平清盛 第二十話「前夜の決断」 その背景~保元の乱が起きるまで その2 -藤原摂関家-~ | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

平清盛 第二十話「前夜の決断」 その背景~保元の乱が起きるまで その2 -藤原摂関家-~

昨夜は天皇家と信西から
保元の乱勃発を考えてみました。

第二十話「前夜の決断」 その背景~保元の乱が起きるまで その1 -天皇家・信西-~
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11258092396.html

今夜は藤原摂関家を見てみます。

核となる部分は既に

第八話「宋銭と内大臣」 その背景 藤原忠通・頼長兄弟は親子でもあった?
http://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11178458316.html

記事にしていますが、
もう少しお書きしたいと思います。


白河天皇は退位してからも、
政治における最大の影響力を発揮し続けていました。
劇中の

ここはわしの世じゃ

の如く、権力を自分に集中させようとしています。
摂関家などの貴族に対してもそうで、
荘園整理令などを以て、その力をそぎ落としています。

この白河院が崩御、そして鳥羽院政下の世の中となりますと、
その機を捉えたのが、
かつての藤原氏の力を取り戻したい藤原忠実でした。

大河ドラマ 平清盛

遡ること、白河院の時代。
関白で内覧(天皇の文書などを先に確認する役職。
関白が兼職するのが通例)だった忠実は
白河院から、忠実の娘・勲子を
鳥羽天皇の后として入内させるように打診を命じられています。
同じ頃、忠実は嫡男の忠通の縁談として、
璋子(後の待賢門院)との話が持ち上がっていたようです。
忠実の耳には、白河院と璋子の間の噂が入ってきていました。
そして、この両方を断り、白河院の不興を買います。
さらに白河院が熊野詣で留守の時、
鳥羽天皇に対し、直に勲子の入内を打診、
鳥羽天皇は了承の返事でしたが、
これが白河院の知るところとなり、
自分が打診した時には断ったのに、
裏で入内を画策している忠実に
院は激怒、忠実を関白・内覧から罷免とし、
忠実は宇治で隠遁生活を余儀なくされることに。

10年の時が過ぎ、白河法皇が崩御、
39歳となっていた勲子(→泰子→高陽院)を鳥羽上皇の后とし、
内覧への復帰を果たします。

一方、忠実が宇治にいる頃、
彼の後釜として関白職に就いていたのが、
長男の忠通でした。

大河ドラマ 平清盛

しかし、忠実が内覧に復帰、
このことにより、忠通の関白職は有名無実なもののとなってしまいます。
また、泰子入内の際、皇后宮の事務官として任じられたのが、
彼女の弟であり、忠実の宇治時代の子、頼長。
彼は泰子の庇護の元、左大臣にまで登り詰めます。

大河ドラマ 平清盛

自分の跡継ぎは頼長と考える父・忠実は、
長男・忠通に男子が生まれていないため、
頼長を養子に迎えさせています。
自分の関白職の跡は頼長に任せるという約束で。

しかし、弟・頼長を養子としますが、
忠通に次々と男子が生まれてしまいます。
我が子を摂政・関白にと願う忠通。
彼は頼長との養子縁組をなかった事にしてしまいます。

兄弟の関係は冷え切り、弟・頼長が養女を近衛天皇に入内させると、
兄・忠通も養女を入内させるなどして対抗。
父・忠実は忠通に関白職を頼長に譲るよう命じますが、
忠通は拒否、このままでは頼長を摂政に出来ないと焦る忠実は、
武士を招集し、忠通の邸宅を襲わせ、
藤原摂関家代々嫡流の証である宝物を強奪、
忠実が頼長を内覧としたことで、
関白・忠通、左大臣兼内覧・頼長が並び立つ異常事態となりました。

ついに兄を上回る権力を手にした頼長は、

悪左府

の異名を得るようになります。
彼は律令政治の復活を目指し、
形骸化していた律令の厳守を言い渡します。
それを犯せば、何者でも厳罰に処しました。
時には重罪犯が恩赦で解き放たれると、
刺客を送り、私刑により殺させています。
屋敷に火を付けさせることもありました。
判断基準は是々非々であっても、
その苛烈さは、多くの貴族の恨みを買うこととなってしまいました。

近衛天皇が崩御します。
目の病が元だと伝えられています。
そして、後白河天皇即位となりますが、
この頃、頼長は妻の喪に服していて、出仕していませんでしたが
京の町に流れる、

先帝の死は忠実と頼長親子の呪詛によるものらしい

という噂が貴族たちの耳にも入るようになります。
頼長は内覧を解かれ、失脚状態となってしまいます。
さらに口寄せが行われます。
その口寄せによる"近衛天皇の霊"が話したのは、

何者かが愛宕山の天狗の目に釘を打った。自分は眼病にされ殺された

という言葉。
愛宕山を調べてみると、
たしかに目に釘を打ち付けられた天狗像が発見され、
寺の僧に訊いてみると、
五~六年前の夜中の誰かの仕業だと答えます。

噂は真実だった。
忠実と頼長の所行に違いないと言われるようになります。
濡れ衣である、そんな事実はないと必死で訴える忠実と頼長でしたが、
宮中には頼長を恨む者が多数いて、
とても話を聞いてもらえる情況ではありません。
そこで、忠実は娘の高陽院に頼み、
鳥羽院との間を取り持たせ、
申し開きが出来そうにまでになるものの、
頼みの綱の高陽院が亡くなったことで、
忠実と頼長親子は完全に孤立してしまうこととなってしまうのでした。

この藤原忠実と頼長親子が、
最後の望みとして戦うことになるのが、

保元の乱

だということになります。







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