感謝が素直にできない | 朱鷺の“人生七転び八起き”

朱鷺の“人生七転び八起き”

心と体の健康の情報を発信していきます。

あいも変わらず「感謝」がテーマ

人間は未熟児で生まれます。
生まれ出た時から生きていくために
自分以外の存在を頼ります。

アヒルは目の前に居て
動くものを親と思う・・とか。

あるいみ、たまたまその人が親である。
たまたま家族である。
たまたま一族である~

まっ。
遺伝的には引き継いでいるものも、
資質の要素としてはあるけど。


・・・だから、
人の根本には「承認欲求」があるんよね。

「この私で、いいですか?」と確認して回る~
傍から見れば「何してんの?」
と思うようなことも、
その根っこに承認されたい。
されたら安心・安全があるね。

で、親から承認されても、
当然すぎて嬉しくない・・・
のもあるわけ。
愛されて、受け止められて当然。
なわけですから。
(しかも「こうであれば愛してあげる」
要求を出されたら、ウンザリです)

身内の甘えもあって
親なのに子に承認してもらいたがったり。
なんのかんのと、ウルサイわけさ。

さて~世に出てね。
素晴らしいとか。
豊かだ。とか。
能力がある。
と称えられる。

そうであれば、安心なだけ。
守ってくれる味方が増える。
・・・それ以外の理由がない。

そういうもので勝ち取った承認は、
浮動票ですから、安定していませんが。

ただの私。
何もない私。
なにもしない私。
それなのに・・・愛されている。
受け入れられている。
守られている。

そこに立ってこそ。
親をただの人と見る、
他者を自らとして受け入れる。
となるか?。

だってね。。
何もない私は価値がないと思っていたら、
親に見捨てられたくないし
他者からは侮蔑の視線で見られているの
ではないか、と懐疑心マンマンでしょ?

侮蔑対立の他者と、同船は・・・
怖いもので、相手も怖がる~

何かにつけて承認欲求は・・・
自らを滅ぼす・といって
それを「ない」と思い込むことも、
単に「捨てる」ということでもない、
複雑怪奇がソコにはある。

善きことをしたらばしたで得意になる。
「私は、こんなに善き人ですー」って。

で、まあ、そこにある
「情けは人のためならず・・・」

善きことのできる自分は特別な自分
じゃないわけ。

お金は天下の回りもの。
情けも天下の回りもの。

ありがたーい! と感謝したくなることは
いままで山ほどあった。
ありがたかったから、お返しを~じゃない。

思い起こせば、あれも有難かった。
となっても、お返しをする相手が・・いない。
それも山ほどあるわけで。
相手に返すように、ほかへ回す。

そんなふうに。
回りまわって、自分のところにも
また舞い戻って来たり。

もしかしたら、すでに来ていた。
それに気づかずにいた・・・
なんてもんですよね。

思い起こせば・・・で。

人として歴史が始まって以来、何万年。
ずっと、回って、回って。
始まりがあるやらないやら。

始まりの感謝に・・・感謝(^^♪