平清盛 第十三話「祇園闘乱事件」 その背景 ~鳥羽法皇が得た自信~ | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

平清盛 第十三話「祇園闘乱事件」 その背景 ~鳥羽法皇が得た自信~

鬼若、武蔵坊弁慶が登場しましたね。

大河ドラマ 平清盛

青木崇高さんです。
大河では「龍馬伝」の後藤象二郎以来、
脚本の藤本有紀さんとは朝ドラ「ちりとてちん」以来、
また、印象的な演技を期待しています。
まあ、あの時鬼若がいたのかどうかは難しいとは思うんですが。
とりあえず、延暦寺の強訴に
彼が混ざっていたという話はあるみたいです。

さて、低視聴率に苦しんでいるとされる本作。
私はその内容については、
そんなに責められるほど悪いものではない、
見る価値があるものだと考えています。

問題点があるとすれば、
主役の平清盛が霞んでしまっているという点でしょうか。
当時の天皇家のドロドロに時間を割いていたりするんですけれど、
清盛の描写があまりないことについては、
仕方がない部分もあろうかと思います。
彼の若年期、青年期についての記録があまりないんですよね。
何をしていたのかがわからないんです。
位はどんどん上がっていっていますけれど。
以前の瀬戸内での海賊討伐にしても、
史実の上では清盛が参陣したという記録はなく、
あくまでも、参陣した可能性があるというだけに過ぎません。
完全創作にするという方法もあるものの、
昨年の江のような創作は見たくありません。

そんな中、この祇園闘乱事件は
清盛が関わった事件とされているものです。

大河ドラマ 平清盛

1147年、清盛30歳。
祇園臨時祭の夜に宿願成就の意味で、
田楽を奉納しようとしますが、
これに清盛の郎等が同道していました。
郎等たちは武装しており、祇園社(現八坂神社)側は
その武装を咎め、そこから小競り合いが始まります。
小競り合いだけで済めばまだましだったんですが、
矢を射る者まで出てきて、
負傷者多数、そしてあろう事か神殿にまで矢を立ててしまいました。
これで大騒ぎ…となるかといえば、
実はこの後しばらく、何も起こっていません。
延暦寺がこの事件の事を訴えたのは、
11日も経ってからの事です。
この間に、鳥羽上皇、崇徳天皇は比叡山へ登っており、
そして戻って来たところで、
延暦寺が訴えてきたということになります。
この間に何があったのか、
私にはわかりませんでした。
ただ一つだけ、この間に出来事がありました。
平忠盛がこの者たちの咎であるとして、
7人を検非違使庁に差し出しています。
さすがは目端の利く忠盛、
事前にこの訴えを知っていて、先手を打ったようです。

しかし、納得のいかない延暦寺。
…ところで、基本的な問題に戻りますけれど、
なぜ祇園社での騒動に延暦寺が出てくるかといいますと、
ここが非常にわかりにくいんですが、
八坂神社の歴史を見てみますと、
9世紀にここは観慶寺、あるいは祇園寺だったようです。
お寺だったこともあって、
神社ではあるものの、寺だという認識もあって、
寺としては延暦寺を本山とする末寺という立場になっていたようです。
まあ、奈良時代あたりから神と仏が混ざってしまっていて、
現代日本人の宗教に対するおおらかさ、
悪いようにいえばテキトーな宗教感ゆえでしょうか。
子供の頃、四天王寺の巨大な鳥居に驚いたのを憶えています。

それはともかく、これで幕引きを図る平氏に納得が出来ず、
衆徒と神人(じにん/しんじん = 下級神職)たちで神輿を押し立て、
忠盛並びに清盛の配流(流罪)を求めて強訴に及びました。
これに対し、鳥羽法皇は院宣にて3日の間に採決を下すので、
沙汰を待てと伝え、この院宣にて強訴は収まります。
公卿たちは忠盛・清盛親子の扱いについて協議することになりますが、
この時、法に従い厳罰に処すべきだと主張していたのが藤原頼長で、
法皇に対し、それを強く訴えます。

ここで鳥羽法皇は摂政の藤原忠通に相談、
その結果、頼長の主張はあっさりと退けられ、
法皇は贖銅三十斤という銅を納める罰金刑という裁定を下します。

実はこの裁定までにはたいへんな時間がかかっていて、
ひと月近くももめていたようです。
3日待てと言われたから引き下がったのに、
という訳で、また強訴に及ぼうする衆徒と神人たち。
これに対し、法皇は北面武士でそれを防がせています。

そして、罰金刑という軽い量刑にも納得出来るはずはないんですけれど、
延暦寺は延暦寺で内紛を抱えており、
この事件では強訴に対し否定的な立場の者たちと、
積極的な者たちとの間での抗争が激化、
ついには天台座主の房が襲われるという事態にまで発展します。
結局、延暦寺内が祇園闘乱事件どころの状態ではなくなり、
この騒ぎはここで収まりを見せる事となります。

この事件では、鳥羽法皇の平氏の力に対する
期待度の高さを見ることが出来ます。
金銭的にも武力面でも最も当てにしているのが平氏の力だったため、
法皇は彼らを庇ったといえます。
また、かつて祖父・白河院が嘆いたとされる

賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの

このうちの山法師に対し、
彼らの意のままにさせなかったことは、
鳥羽院にとっては重要な事実だったことでしょう。
あの白河院でさえ、恐れていた比叡山を黙らせた訳ですから。
強訴を抑えこむことにも成功し、
武力を以てすれば、強訴に対抗できることにも自信を持ったはずです。
だから、この直後、法皇は武力増強を図ることになります。





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