自身を投影してしか世界を見れない
のは、当たり前にあること。
けれど、
それを意識できるかどうか。
Oさん
典型的な投影してしか
世界を見られない人。
友達に進められてFacebookを始めた。
ここ数日、見ていて思ったらしい。
Facebookは怖いです。
友達の書いているものを
誰でも読める状態なのですが~
それを読んでいいのか。
と悩む。とのこと。
こちらが注文しないのに
どんどん情報が送られてくる。
「わたしなんかが読んでいいのか」
ということになるようです。
とてもプライベートな内容なので
読んでいいのか。
と言うので・・・
読まれて良いから、書いているんでしょ?
それが嫌なら特定の人対象に設定したら
いいんじゃないでしょうか?
と答えましたが。
書かれているのは、読んで欲しいもの
と思って、もっと気楽に関わってみたら
どうよ?
で
わかったような
わからないような~
まだ納得できないようでした。
Oさんは、自己開示できない人
なのかも知れませんねぇ。
見られたら困る。
知っていいのは特定の人。
という状態なのかも。
Oさんの意識の中では
自分が自己開示できないので~
あからさまに開示しているFacebookは
人の中にドンドンはいりこむ、
そして自分も入り込まれるという
怖れの対象になってしまう。
のでしょうか?
普段からも、人との対応は
自身の投影だけなので、
空回りしてしまうようです。
自身が良いと思って言ったことが
自身の価値観の押し付けになる。
それを、気づかないで押し通す。
自分が思うことは、人も思うこと。
だから自分は正しい。
と凝り固まってます。
それが続くと、回りから疎まれる。
そんなこんなで、扱いにくい人という
評価をうけてしまうわけでして。
Oさんとの会話は、重くて暗くて・・・。
と他の人からうったえられるコトもある。。
押し付けているんですもんね。
重いよね。暗いよね。
出口がないのよね。
でも、そういう状態に自身が気づかないと
どうしてあげることも・・・できないのですね。
ときどき話すことを聞いて
ちょっとづつ
ココロをノックする。