平清盛 第六話「西海の海賊王」 その背景 忠盛の海賊討伐 ~人数水増しともう一つの疑惑~ | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

平清盛 第六話「西海の海賊王」 その背景 忠盛の海賊討伐 ~人数水増しともう一つの疑惑~

視聴率が大きく落ちたそうですねえ。
私は結構納得して見ているんですけれど、
昨年と比較しましても、創作部分も見ていられますし、
やっぱりこの時代の馴染みの薄さが視聴率に出てしまっているのでしょうか?
水上の戦いもありましたし、
昨年は双方の本陣を映して
「画面の外では戦っていると思いねえ」で
それで片方の大将が悔しがっていると
「こっちが負けたと思いねえ」みたいなのとは違っていました。
それと、阿部サダヲさんの高階通憲を見逃すのは惜しいですよ。


先週からだいたいオリジナルストーリーとなり、
記事にもしませんでしたけれど、
今週もほぼその流れでのお話となりました。


1135年の海賊討伐。
瀬戸内海で朝廷に届けられるはずだった年貢などの物資が
海賊たちに奪われ続けていて、
さらに日宋貿易の障害となっているため、
武士たちにその討伐をさせようという訳ですが、
その際、ここでも平氏と源氏のいずれが適任かで
議論されることになります。
鳥羽上皇は

為義では途次の国々は滅亡する

として忠盛を推し、また彼は備前守の経験があり、
白河法皇に任ぜられて、海賊を討った経験もあるということで、
平氏忠盛に任されることとなりました。

かつて白河院から命じられての海賊討伐については、
一つの疑惑を挙げている資料もありまして、
そもそも、この時には海賊はさほど問題ではなく、
忠盛自身が海賊の脅威を誇大に触れ回り、
そして、海賊討伐を終えた時には、
手勢が増えていた、と。
要するに、忠盛は海賊たちを配下にするために、
海賊の脅威を必要以上にアピールし、
白河院から討伐の任を得て、
その目的を果たしたという訳です。

今回、見事に海賊討伐を成し遂げた忠盛。
京での凱旋行列では、捕縛した70人余りの海賊たちの姿がありました。

大河ドラマ 平清盛

しかし、検非違使たちに引き渡したのは、
30人ぐらいだったとされています。
残りの40人ほどは何だろうかということですが、
彼らも密かに検非違使に引き渡されつつも、
すぐに釈放され、忠盛の配下にとなったという話で…

捕らえた海賊の実数は30人ほど、
残りは配下に加える予定の西国武士であり、
それを捕らえた海賊として数の中に組み入れることで、
この海賊討伐の功績、
平氏の武威をアピールしようとしたのではないか、
そしてその狙いは忠盛の目論見どおりとなり、
彼はさらなる官位と官職を得る事となりました。

なお、この時に清盛がこの討伐に加わったという記録はないようです。
ただ、この後、父とともに官位を得ています。
清盛18歳、これが初陣だった可能性もあります。

大河ドラマ 平清盛







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