「JIN-仁-」完結編 第11話 その背景 ~南方仁が関わった人たちのその後を史実から~ その1 | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

「JIN-仁-」完結編 第11話 その背景 ~南方仁が関わった人たちのその後を史実から~ その1

昨夜で終了したドラマ版「JIN-仁-」。
最終回では、南方仁が現代で、
仁友堂のメンバーのその後を知ることとなりました。

南方仁は特に橘咲のその後を知るために一所懸命で、
仁友堂以外の人たちには考えが及ばなかったのでしょう。
しかし、彼はきっと、落ち着いてから
調べたことだろうと思います。

ということで、史実から南方仁が
幕末で関わった人たちのその後について考えてみたいと思います。


・松本良順(順)

JIN-仁- 完結編

徳川将軍家奥医師で医学所頭取の彼は劇中、
会津へ向かうと言っていました。
彼は会津藩預かりの新撰組との関わりが深く、
個人的には局長・近藤勇と親しかったとか。
隊士の治療にも当たっていたそうです。
会津戦争には新撰組も参戦していますけれど、
良順は会津藩を支援する奥羽越列藩同盟の軍医となりました。
会津城内に救護所を設営、戦傷者の治療に当たります。
この会津戦争は5ヶ月ほどで会津側が降服することで終結。

彼の姉の娘婿が榎本武揚で、
榎本と仙台で合流した訳なんですけれど、
榎本と土方歳三らは蝦夷地へ向かうものの、
良順は江戸へ帰る決意をします。
日本の医療を西洋式に改めぬうちには、
死んでも死にきれぬというのがその理由でした。
土方も、先生のような名医がこのような戦で命を失うべきではない、
我々とは違い、これからの日本に必要だと言って
江戸へ戻ることを勧めています。

しかし、仙台で捕縛。
そして投獄されるものの、翌年には釈放、
私立病院を建てて治療と医学教育に努めたとか。
その後、兵部省に出仕し、陸軍軍医総監となり、
勅撰により貴族院議員、男爵に叙されています。
この頃、松本順と名を改めているようです。

松本順男爵


享年は75。
彼の業績としては、牛乳の飲用を勧めたことが挙げられます。
そして豚肉を食べることもそうなのかもしれません。
京の新撰組屯所に神戸から豚を持ち込んでいて、
これを食べるように隊士たちに勧めたとか。
豚肉といえばビタミンB1が豊富で
結果的に脚気予防にいいんですよね。
これが広まっていれば安道名津の出番はなかった?
あとは海水浴が体に良いとして、その適地に大磯を指定。
日本初の海水浴場を開設しています。
関東の人にはおなじみの大磯ロングビーチも、
海水浴で賑わっていなければ、プールも出来なかったはずで、
良順なくして現在の大磯はなかったかもしれませんね。
それを讃え、大磯には顕彰碑が建てられているそうです。


・多紀元琰(安琢/養春院)

JIN-仁- 完結編

徳川将軍家奥医師で医学館総裁、
サブキャラの中では相島一之さんの元琰が一番のお気に入りでした。
最終回でも自分の弟子のような福田玄孝に指示を仰ぎ、
懐の深さを見せるなど、
とても美味しい立ち位置でもありました。
しかしながら、どうにも明治になってからの彼が
どうしていたかがよくわかりません。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、
お教え下さいませ。
彼の人となりを伝えるものとしては、
「JIN-仁-」の原作のほうに、相撲好きであると書かれていて、
どうも彼が好角家だったというのは事実のようです。
また、上野戦争の翌日、劇中で描かれたように
官軍による残党狩りが始まる訳ですけれど、
駕籠に乗った元琰も官軍の兵に止められるという事があったようです。
何者であるかを明らかにせよとの兵たちに、
元琰はこのようにしたためて渡したとか。

当時朝敵徳川慶喜家来多紀養春院

カッコイイですねえ。
相島さんで見てみたいシーンでもあります。
これに類する場面は原作のほうには描かれていまして、
上野戦争翌日、傷ついた彰義隊の兵たちを救護している仁友堂へ
南方仁に会うために向かいます。
官軍に誰何された元琰の駕籠、彼は駕籠の戸を開け

幕府奥医師、医学館の多紀元琰である!
仁友堂へ陣中見舞に参るッ!


と、この迫力に官軍は道を開けています。


以上、今夜は軽めに西洋医学、本草学の二大巨頭を。
明晩にはあと3人ほどを記事にしたいと考えています。


ねてしてタペ