菜根譚で今の世界と自分自身を見つめてみよう...

菜根譚という思想書を通し、仕事である介護や自分自身の経験や人生を通し、改めて自分自身を見つめ直す旅に出ようと思います。


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■前集11項

藜口筧譌腸者、多氷清玉潔。
袞衣玉食者、甘婢膝奴顔。
蓋志以澹泊明、而節従肥甘喪也。


  藜口けん腸は、氷清玉潔多し。袞衣玉食は、婢膝奴顔に甘んず。
蓋し、志は澹泊をもって明らかに、而して節は肥甘より喪う。

所謂「粗食」で生きている者は透明で清潔な者が多い。
しかし、「美食」で贅沢をして生きている者は下衆な根性で生きている。
思うに、「志」は質素で淡泊な生活で磨かれるが、贅沢で美食な生活により失われるものだ。

...好きなんですよね、料理。 

 良く料理や食文化についての本を読みますし、それについて他のブログで論ずることもあります。


 明代はさすがに皇帝並みの贅沢をしない限り食の異常はなかったんでしょうが、今の日本の食は正直異常である、と感じざるをえません。

 自国での食糧自給率は40%を切る、食糧基地であるはずの北海道や鹿児島、新潟等の地位や経済レベルが低い(田舎で農業やっている金の稼ぎ方を知らない馬鹿、とtwitterで罵倒されたこともある。たしかobgyouとか言ったなぁ。江戸川区役所の労組加入者だっけ?)、大都会では残食が多く全体の1/3の食料はそのまま捨てられ、焼かれるか埋め立てに使われる、子供だけでなく大人が食べ物の旬を知らない、地産地消であるべきものが何故か鹿児島で鱈が食べられたり東京でキビナゴが食べられたりする...

 これが異常じゃなくてなんなんでしょうかね?

 ここで言う「粗食」は貧しい、と言う意味だけでなく、自分の周りで採れる、しかも旬を外さない、と言う意味もあります。要はその土地で手軽に安く手に入るものをうまく料理すれば贅沢でもなんでもない。素朴だけど滋味あふれる食事は作れます。

 畑に植えたはず無いのに生えている大根を取ってきて煎り粉で出汁を取った汁で根を煮て、煮上がったら刻んだ大根葉を入れて緑が濃くなったら火を止めて味噌を溶く。こんな味噌汁でも立派なおかずですわ。しかも都会では絶対に味わえないものすごい贅沢な...。

 素朴であることは決して恥でもないし、その人の生き方でもあるので都会の人間がとやかく言うことでもなんでもないんですが、何でかねぇ、田舎もんは云々言う馬鹿がいるわけですよ。本当にこんな馬鹿のいる江戸川区は、北海道と南九州協力して食糧供給ストップして区民全員飢え死にさせたろか?ぐらい思うわ、本当に。

 食事だけが贅沢ではなく、都会に住んでいるというちっぽけなプライド(都会と田舎の状況はネットの恩恵でどんどん狭まってきていると言うのに)も下衆な根性そのものなのでしょう。

 地に足のついていない生活で浮かれているものには自然からの恩恵は与えられません。贅沢は敵だ、とまでは言いませんが、田舎があってこその都会であり、贅沢が出来るから良い場所だ、と勘違いするのはやめた方がよろしいです。戦後すぐ、都会に住む人間が田舎に行って物乞いまがいのことをしていたのがたかだか60年ぐらい前だ、と言うことを忘れないように。

 衣食足りて礼節を知る、というのは嘘で、実際は飽食絶って礼節を知る、と言うのが正しいのかもね。少なくとも今の日本では。
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■前集10項

恩裡由来生害。
故快意時、須早回頭。
敗後或反成功。
故払心処、莫便放手。


  恩裡に由来して害を生ず。故に快意の時、須く早く頭を回らすべし。
敗れし後、或いは反して功を成す。故に払心の処、便ちを放つこと莫(なか)れ。

  「恩」という心や「愛」という心から「災い」が生じる。だから調子の良い、楽しい気分の時こそ、それまでを反省すべき。

その逆に、失敗したからこそ成功することがあるから、自分の意志と沿わないことがあっても途中で投げ出してはいけない。

  ...この時代もそうだったのかな?「愛」とか「恩」とか言う綺麗な言葉の裏にはどす黒いものが隠れていて、あまりにそれを強調すると裏からとてつもない臭いを発する、というのは。偽善も善だ、と言う人もいるけど、してあげる善はその裏があまりにもうさんくさいから嫌いです。また、これを声高に肯定する輩がいるからねぇ。

 あとで代償を求める様な善は善じゃないですよね?なんか労組関係の輩にとってはそれが正しい、と言うことらしいんだが、基本間違い。無償の善であってしかるべし。そういう連中が愛とか恩とかの言葉の価値を下げているんだ、と言いきりましょう。

 あとは「好事魔多し」と言うことですかね。調子が良かったりスムーズに事が進んでいることの裏には何らかの落とし穴があるのが常だったりします。

 これを地でいくF1ドライバーが80年代~90年代にいました。イギリス人ドライバーで92年のワールドチャンピオン、ナイジェル・マンセルです。

 91年カナダGPでの「最終周までトップ走ってたのにキルスイッチにさわって優勝逃しちゃった~てへぺろ」事件や、90年日本GPで「トップ走ってたのにギヤボックス壊しちゃった」事件など、ネタに事欠かない人物でした。この文にあるように反省してなんぼ、と言うドライバーではなかったんですけどね。自分は大好きなドライバーなんですが。


 速さは超一流だけど細かいポカが多かったことは事実で、セナやプロストのような達人とは言えないし、記録自体も実際褒められたチャンピオン(歴代チャンピオンの中では、と言う意味なので誤解無きよう)ではないにしろ、記憶には残ってますね。ま、達人=人気者ではない、と言うところでしょうか。

 1992年には彼も念願のF1チャンピオンになれました。そこで良い話が一つ。この優勝が決まったのはハンガリーGP。2位には昨年チャンピオンのアイルトン・セナ。表彰台の上でセナはマンセルにこう言ったそうです。

「チャンピオンおめでとう!どうだい、良い気分だろ?僕はこの気分を他の誰にも奪われたくないから毎年チャンピオンを目指すんだ」

 セナの人生も普通の人間としては地位も財産も恵まれたものではありましたが、F1ドライバーとしては不運や(88年の鈴鹿でのプロストとの衝突や93年一年浪人した事、又その早さ故に当時のFIA会長から差別発言を受けた事もあった)不幸が続いたこともありました(最後のレースになった94年サンマリノGPなどはその最たるもんですね)。失敗し、失敗し、成功し、更に失敗するのはどのドライバーも一緒です。

 トップカテゴリと呼ばれるレースはF1以外にもその当時ならWRCやグループCと呼ばれるフルカウルマシンのレース、アメリカのKARTなどもありました。でも、セナにしろマンセルにしろ、その他の歴代チャンピオンにしろ、すべては勝てなかったからとあきらめずにF1と言うレーシングカテゴリーに参戦し続けたことで、チャンピオンになれたわけです。

 自分の望む結果が出なかったから、とそこで諦めていたらなんにもならない、とこの文では語っていますが、実際に我々、F1を通してそれを見ているわけですからね。

 要は自分の道を進むのに大志を抱きつつ、と言うこと。イナズマイレブンの円道守くんの言葉を借りれば、どんなピンチに晒されても「まだまだ、終わってねーぞ!」と叫ぶだけの気力は常に必要なのかもね。
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■前集9項

夜深人静、独坐観心、始覚妄窮而真独露。
毎於此中、得大機趣。
既覚真現而妄難逃、又於此中、得大慚忸。


 夜深く人静まるとき、独り坐して心を観れば、始めて妄窮まりて、真、独り露わるを覚る。
毎にこの中において、大機趣を得。
すでに真、現われて妄の逃れがたきを覚る。
またこの中において、大慚忸を得る。

  人の寝静まった深夜、独座して自分の本心と向き合えば、邪な心や妄念は消え、本心が自然と表れてくる経験をする。
このように本質と出会うときと言うのは、一人静かに自分を見つめているときだ。
また、本心に出会って更に邪な心や妄念を捨て切れていない、と感じるのなら、その中で懺悔の心が大きく表れてくるはずだ。

...今の時代、なかなか一人で物事を考える時間は無い気がします。

 今の時代は24時間動いていて当然の時代ですから、人の寝静まった深夜に独座して、と言う時間もなぁ...第一外は色々な光でまぶしくて暗い中考えられる環境でもない。

 ただ自分自身、一人静かに物事を考える時間が全くないのか、と言うとそうでもなく。
 布団に入って寝入るまでの間、こういう「自分の心と向き合う」体験をすることがあります。本質と出会っているのか?それはさすがにどうだかわかりません(寝入ったあとに起きて、また思い出すのも相当インパクトがない限り難しいしね)が、一人でいる時間は自分にとっては貴重な時間ですね。いろんな事を考え、思いついたことを実行に移したり、ネット上で紹介したりするわけなので。今始めているギター改造もその一つだったりします。

 もちろん一人でいることだけが大事なのではなく、いろんな人間と集まって話をしたり親睦を深めたりすることは大切なことです。ただし、人間それだけでもダメで、一人になる時間を作ること、またそのときに様々なことを考えることも必要。そういう意味ではバランスを取りなさい、と言う意味でもありますね。

 夜中に一人坐し、一人でいることを楽しめること。それも情報過多、明るいだけの現在に於いて、人に必要なことなのかもしれません。
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■前集8項

天地寂然不動、而気機無息少停。
日月昼夜奔馳、而貞明万古不易。
故君子、閒時要有喫緊的心思、忙処要有悠閒的趣味。


天地は寂然として動かずして、而も気機は息むことなく、停まること少なり。
日月は昼夜に奔馳して、而も貞明は万古に易らず。
故に君子は、閒時に喫緊の心思うるを要し、忙処に悠閒の趣味あるを要す。

天地は静かで動いているように見えないが、実は休む事無く動いている。
太陽や月は昇っては沈むを繰り返しているが、その明るさは永代変わらないものである。だから人の上に立つものは、暇な時ほど物事を細かく考え、忙しい時ほど余裕を持つ心構えが必要だ。

...実際、自然と言うものは静かでいる様に見えて実はダイナミックに動いているものです。我々の居る太陽系と言う銀河も秒速数十キロで動き、数十億年先にはアンドロメダ銀河と衝突する、といわれています。

  実際は太陽もあと40億年もすれば赤色巨星になり、地球もろとも飲み込んでしまうらしいですが、逆にそこまで人類が生き残っているかどうかはなはだ怪しい し、それ以前に別の星の惑星を開拓しているんじゃないだろうか?とか言ったらあまりにもSFチックかな?でも少なくともこの輝きは我々が生きている間は不 滅でしょう。

 この文では人の上に立つ人間の心構えを語っています。簡単に言うなら、暇である時には忙しい時のことを考えておく事、そして忙しい時は逆に余裕を持って物事に当たる事。
 これねぇ...意外と出来てない偉い人が多いんですよね。心に余裕のない人が偉くなった集団や組織、そこに待っているものは不幸、それそのものです。

  最近の例なら、ワタミの渡邊美樹氏はその典型例なのかもしれません。自分の成功例を部下に押しつけ、精神的にも肉体的にも疲労させ自殺に追い込む。これが 上に立つものとして正しい行為だ、余裕のある人間のする事だ、とは思えません。むしろ部下の心をケアするべき立場である人間ですよね。今はワタミはかなり 大きくなっていますが、これからいろんな意味でボロが出る可能性もあります。そこで彼がどう発言するかがあの会社にとっての大きな鍵になり得ると思いま す。

 何か起こったときにおろおろする上司、人に当たり散らかす上司、なんてのはそれ見られただけで部下の信頼一気に失いかねません。そういう人たちは普段からの心構えが無いんでしょう。

 そういう心構えが無かったが故に失敗したケース、実際体験してます。

  以前、自分の施設に入所されていたある方が入浴介助中に心不全を起こし、そのまま急死されたことがありました。それに最初に気付いたのが介助中の自分だっ たんですが、その当時の介護リーダー死亡処置直後に「あの人が死んだのは第一発見者のおまえが原因だ」と(冗談とか抜きで)、訳の分からない言いがかりを 付けたことがあったんですね。

  第一発見者である自分が原因な訳が無く、そのことをしっかり説明したら看護師やケアマネが「何を訳の分からないことを言っているのだ?」と逆に指導し、そ れ以上は何もなかったんですが、普段からの配慮が足りないと上に立つべき人間が混乱してしまう、と言う良い例でしょう。

 今の自分は別に施設内で偉い地位に就いているわけでも何でもありませんが、いざとなったら「忙しい時ほど余裕を持つ心構え」で、と思います。
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■前集7項

醲肥辛甘非真味。
真味只是淡。
神奇卓異非至人。
至人只是常。


醲肥辛甘は真味にあらず。真味は只だこれ淡なり。

神奇卓異は至人にあらず。至人はただ是れ常なり。

濃い酒やサシの入ったような脂っ気の多い肉、辛すぎるもの、甘すぎるものは本物の美味しさとは言えない。本当の味は淡泊なものである。

同じように、道を究められるのは個性の強い天才や超人ではなく、平凡な人間だ。

 ...主食、というのは世界どの国に行っても個性の強い食物ではないことが多いわけで。日本や中国南部や東南アジアやインドでは米、ユーラシア大陸では麦やそば、ヨーロッパや北アメリカでは小麦やジャガイモ、南アメリカやアフリカではトウモロコシ...どの植物も強い味がついているわけではない。でも毎日食べるのに飽きるか、と言うとそうでもない。

 これが逆に妙に味の強い食べ物が主食ならどうでしょう?もっと言うのなら、毎日世間様で言うところのごちそうを食べる生活、と言うのはどういうもんなんでしょうかね?自分自身そんな経験無いので分かりませんが、おそらく早かれ遅かれ飽きるのではないか、と思います。

 そう言う意味で思い出されるのが、今も非常食として愛用されているカンパン。

 自分自身も夜勤で愛用している(麺類などと違い、いざという時もすぐに食事している場を離れられる利点があるため)のですが、元々このカンパン、日露戦争後に軍事用として開発されています。

 開発の際には色々な苦労があったようです。食べやすくするためにどうすべきか、が一番の課題でした。栄養面や美味しさを考えて、卵を入れてみたり干し肉のチップを入れてみたり、と言う工夫もなされたようですが、味の問題で連食出来ない、と言うことで今のゴマをまぶしたそっけないものになったようですね。

 ここで問題なのは、「連食」ということ。常に食するものに対し、大げさな味を付けると逆に連食出来ないのです。第一次世界大戦を経て更に連食出来るよう研究を重ね、連食可能にした工夫の集大成が、川島四郎博士の作った現在のカンパンです。


 「戦闘糧食」というWebサイトのカンパンについての解説を流用させていただくと、カンパンがいかに優れた主食たり得るか良くわかります。


”乾パンはビスケットやクッキーのような甘さも、クラッカーやせんべいの様に強い塩辛さも無い、極めて薄い味にとどめられているので、一見無味乾燥でのどの渇き易い印象を受けます。ところが干菓子系で一番乾きに強いのが乾パンであり、もちろん水気を帯びて淡白な米飯には劣る物の、甘み、塩みに偏らないところに乾パンの乾きに強い秘密が隠されているのです。第二次大戦従軍経験者の言によれば、単調だが噛めばかむほど独特な味わいの乾パンだけは長期間米飯代わりに連食できたと言われます。 また口当たりの良いビスケットや甘いパンなどは直ぐに飽きてしまったそうです。 しかも乾パンには米飯に匹敵し、一部遥かにしのぐ栄養分が備えられ、特に脂質とカルシウムに勝っている点は注目に価します。 軽量な特性も個人携行の非常食としては極めて有利と言えます。”

 下手に華美な味を付けても毎日食べる事は難しい、と言う良い一例でしょう。それこそ、毎日口にするものは平凡なものでいい訳です。

 これと同じ事が人間にも言えます。

 世の中抜きんでた天才や超人ばかりではありません(何か勘違いしている人も一部にいますけどね)。多分このブログを読んでいる人間の殆どがそういった人間ではない、平凡な人間と思います、勿論これを書いている私も含めてね。

 でも、しっかり道を決め、一歩一歩確実にそれを進むことが出来るのもまた、平凡な人間である、と言うことです。しっかり自分の進むべき道さえ決まれば、どうあろうがそれを歩んでいくだけ。それが出来るわけだから他者と比べて悲観すべきでもないですよね?あっちはあっちで別な道を歩いているわけですから。

 地味でも良いからこつこつやって自分の道を進んでいけばいい、平凡だけどいざという時には連食出来て頼りになるカンパンのような人生で良いんじゃないかな?

 ただ、今の日本はこれだけ酷い目に合いながらもまだごちそうだけ食べられればそれで良い、と思い込んでいる人も結構いるようにも見えますね、正直なところ。そこから目覚めなきゃいかんのですが。
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■前集6項
疾風怒雨、禽鳥戚戚。霽日光風、草木欣欣。
可見天地不可一日無和気、人心不可一日無喜神。


 疾風怒雨には、禽鳥も戚々たり。霽日光風には、草木も欣々たり
見るべし、天地に一日も和気なかるべからず、人心に一日も喜神なかるべからず。
 

  大嵐の日は鳥も嵐を恐れて寂しく悲しげな声で啼く。晴れて日の光や風が爽やかだと、草木ですら楽しげである。

 自然も一日でも安らぐ日がなければならないし、人の心も一日でも天真爛漫に喜ぶ気持ちがなければならない。
 

 ...もっと突き詰めて言うなら、「能天気であれ」という事にも繋がるのかもしれません。

 大自然と比較すれば、人の有りようは小さなものです。小さなことでくよくよ悩んでいても仕方ない。むしろ心を明るく持つ事でその人の人生自体も明るくなる。

 twitterやFacebookをそう言う意味で活用されている方も最近はいらっしゃいます。自分が元気で明るくあることで他のみんなも元気づけようと言う運動。

 そこに金銭授受などと言うものは存在しない。またボランティアとも言い切れない。でもその行動が友達の心を明るくし、果ては社会全体が明るくなる。それで良いんじゃないかな?こう言った行動にいちいち批判するだけの理由もないし。

 気持ちを明るく持つ、と言うのが身体の健康に繋がる、と言う論文も最近は出ています。そもそも、西洋医学では心と体の関係性をあまり重視してませんでした。しかし東洋では「病は気から」と表現するぐらい、心と体のバランスが健康に通じるものだ、と言うことが分かっていたんですね。

 「あいつは悪い奴だからネット上で懲らしめてやる」等という輩が果たして健康なのか?「俺の方があいつより頭が良いことを証明してやる。このアカウントはそのためにあるから悪口言い放題でもかまわない」と言うアカウントを持っている人間が果たして健康なのか?その辺りも考えてみると良いでしょう。

 ロックの世界でも能天気を地でいくバンドがあります。Cheaptrickです。サウンドも歌詞も能天気この上ないバンドです。



 皆さん、このくらい能天気に参りましょうや。くよくよ悩んでいても未来は明るくなりません。どこかの宗教放送の言葉を借りるなら

「暗いと不平を言うよりも すすんで明かりを付けましょう」

ですかね。
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■前集5項

耳中常聞逆耳之言、
心中常有払心之事、
纔是進徳修行的砥石。
若言言悦耳、
事事快心、
便把此生埋在鴆毒中矣。


  耳中、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払るの事ありて、はじめて是れ徳に進みて行いを修むるの砥石なり。
若し言々耳を悦ばし、事々心に快ければ、便この生を把りて鴆毒の中に埋めん。

  自分にとって否定的な言葉を聞き、心に添わない事が良くある。だから他人の心の痛みが解る様になる。これは言うなれば「得」と言う刀を研ぐ為の「砥石」である。

 もし、自分にとって全ての言葉が心地よく、楽しいことばかりであるならば、自分の人生を毒の中に沈めてしまう事と同じである。

  ...阿久根の竹原さんを支持している、という事で2chやTwitter上で言われ無き誹謗中傷を今まさにこの時間も受け続けています。おそらくウブな女子高生なら手首何回切っているだろうね?と言うレベル。流石にもう慣れましたが。

 人というのは、何かが人より抜きん出てしまったり、自分の意思を通そうとすると得てしてこういった陰口や中傷を受けます。そこで自分の考えを曲げるのはそもそも人としておかしいと思う。基本間違っている事は無いのだから、自分自身の考えを持って更なる高みに突き進めばいいだけのことです。そこから逃げるのは相手の思う壺ですしね。

 でも、今だから開き直ってますが、最初こういった中傷受けたときは流石にへこみましたよ。何人かの人生の先輩にこのことを相談した事が有ります。

 鹿児島国際大学の古瀬先生:「自分自身の考え方を正直に書ける貴方の姿勢は間違っていない」

 音楽療法の財津先生:「あ~、阿久根の問題ね。あれはどう考えても公務員が間違っているから、それを支持する人間も間違っている。君は間違っちゃいないのは音楽療法に対する真摯な態度でよくわかっているよ」

 緑風園の施設長masaさん:「俺だって自分自身掲示板の件で2chで中傷されているのは知っているよ。でも、あいつらいうだけで自分では何も出来やしないんだからさ、放っておけばいいのさ」。

 基本的に「達人」と言う人々はこういったことに捉われず、自分なりの考えを持って進んでいるようです。自分自身もかくあるべきだ、と気にするのはやめました。

 で、そういった自分に対する悪口などをFacebookに載せたりしているんですが、それを読んで思うのは...。

 悪口を言っている輩どもの発言は、逆に自分自身が考える機会を与え、どんどん高みに上るための一つのステップでは無いだろうか?ということ。

 彼らは決して正しいことだけを言っている訳では無いし、むしろ社会の弱者が見たらどれだけだ、と思える位酷いことを言い続けています。それだけでも反面教師、として非常に参考になるし、社会がわかっていれば発言しないような戯言すらある。議論する義務もないのに議論しよう、と食い下がる醜さまで見られる事もある。

 人を中傷している一方、自分自身の醜さや歪んだ思想をわざわざ世界中に拡げている事にお気づきでない。醜いを通り越して、哀れですらあります。更にこれに対してこちらが少し法的に動いたらどうなるか...想像すらしていないのでしょう。

 阿久根問題に限らず、他人中傷して喜んでいる皆様、貴方達の誹謗中傷は実は敵と思しき人間に塩を送っているだけの行為です。受けられた人間はあなた方の汚い言葉でどんどん徳を積み、人間的に成長していきます。それに追いつけなくなる時期が来ても後の祭りです。他人を鍛えるだけの余裕があるのならまだまだやっていればいいんですが、そういう人間に限って徳も知恵もなく、最終的には毒壷に沈むのです。

 かなり過激なことを書いてますが、これが偽らざるこの世の有り様なのです。

 要は、人生逃げる態度よりも、何にでもぶつかっていく態度。中傷に負けずに耐えつつも己の姿勢を崩さなければ、それがそのまま自分自身を高みに至らしめる道場になりえるよ、という事。

 もっと言うのなら、人の避けることを率先してやってみよう、と言う奨めでも有ります。自分自身はどうかな~、と少し考え込んだりもしますね。

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■前集4項

勢利紛華、不近者為潔。
近之而不染者為尤潔。
智械機巧、不知者為高。
知之而不用者為尤高


  勢利紛華は、近づかざる者を潔しとなし、
これに近づきて而も染まざるものを尤も潔しとなす。

智械機巧は、知らざるものを高しとなし、
これを知りて而も用いざる者を尤も高しとなす。



   高潔とはどういうことか?...有名で力があり勢いがあって華麗な人間や俗事に近づかない者

 更に高潔とはどういうことか?...近づいていても華麗な人間や俗事に染まらない者

 それより更に高潔とはどういうことか?...悪賢く策を弄する事を知らない者

 究極の高潔とはどういうことか?...悪賢く策を弄する輩を知っていてもそれらを利用しない者

  ...おそらくこの菜根譚の書かれた時代である明代から、縁故や親の七光りで出世したケースというのは多々あったのでしょう。これから400年以上を経た現代の日本でもこういったことは公然の秘密、として行われています。

 現在報道されている大阪市のメール問題や、過去大分であった県教職採用問題などはその氷山の一角でしょう。その氷山の下は我々が想像できないほど深く、また闇の中である事は想像出来ます。

 そりゃ人間ですから、楽な方へ行きたいし、つてとかがあるならそれに甘んじて乗っかって行きたい。でもそれは「高潔」である、とは言いがたい行動であり、本来慎むべきものである、とここでは述べて有ります。

 悪賢く策を弄する、つまり自分の周りの環境を政治的に利用し、利益を得ることでもありますが、これで利益を得たとしても、それに伴う実力がないと後々は潰れるだけ。仮にあったとしても陰で何を言われるかわからない。世の中とはそういうものです。

 道を究める、と言うのは並大抵な事ではありません。障害は多いし、行く道によっては全くの獣道どころか切り立った崖だったりする事もあるでしょう。そんな道を簡単に進もうと他人を利用したり、楽をしようとしても、最終的にはそのメッキは剥がれ落ち、更なる苦労を背負い込む事になりえるわけです。

 人はどんな道を進んで生きて行こうとも、独立心と自負心を胸に秘め、一歩一歩確実に進み、どんな荒地を進もうがへこたれないこと。どんなに荒地を進もうが自分で道を切り開きなさい。切り開いた後に何が待っていようとも...。

 苦あれば楽有り、また楽あれば苦あり。悲しい事も待っている。でも我々は涙をぬぐい、前に進まなければならない。過去には戻れないのだから...。

 そういう精神を持ち、前を向いて生きて行く事が「高潔」である、ということなのでしょう。
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■前集3項
君子之心事、天青日白、不可使人不知。

君子之才華、玉韜珠蔵、不可使人易知。


君子の心事は、天青く日白くがごとくすれば、人をして知らざらしむべからず。

君子の才華は、玉のごとくを韜、珠のごとく蔵さば、人をして知りやすからしむべからず。

  人の上に立つべき人間の心が晴天の青空のように雲ひとつ無いような公正さを持つのなら、人に知られないような隠し事などは出来ない。

であるからそういう人は才能をひけらかし、目立つような事をすべきではない。

 ...なかなか小難しい、漢文としては韻を踏んでいていいかな、と思う文章ですが、この漢文、日本の諺では簡単に表す事ができます。

 「秘すれば華、秘さざれば華ならず」

 もう一言付け加えるなら

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 という事です。

 この一文で思い出した最近の事件、というか人がいます。鹿児島県知事、伊藤祐一郎氏。

 鹿児島県の行政のトップであるし、元総務省官僚という事で頭も良い(事業仕分けで仕分け人にやられた失態はあったけど)筈なのですが、薩摩川内市の産廃処分場問題や鹿児島市の松陽台ニュータウンの県営住宅問題など、今まで隠されていた鹿児島県運営の失態(地元の大手ゼネコンとの癒着)が少しづつではあるが露見しているような状態です。まだ鹿児島のマスコミは知って知らずか知らない素振りをしてますが、知事選までの間には大きな問題になると予想してます。

 8年前に初当選した選挙の際医師会主催の演説を見ているのですが、その当時から自分の偉さをひけらかす言動が目に付く方でした。他に立候補していた二人が割と朴訥な方でしたから、異様に目立ったことを今も覚えています。この時期から彼については何の信頼もしていません。がゆえに、阿久根の竹原さん問題での発言も眉唾物でした。絶対本音では語っていないだろう、と言う点で。

 ...偉い地位にいる人間が偉ぶるとろくな事にならない、と言う意味では非常に良い見本だと思います。

 実は、意外と介護の業界にはこういう「才能ひけらかしタイプ」「知識はあるけど教えるつもりもない、と言い切るタイプ」は多いです。才能があるのならその才能を他の介護従事者と共有するべきなのに、それをやろうとしない、手段も今はネットを初めとして数多くあるのにそれに挑戦しようとしない。それがいかに介護の世界に役に立とうが関係ない...。鹿児島の老舗施設や事業所こそSNSやWebサイトを活用し、全体のレベルアップを図るべく動くべきなのにそれをしようとしない。最もこれは県の福祉系職能団体にも言えることなのですが。

 少なくとも既にそういう時代では有りません。権威に身をゆだねるがゆえに情報収集がおろそかになり、明日は権威と共に地に落ちてしまうことも考えられる。その場合、いったい如何行動すればいいのか...?そういった予測はおそらく彼らには出来ていないのでしょう。

 聞かれた事は素直に教える、人当たりも良く、誰にでも気軽に声を掛けられる。偉さ、と言っても宇宙の広がりと比較すればただの原子核レベルにしか過ぎません(いや、それでも大きいかも)。そんなもので自己満足するぐらいなら、最初から偉ぶらずに頭を垂れていればその人の人生はいかに楽になるでしょうか?

 自分自身、偉くもならないだろうけど、もしそうなっても「実るほど頭を垂れる稲穂かな」で参りましょう。
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■前集2項
渉世浅、点染亦浅、歴事深、機械亦深。
故君子与其練達、不若朴魯。
与其曲謹、不若疎狂。


世を渉ること浅ければ、点染もまた浅く、事を歴ること深ければ、機械もまた深し。
故に君子はその練達ならんよりは、朴魯なるにしかず。その曲謹ならんよりは、疎狂なるにしかず。

  若い人間の「悪」への染まりは浅いが、年齢を重ね経験や年齢が増えるにつれ「悪」の染まりも小ずるく、並大抵の物ではなくなってしまいがちである。

 人の上に立つべき人間は世渡りや根回しの上手さを身に着けてしまうようなキャラクターであるより、素朴で少々のろまであるほうが良い。現実ばかりを見て悲観してしまうよりも、理想や夢を追い求め努力するほうが良い。
 ...在宅時代の上司が、まさに「事を歴ること深ければ、機械もまた深し」で。自分自身の上司には媚びへつらうくせに部下である人間は一人ターゲットを決めると苛め抜く(やられましたけどね...)。介護保険の請求で事業所にかなり酷いダメージを与える様な事件を起こしても、普段から根回しをしている(金銭的・肉体的に...)だけに簡単に許されてしまう、そういう方でした。はっきり言って、人の上に立てるタイプではなかったわけですが、未だにその事業所ではトップをキープしてはいます。ただ問題がこれ以上大きくなるとどうなるかな...と思いますが(噂では既に問題は大きくなりつつあるようです)。

 どの業界でもそうなのかもしれませんが、世渡りが上手く、悲観的にしかものを見れないいわゆる「偉い人」がいる場合、その集団はしっかりまとまるとはとても思えません。逆に朴訥で口下手だけど、持っている夢は大きい、と言う人間が「偉い人」であるなら、その集団は成功するでしょう。

 現実にそういうグループホームを見ています。

 鹿児島市内の某所に有りますが、施設長はそういった政治的な動きにはかなり疎い。しかし、自分達の置かれている環境をフルに使い、利用者を飽きさせない施設作りを立案、実践されています。有名な施設では有りませんが、今からまだまだ良い方向に伸びていくのでは無いか、と。

 集団の中で私利私欲の為に政治的に動くべきじゃない。己を通すべき事は大事ですが、それがエゴであってはならない。少し抜けた感じでもかまわないけど、大事な事はきちんと押さえる。最近の社会の動きを見ると、そういった基本的なことが出来る人間が侮られる姿が垣間見れます。

 組織内で政治的な動きをしている人間の末路というのは歴史が証明しているのですが、人間なかなか学べないものなんだなぁと改めて思うところです。

 話は少し変わりますが。

 最近、介護には未来の夢がない、今回の介護報酬改定ではマイナス査定なので...という話を聞きますが、そういってしまうのはたやすい事。でも、それに対してそのまま受け入れるのではなく、もっと介護の世界を良くして行こう、と言う試みが最近なされています。

 自分自身も少しだけ関わっていますが、「笑福会」「もんじゅ」等はその好例でしょう。いかに介護従事者が明るく、楽しく仕事が出来るかを考えていく集まりです。そういう理念があるからこそ同意し、微々たる物ですがその活動に参加し、応援しているのです。

 介護従事者が現実を見すぎてその有り様に悲観していては良い介護は出来ません。特に認知症高齢者には、介護従事者のその時々の感情や想いが移ることが間々あるからです。マイナスの感情はすぐ他人に移ります。プラスの感情も同じことが言えます。常に夢を見、元気で生きていく姿は利用者だけでなく、他の施設や事業所の職員にも移ります。

 私利私欲の為に組織で政治的な動きをし、その影響で泣く人がいてもかまわない、と言う態度より、愚鈍と言われようがやるべき事をしっかりやる態度、毎日を明るく過ごせる態度...。

 我々介護従事者はそうあるべきだと個人的には思います。
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