自我にとらわれない。
となると
「明鏡止水」ですよ。
自分の色眼鏡をはずして・・・
とわかっても、なかなか、そのようにはならない。
なにかあるごとに、自分が出てくる。
自分で判断しようとする。
「こうであるべきだ」と。
「こうでなければイヤ!」
それでも、客観性がなければ~となって
自分を出さないようにしようとして、
感情や思考と自分の間に、空間を作ること。
と誤解してみても。
これも、ぜんぶ「自分のしていること」なのね。
だけど。
それ以外には、瞬時の理解・静寂は、
起きないんじゃないかな。
空間を作るをやり続けていると、
今までなら、
ワサワサと出てきた自分が、
シラーっと現実をみる・・・
ように調教されてる。
みたいな感じ?
執着・こだわりが、薄れている。
「それが、何かぁ~?」
ってなもんです。
そこになって、最初で最後の
後押しが起きる。
なにが瞬時・即時の理解なのか、
に起きてから、はじめて気付く。