年功序列制度は、日本人の好みの制度だ……と、
いったら、誤解を招くだろうか。
このシステムは、近年では批判の的になることも多かったが、
それ以前は、日本人によって作り出され、
採択され続けていたシステムである。
このシステムの根底にあるのは、2つのポイントである。
1.日本人の多くは勤勉である
2.努力・過程への評価を良しとする
最近はともかく、戦後からこれまで、
「勤勉」という言葉は、日本人労働者の特徴と
いっていい単語だっただろう。
今日にいたるまで、日本では、勤勉が美徳とされているし、
実際に、とにかくよく働く。
視点が間違っていたり、ベクトルがずれていたりして、
成果があがらないこともあるのだろうが、
基本的にまじめな人が多く、仕事に精励する人が多い。
この特徴は、明治以降変わっていない点だろう。
そして、努力には報いるべし、という考え方が根っこにある。
たとえ、結果につながらなかったとしても、
「努力や姿勢を評価する」、という傾向があるし、
今でも学校ではそう教えているのではないだろうか。
これもまた、この国に以前より伝わる考え方ではないだろうか。
そして、この考えに基づいて評価・勲功を行うと、
年功序列制ができあがる(*1)。
日本人の場合、1の前提から、
たいていの人がある程度のことはやっている。
「努力に報いる」という評価基準でいくと、
誰しもがその勤勉さから、ある程度の努力が確認できてしまう。
そのため、各人の評価は横並びになり、
同じような昇進速度ですすんでいくことになる。
これが、年功序列制度が形づくられる背景である。
まあ、近年になって、日本人の持つ性質が変容してきたことや、
また、仕事についての着眼点、ベクトルなどが重要なものに
なってきたため、これらは時代にマッチしなくなったものとして、
排除されるようになってきた。
この選択はもちろん正しい。
だが、年功序列というシステム自体は、
日本人の好みのスタイルといっていいはずである。
・努力には報いるべし
・与えられた任務は忠実にこなすべし
この2つはやはり、日本人のもつ基本的な考え方にあると思うし、
ここに違和感を感じる人は少ないのではないだろうかと思う。
さて、本題に入ろう。上にあげた2つ……
・努力には報いるべし
・与えられた任務は忠実にこなすべし
これは、実は、コンピュータRPGがもつ基本的な特徴である。
RPGにおいては、戦闘を繰り返せば、
かならずPCは強くなれるものである。
アクションゲームやシューティングゲームは、
プレイヤーがどんなに努力しても、クリアできないことはある。
だが、RPGにおいては、そういうことはない。
基本スタンスとして、努力(戦闘)にはかならず報酬(EXP)が
伴い、いつかはかならずクリアできるようになっているのである。
日本で、とにかく「成長要素」とか「やりこみ要素」が
好まれるのは、このためだろう。
とにかく、「無駄に終わる」=「ゲームのエンドまでたどり着けない」ことは
嫌がられる要因だし、その理由は「努力には報いるべし」という
基本姿勢があるからだと思う。
「任務」についても、ほぼ同様である。
主にゲーム黎明期の話になるが、アクションゲームにおいては、
クリアのためにはプレイヤーの創意工夫が試されることが多かった。
さまざまな操作方法を考え、それを試し、
有効な手段を探していく。
たとえばドルアーガの塔などは、それの金字塔といってもいいタイトルだろう(*2)。
それらのゲームは、
「何をすればいいのか考える」ところから始まる。
とはいえ、発想がずれていれば、その試行は無駄になり、
結果が得られないことも多かったわけだ。
つまり、当時のゲームにおいて、「任務が明示される」ことは、
必ずしも多数派ではなかったのだ。
無論、最終目的は明らかになっていただろうが、
「そのために何をすればいいか」を探るゲームが多かったのだ。
一方、RPGでは、基本的に、「何をすればいいか」は明示される。
歩き回って、敵にあったら、倒せばいいのだ。
「何をやればいいかは明白」である。
そして、それを忠実にこなしていれば、かならず報酬が受けられる。
どうだろう?
RPG……特に、「原典からドラゴンクエストが切り出した部分」が、
いかに日本人好みであるかがうかがい知れるのはないだろうか。
とにかく、「必ず努力が報われる」ようにし、「任務を明示し」、
「任務を達成したら、それがすべてプレイヤーのおかげであると褒め称える」。
これが、日本式RPGのもつ基本スタイルであり、
「日本人好みのゲーム」を作る上で欠かせないポイントであったりする。
もちろん、このようなゲームばかりでは面白くもないわけだが(笑)、
ゲームをつくる上で、「万人受け」を狙うときに
盛り込むべき要素の指針になるのではないだろうか(*3)。
(*1)ついでに、なあなあを良しとする傾向、もいれようか。
(*2)そういう意味で、「ドルアーガの塔」は、
「日本型RPG」にはふくまれない。
ここでいうのは、要するに、ドラクエタイプのゲームのことである。
(*3)補足。
ちなみに、「個性的なゲーム」というのは、
この3つのどれかを崩すところから設計が始まる。
LV変動制であり、頭を使わないと強くなれないゲーム(*3)は、
一つ目の要素を崩したものである。
多くのフリーシナリオのゲームは、
任務が明示されず、次にどこにいくかの選択肢が
プレイヤーにゆだねられることになる。
二つ目の要素を崩したことになる。
ストーリーに特徴のあるゲームの多くは、
三つ目の要素を崩したものである。
そういうゲームが、たいてい「万人受け」ではないのも、
こういう考え方を持つ人がおおいからではないだろうか。