ご訪問いただきありがとうございます。

ここまで、わたし自身について、何回かに分けて書かせていただいております。
今回はうつ病の寛解から現在に至るまでと、現在に至って得た新しい出会いについて書きたいと思います。

前回までのブログはこちらです。

 


この頃の体調ですが、うつ病が寛解している今の体調にかなり近づいてきていました。
長らく、最初の休職時の診断書を書いてくれた医師のもとで治療を続けてきたのですが、治療が長引いていろいろな薬を試しては変えて・・・を繰り返していました。
このままでは良くならないと思い、セカンドオピニオンを経て、某大学病院の医師に主治医を変えることを決めました。

この大学病院の医師は可能な限り薬を減らして治療するタイプの方で、処方をかなり整理していただきました。
そこから体調は段々と良くなり、通院と薬物療法が必要ないくらいにまで回復しました。

そして、大学病院での治療と並行して、より好待遇を求めて、初めての転職活動を開始しました。

同じ職種を軸に、より好待遇が期待できる業種に絞って転職エージェントから案件を紹介してもらいました。

結果、東海地方にある会社の案件を紹介してもらい、採用してもらえたのでそこに決めました。
この転職を機に初めて近畿地方の外に引っ越すこととなりました。

転職が決まったら退職手続きですが、うつで休職までするほど苦しんでいたわたしが転職すると聞いてみんなびっくりしました。
でも、みんなわたしのわがままを受け入れて温かく送り出してくれて、今も感謝しています。

この転職のとき、次の会社に入社する数日前に父が亡くなりました。
(わだかまりなく話せる母に転職と引っ越しの報告をしたら、その会話の中で父の死を知らされました)
結局、わたしは父とのわだかまりは解けぬままでした。
でも、仕方なかった。それでも良かった。と今ではそう思っています。
話したところでわかりあえることはないのだから。

さて、新しい会社にいたのは3年間でしたが、この3年間で精神科のお世話になることは結局ありませんでした。
ではなぜ2度目の転職を考えたのかというと、この3年の間に初めての子どもが生まれ、近畿地方にある妻の実家の助けが必要になったからでした。

ということで、2度目の転職は妻の実家がある近畿地方に勤務先がある会社を選ぶことになりました。

当時は仕事の興味の方向性として、当時の職種を続けるか、当時仕事で関わっていた別の業務にも関心があったのでその方面に進むか、の2択で悩んでいました。
一応両方の職種+αの中から、転職エージェントに探してもらいました。

結果、選んだのは同じ職種ではない別の業務のポジション。大きくジョブチェンジすることになりました。
業種もまたちょっと変わったので待遇が良くなることも決め手でした。

こうして、新しい職場が決まって近畿地方に戻れることになりました。

2度目の転職でまた環境が変わりましたが、業績が良い会社だからか、周りの人はみんな優秀で、仕事で求められる成果も厳しいものがありました。
そんな環境でわたしは強いストレスに勝てなくなり、一時メンタルの調子を崩しました。
そしてまた心療内科に通うようになってしまいました。

また、2度の転職の成果として本業での収入はそれなりに確保できましたが、安定性という点では不安が拭えないという現状がありました。
外資系企業ゆえ、本国の意向で自分のポジションが消える可能性はいつでもあります(文字どおりのリストラ)。

そういう状況で、本業の収入の一本足打法を続けるのに不安を感じるようになりました。

そうした経緯で不安を感じるようになったある日、大きな出会いがありました。
その出会いと、出会いから得たことについて、以下の記事で書きました。

 


本業の収入を大切にしつつ、新しいビジネスを始めることでさらに金銭的、精神的なゆとりを得ることができる。
そういうお話です。

今回もお読みいただきありがとうございます。
また次回にお会いしましょう。