心打たれました | 悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

悪性胸膜中皮腫と診断を受けて8年目を迎えましたが、いよいよ来たかな

平成28年7月突然の「悪性胸膜中皮腫」確定診断。その後「中皮腫サポートキャラバン隊」中心に全国行脚を展開しながら治療を続けてきました。お蔭で7年を経過致しました。ここにきて、腫瘍が両肺多発転移してあることが分かり、これからは好きなことをしていきます。

おはようございますニコニコ


昨夜の阪神はまた強かったですねウインク
交流戦は是非とも勝ち越し、貯金をたくさん作ってペナントレースに戻って欲しいものです。


さて、昨夜遅くにある方からメッセージが入っていたのに気付きました。


先ずはその方の文章を個人情報を修正してお載せ致します。


>初めてメールいたします。東京に住んでおります〇〇と申します。
>毎日メールを拝見してはその前向きな日々に驚いています。
>そして勇気をいただいています。
>中皮腫患者とその家族のために同士の会を立ち上げられたことほんとうにありがとうございます。
>新しいことを始めるのはさぞ大変だったことでしょうがこれが皆様の励みとなることを信じています。
>
>私の夫は2016年8月に悪性の胸膜中皮腫 ステージⅣと診断され年を越えるのは難しいでしょうと余命4か月と告げられました。今まで大きな病気もせずにきましたので、医師が何を言っているのかわからずその言葉に心がつぶされそうな思いでした。
>夫は静かに黙って聞いていました。
>私も質問したいことがたくさんあるはずなのに何も言葉が出ませんでした。
>すぐに入院となり左胸にたまった胸水を抜くことになりました。胸水を抜くのに1週間かかりました。
>夫の年齢が70歳代だということと病気の進み具合から見て手術は無理であること、放射線も、抗がん剤も無理だと告げられました。娘たちと一緒にインターネットでいろいろ調べました本屋さんにも行き、図書館にも行きましたが胸膜中皮腫についてはあまりにも情報が少ないのに驚きました。
>
>夫はしっかりとした考えを持っている人なので自分で治療法を考えました。
>1.ベンズアルデヒド療法(渋谷の塚田クリニックが行っています)
>2.漢方薬療法(友人の漢方薬医が助けてくれました。胸水が増えないようにするためのシベリア霊芝茶、抗癌作用のある星火霊芝宝、白花蛇舌草などその時のレントゲン結果血液検査結果を見て調合してくれました。
>3.食事療法(済陽式食事療法) ニンジンジュースなどと無農薬野菜をスロージューサーで作り一日3回飲みました。
>この3つの治療法をぶれることなく頑張りました。
>その結果でしょうか10月ごろにはとても調子が良く1時間ぐらいの散歩にも行けるようになりこのまま中皮腫と共存できるのではと思っていました。
>11月の初めに散歩から帰って来て左手がおかしい、左手の感覚がないというので病院に行くと脳梗塞を起こしていることがわかりました。トルソー症候群というのだそうです。癌の人が発症しやすいと言われました。
>左半身のマヒが残りました。けれども夫はそれでもあきらめませんでした。数日してリハビリが始まりました。
>大きな会社を経営し社員たちに尊敬され愛されていた夫がリハビリを受けている姿を見るのは辛いものがありましたが持ち前の前向きさで杖を突いて歩けるまでに回復しました。
>2週間ほど入院しました。
>
>病院が苦手な夫なので家で看護をすることにしました。病院にある訪問看護とリハビリを利用しました。
>3つの組織の素晴らしい連携プレーで夫は少しづつ回復しているように思いました。
>
>以前の病院では医師から「梅を見ることはできないでしょう。覚悟してください」と言われました。ある病院ではカルテを見るなり「そうですか、ところでもう死ぬ場所は決めたのですか。今からではホスピスの予約は難しいですよ。」といわれました。もちろんその病院には2度と行きませんでした。
>脳梗塞後転院した家の近くの病院では「一緒に梅の花を見るように頑張りましょう」と「梅どころか桜も見ましょう」と励ましてくださいました。
>病院によって医師によって同じことを告げるにしても全然方法が違うのですね。そのような経験から自分に合った病院を選ぶことも大切だと思います。医師との相性も大切です。
>質問はしっかりと書き留めておいて聞くことも大切です。その質問に丁寧に答えてくれる医師に出会うことができたら幸せなことです。
>
>梅の花は歩いて見に行くことができました。その後夫の状態は少しづつ悪くなりましたが車椅子で満開の桜も見ることができました。4月10日でした。満開の桜の前で撮った笑顔の夫と私の写真があります。毎年一緒に近くの公園の桜を見に行くのを楽しみにしていたのでホットしたのでしょう。その日を境に急激に悪化していきました。
>寝たきりとなりました。4月25日は夫の誕生日でした。娘や孫たちが集まってお祝いしました。夫は笑顔でそれにこたえていました。それから3日後の4月28日静かに眠るように天に旅立ちました。とても穏やかで微笑んでいました。
>胸膜中皮腫と最後まで立派に戦い抜きました。
>。夫の選んだ治療法のお蔭でしょうか。骨への転移はなく 呼吸の苦しさはありましたけれど最後まで癌特有の痛みがなかったことは祝福でした。
>夫が旅立ってから1か月が経ちました。今でも淋しさでむねが押しつぶされそうです。
>寄せては引く波のように突然涙があふれ胸が苦しくなります。それでも夫がすぐ近くにいて見守っていてくれるのを感じています。
>
>メールを拝見していて多くの同士の方がいらっしゃるのに驚きます。
>夫の闘病中は夫のそばを離れることが不安でほとんどどこにも出かけませんでした。
>私がすんでいる東京にも中皮腫患者の集いやマーギーズ東京などがあるのを知っていましたが行ったことはありません。心の内を誰かに話すことができたらどんなにいいかと思ったことが何度あったことでしょう。
>あまりにも情報が少ない胸膜中皮腫です。治療法もなく余命はわずか。そう書かれています。
>そのような時にミギえもんさんや中皮腫を患っている他の方々ブログを読むのはとても力になりました。
>
>夫が亡くなってから様々な手続きで忙しくいやでも外出しなくてはいけません。自分とは関係ないところで世界が回っているように感じます。ある日バスの中で急に心の中に怒りの気持ちがわいてきました。「健康には十分すぎるほど気を使っていた夫がどうして胸膜中皮腫で命を奪われなければならなかったのか。建築関係の仕事もしていなかったのに
>どこでどうやってアスベストの影響を受けたのか。先日のニュースでは8万件以上のアスベストを使った建築物があるとか。アスベストさえなければ・・・。」でも、もう夫は逝ってしまいました。
>
>命は永遠に続くものであり、死はその通過点に過ぎず死を超えて家族は永遠に一緒にいることができると信じています。また夫に合えることを信じています。そうわかっていても淋しい気持ちは押し寄せてきますが満開の桜の前で撮った夫の満面の笑顔とそのよこで笑っている私の写真を見る時に夫が励ましてくれていることを感じます。
>
>同士の会、私も出席したかったですがこの会が関西だけでなく日本各地の中皮腫患者さんとその家族の支えになりますようにと祈っています。
>
>長くなってしまいましたが読んでくださりありがとうございます。
>ミギえもんさまのメールは私をはじめ多くの同士を励ましてくださっています。
>心よりお礼申し上げます。
>今日は夏のような暑さになるということ、寒暖の差が激しい折どうぞご自愛なさってお過ごし下さい。



と、この方のメッセージを私が何故ブログに載せたかと言いますと、今私たち中皮腫患者が悩んでいることの回答、またご主人さんの気持ちやご家族の一生懸命なお姿がヒシヒシと伝わって来て、どうしても私一人で読むには惜しいと思い取り上げさせていただきました。

ご主人様が選んだ治療法も載ってます。
病院の患者に対する気持ちの格差があることも書いてます。
中皮腫患者に起こりうる身体の異変や病気のことも書いてます。
ご主人様、そしてそれを支えるご家族様の懸命さが書かれてます。

私はこのメッセージを読んでいる最中から胸と目頭に熱くなるものを感じました。

中皮腫の患者の方々、そして周りで支えるご家族の方々の参考になればと思いました。