衣食が足りても礼節を知らない輩の愚かさ | 菜根譚で今の世界と自分自身を見つめてみよう...

菜根譚で今の世界と自分自身を見つめてみよう...

菜根譚という思想書を通し、仕事である介護や自分自身の経験や人生を通し、改めて自分自身を見つめ直す旅に出ようと思います。

■前集11項

藜口筧譌腸者、多氷清玉潔。
袞衣玉食者、甘婢膝奴顔。
蓋志以澹泊明、而節従肥甘喪也。


  藜口けん腸は、氷清玉潔多し。袞衣玉食は、婢膝奴顔に甘んず。
蓋し、志は澹泊をもって明らかに、而して節は肥甘より喪う。

所謂「粗食」で生きている者は透明で清潔な者が多い。
しかし、「美食」で贅沢をして生きている者は下衆な根性で生きている。
思うに、「志」は質素で淡泊な生活で磨かれるが、贅沢で美食な生活により失われるものだ。

...好きなんですよね、料理。 

 良く料理や食文化についての本を読みますし、それについて他のブログで論ずることもあります。


 明代はさすがに皇帝並みの贅沢をしない限り食の異常はなかったんでしょうが、今の日本の食は正直異常である、と感じざるをえません。

 自国での食糧自給率は40%を切る、食糧基地であるはずの北海道や鹿児島、新潟等の地位や経済レベルが低い(田舎で農業やっている金の稼ぎ方を知らない馬鹿、とtwitterで罵倒されたこともある。たしかobgyouとか言ったなぁ。江戸川区役所の労組加入者だっけ?)、大都会では残食が多く全体の1/3の食料はそのまま捨てられ、焼かれるか埋め立てに使われる、子供だけでなく大人が食べ物の旬を知らない、地産地消であるべきものが何故か鹿児島で鱈が食べられたり東京でキビナゴが食べられたりする...

 これが異常じゃなくてなんなんでしょうかね?

 ここで言う「粗食」は貧しい、と言う意味だけでなく、自分の周りで採れる、しかも旬を外さない、と言う意味もあります。要はその土地で手軽に安く手に入るものをうまく料理すれば贅沢でもなんでもない。素朴だけど滋味あふれる食事は作れます。

 畑に植えたはず無いのに生えている大根を取ってきて煎り粉で出汁を取った汁で根を煮て、煮上がったら刻んだ大根葉を入れて緑が濃くなったら火を止めて味噌を溶く。こんな味噌汁でも立派なおかずですわ。しかも都会では絶対に味わえないものすごい贅沢な...。

 素朴であることは決して恥でもないし、その人の生き方でもあるので都会の人間がとやかく言うことでもなんでもないんですが、何でかねぇ、田舎もんは云々言う馬鹿がいるわけですよ。本当にこんな馬鹿のいる江戸川区は、北海道と南九州協力して食糧供給ストップして区民全員飢え死にさせたろか?ぐらい思うわ、本当に。

 食事だけが贅沢ではなく、都会に住んでいるというちっぽけなプライド(都会と田舎の状況はネットの恩恵でどんどん狭まってきていると言うのに)も下衆な根性そのものなのでしょう。

 地に足のついていない生活で浮かれているものには自然からの恩恵は与えられません。贅沢は敵だ、とまでは言いませんが、田舎があってこその都会であり、贅沢が出来るから良い場所だ、と勘違いするのはやめた方がよろしいです。戦後すぐ、都会に住む人間が田舎に行って物乞いまがいのことをしていたのがたかだか60年ぐらい前だ、と言うことを忘れないように。

 衣食足りて礼節を知る、というのは嘘で、実際は飽食絶って礼節を知る、と言うのが正しいのかもね。少なくとも今の日本では。