ー 苦難が人間性を磨くことをたびたびおっしゃってますが、そうでないケースもしばしば見受けます。
「私は、苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。苦難は地上にいるかぎり耐え忍ばねばならない、避けようにも避けられない貴重な体験の一つで、それが人間性を磨くことになると言っているのです。
たびたび申し上げておりますように、青天の日もあれば雨天の日もあり、嵐の日もあれば穏やかな日もあるというふうに、一方があれば必ずもう一方があるようになっているのです。
もしも地上生活が初めから終わりまで何一つ苦労のない幸せばかりであれば、それはもはや幸せとは言えません。
幸せがあることがどういうことであるかが分からないからです。悲しみを味わってこそ幸せの味も分かるのです。
苦難が人生とは何かを分からせる手段となることがよくあります。苦難、悲哀、病気、危機、死別、こうしたものを体験してはじめて霊的な目が開くのです。それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります。」
ー 残念なことなのですが、苦難に遭うと不幸だと思い、邪険になり、卑屈になっていく人が多いようです。
「それは結局のところその人の人生に確固とした土台がないからです。人生観、宗教観、それに物の見方が確固とした知識を基盤としておれば、いかなる逆境の嵐が吹きまくっても動じることはないはずです。
これも人生の一こまだ、すべてではなくホンの一部にすぎないのだという認識ができるからです。」
シルバーバーチの霊訓(八)