「不可能だ」という内面の決定があるとき、
そこから進まない。打ち止めとなります。
しかし「本当に? できないことなの」と問うと。
新しい扉が開きはじめる。
それによって、隠れていたものが
それ自身の力で、姿を現す。
人を動かすエネルギーを内包して。
でも、この「不可能」は、なんで戦争は終わらないのか。
というような現象にとどまると
外にある問題であり、解決も外面にある。
ということになります。
おなじレベルに意識はあると
そこから解決は起きてこない。
どこの国が悪いとか~留まり続ける。
国連はなにをしている。とか。
外部に頼るものを探す。また
法律での秩序を。となる。
たとえばスピ系でいわれる
英知に任せればよい・・・とか
すべては英知によって動いている。
だから、怖れるものはない。
などに対して。
すべてに英知があり
すでに救われているのなら、
なぜ、この日常は混乱しているんだ?
となるのですね。
「不可能だ」が「本当か?」の変化と同じように、
「混乱がある」を「本当に?」に変えるとき、
裏が表にでるように、外と内が入れ替わる。
「なぜ戦争は終わらないのか」ではなく
「もう何千年も人類から戦争がなくなった」
というところから見る・・・かな。
「できたこと」って、簡単なんですよね。
どうして出来たかは、考えなくても知っている。