ー 大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか。
「なんら差し支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙およびそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。
大霊より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より強大なものは存在しません。
宇宙は誤ることのない叡智と慈悲ぶかき目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは間違いない事実です。
このことは慈悲の要素が神の摂理の中にもくろまれていることを意味します。
ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。
いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を阻止することはできません。そこに摂理の機械性があります。
機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、この用語ではその背後に知的で、目的意識をもったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。
私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲にあふれ、完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな“人間神”的な要素のない神です。」
シルバーバーチの霊訓(七)