その子が流行り病で、必死の看病の甲斐もなく、亡くなりました。

母親は半狂乱になってその子の亡骸を、何日も何日も埋葬せず抱いていました。

見かねた村人が「近くの村に釈迦という偉い人が説法をしにきているそうだ。行って相談してはどうか?」と言ってやりました。

母親はすぐその村に向かい沢山の人混みをかき分けて釈迦の前に行きました。

みんな腐りかけている子供を抱いた母親を見て呆然。

母親は釈迦に言いました。

「私達夫婦は、づっと人に為に尽くしてきました。夢は子供を授かる事でした。でもやっと授かったこの子も、見てのとおり死んでしまいました。あなたが偉い方ならこの子を蘇らせて下さい!」と懇願しました。

黙って目を閉じ話しを聞いていた釈迦は言いました。


「その子を、生き返らせてあげよう。村に帰ってケシの実を村人からもらいこの子の口に入れなさい。するとこの子は蘇るであろう。ただし死者の出た事のない家のケシの実を与えるのだよ。」

それを聞いた母親は大喜びで自分の村に帰り村人の家を訪ねました。

1件目「ケシの実を下さい。」「あーいいよ。」「ありがとうございます。お宅は亡くなった人はいないですよね。」「忘れたのかいうちはじいさんが去年死んであんたも葬式に来てくれたじゃないか?」

母親はあきらめて2件目へ、同じ事言う。「ケシの実はあるが、うちは2番目の子が、生まれてすぐに死んでしまったよ」

3件目「あなたも私が亭主を亡くし、女手一つでこの子供を育てているの知ってるじゃないか」

4件目「喪中」

村人の家をすべて回っても「死」と縁のないうちのケシの実は手に入りませんでした。

そこで母親は悟った「私だけが、悲劇にあってるんじゃないんだ。みんなそれぞれ死を背負って生きているんだ」と。

そして夫婦とも釈迦の弟子になりました。「完」


あとがき

ここまで読んで下さってありがとうございます。

俺の記事は、仏教的引用が多いので熱心なブッディストと思われるかもしれませんが、そうではありません。

男の子は父親の背中を見て育つといいますが、過去記事「カミングアウト」でも書きましたが、父は早く逝きました。

ですから野球のルールも知らず小一の頃、三塁に走って笑われたりしてました。

高校に入った頃からなぜか「何を聞かれても答えられる男になりたい!」と思い精神的支柱を読書に求めました。

又並行して新聞を読んで分からない言葉があると「現代用語の基礎知識」で調べました。


その中で自然と入ってきたのが、仏教思想でした。

けれども今の日本の仏教界には、疑問があります。

世界の紛争地域、難民キャンプ、災害区域で目にするのはキリスト教の奉仕団体ばかりです。

またこれも過去記事「自殺者に捧ぐ」でも書きましたが、年間約3万人の方が自ら命を絶っています。

死のうと思った人達の文字通り「駆け込み寺」的存在に、今のお寺はなっていないと思います。

ちなみに俺は、無人島に一冊本を持って行くなら迷わず三浦綾子さん(熱心なクリスチャンです)の「塩狩峠」を持っていきます。

信仰は普通の仏教徒ですが、哲学的にキリスト教の影響も受けてます。

またこの逸話は、仏教聖典で読んだ記憶なのですが、ケシではなかったかもしれません。