何事もそうだ、といってしまえばそうなんですが。


ワタシ自身は、「ゲームを楽しむ」ために、大切なことのひとつに
「真剣にやる」ことをあげています。
まあ、野球でもサッカーでも、「参加する」タイプのメディアは
すべてそうだ、ということもできますが。


まあ、「面白いから真剣にやる」のか「真剣にやるから面白い」のか
どちらなのかは、難しい問題ですが(笑)
「ゲームを楽しませる」デザインを行うとき、
「プレイヤーを真剣にさせるための仕組み」を組み込むことは、
きわめて重要なポイントであるといえます。


ダラダラと惰性でやるのが楽しかったり、
癒しになったりすることもありますし、
それが商品価値につながることもありますが、
いわゆる「ゲーム性」を楽しませる上で、
「真剣にやる」という部分は欠かせない要素ではないかと。


RPGでもアクションでも、とにかく、真剣にやってこそ、
その結果に一喜一憂でき、楽しめる。


逆にいってしまえば、ゲーム中にあるいろんな要素は、
「プレイヤーを真剣にさせるための仕掛け」である、という風に
いえるんじゃないかなあ、と思うのです。



たとえば、「感情移入」という要素。


「感情移入」という要素が、ゲームになぜ必要か、という部分は、

当たり前すぎてあまり語られてないような気がするんですよね。

「そのほうが楽しいから」と。

でも、なんで「感情移入」できることが「楽しさ」につながるのか?

そのへんの答えが、これなんじゃないかな、と思うわけです。


プレイヤーと、キャラクターを重ね合わせて感じさせることができれば、
ゲームのプレイは自然と真剣になります。
思い入れのあるキャラクターなら、「死なせたくない」と思うでしょうし、
ゲームデザイン上、なぜ「感情移入させる」仕組みが必要なのかといえば、
プレイヤーの意識をそちらに誘導できるから、ということがあげられます。
卑劣な敵キャラを出し、プレイヤーを怒らせるのも、ここにつながりますね。
「こいつは許せん」と思わせられればしめたもの。
そのプレイヤーは、きっとそいつを倒すまで、真剣にやってくれるでしょう。


面クリアのときにもらえる点数とか、報酬アイテムなんかも、
プレイヤーを真剣にさせるための仕掛け、といっていいでしょう。


こうやってみてみると、おおもとの「ゲーム性」に関わる部分を除くと、
それ以外の「飾り」ともいえる部分のほとんどが、「ゲーム」に対して、
プレイヤーをいかに真正面から向き合わせるか、というための演出である、
ということさえできそうです。


http://humanfactory.net/dame/dai090320.html


こちらの記事で、


>苦手なジャンルのゲームを他人に勧められても
>もう頭から嫌悪感を出してゲームをプレイしているので
>楽しく感じるわけがないんですよね


という内容がありますが、やはりそれに関わることかな、と思います。
ゲームは、プレイヤーが参加するタイプのメディアであり、
インタラクティブ性がキモである表現手法です。
やはり、真剣に遊ばないと、面白くはないんですよね。


そういえば、賭けない麻雀は面白くない、なんて声も少なからずありますよね。
別にバクチを推奨するわけではないんですけど、
小額でも賭けておくと盛り上がるのは事実だと思います。
ワタシはゲームとしての麻雀も好きですけど、
どーしても、賭けてないと漫然とうってしまう。
競技麻雀にしても、それ以外に評価尺度みたいなものがないと、
なかなか打ち続けるのは難しいな、と思うんですよ。


そんなわけで、マジコンに限らず、お金もかけず、
漫然とソフトを手に入れられてしまう環境は
やっぱり「ゲームを楽しむ」という目的からしても、
望ましくないと思うんですよねえ。


まあ、これだと起動が大変なコピーならいいのかよ、ってことになりかねませんけど(笑)


あ、無料ゲームを否定してるわけじゃないですよ。

あっちはあっちで、無料ゲームなりの引きや、
真剣にならずとも楽しめる要素を組み込んでますので。