たまに、すっごく怒っている人がいる。
これこれが、気に入らない。
ってなことなんですが。
「ムッとして怒っている、葛藤がある」
ということは、見える。
そんなふうに、相手がどういう状態で、
なにが問題になっているか、人ごとにすると、
誰でも見えています。
こうであるべき
こうであってほしい
これは許せない
人がしていると「ああですね。こうなんですね」と
言えるけれど、自分があるべきものを持ち出すのは、
正しい理由があってしていることだから、
となって同じ状態であるのに、同じではない。
となる・・・。
まあ。
なにごとも、怒れる人は
自分は正しいと思っている。
だから、間違いがあることを許せない。
相手があるべきものを持ち出しても、
自分でもあるべきものを持っていても、
それに対抗する必要を感じなければ、
争いにはなりません。
「みんな、違って、それでいい」
というのが、それかな。
「人はひと、自分はじぶん」も、
同じようなことでしょうか。
そんなふうに~
完全に人と分離していたら、
葛藤は・・・起きないかもです。
あるしゅ、依存とそれを管理したい
思いがあるから、争いも起きる。
だけど、起きてくることは
自分に関係があるから起きる。
自分と切り離して
「自分には関係ない」としていたら
私たちは、そこから、何も学べない。
人ごとにしたら、問題にならない
かもしれないけれど、成長もないのね。