シス・カンパニー公演「死の舞踏」@シアターコクーン | 明日もシアター日和

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作 アウグスト・ストリンドベリ

翻案 コナー・マクファーソン

翻訳・演出 小川絵梨子

出演 池田成志/神野三鈴/音尾琢真

 

 先日観た「令嬢ジュリー」から十数年後の、1901年に書かれた戯曲。2部構成だけど、その第1部のみの上演です。マクファーソンが第1部だけを翻案したらしくて、その理由はわかりません。

 「令嬢ジュリー」との関連性は特になく、演出家が書いているように、前者が若者3人の、こちらは成熟した大人3人のドラマってことかな。

 舞台はスウェーデンの孤島。沿岸砲兵隊大尉エドガー(池田成志)は退役間近の60代。元女優のアリス(神野三鈴)はその11歳年下。3カ月後に銀婚式を控えている夫婦です。エドガーは傍若無人・傲慢不遜、アリスも辛辣無比・共謀過激。長年、互いに憎み合い毒を込めた激しい口喧嘩を繰り広げてきました(以上、シス・カンパニーのサイト参照)。でも、それもそろそろ飽和状態? そこにアリスの従兄弟クルト(音尾琢真)が15年ぶりに訪れます。一見、温厚で常識人のように見えるクルトを通して浮き彫りになる、エドガーとアリスの深層心理。そしてクルトのそれも暴露されていく。彼らの言葉による闘争は人生における戦いにまで発展していきます。

 2人が住んでいるのはもと牢獄だった建物で、高い天井が強烈な圧迫感を醸し出す。閉塞感で押しつぶされそうなその世界で、逃げられずもがいている夫婦。そこに加わるクルトも含めて3人が、それぞれに孤独や不満や欲求を抱えながらも、向いている方向が全く異なる、その関係性にも寒々しさを感じました。

 千穐楽とあって3人のアンサンブルは申し分なく安定していました。間の取り方や動作の流れにも隙がなく、上質の会話劇を楽しみました。

 

 神野三鈴のアリスが圧倒的な存在感を放っていました。まだ女としての自分を保っていられる年齢、神野さんが動くたびに、その身体から熟女の色気がこぼれ落ちる感じです。夫を罵倒し、発作で倒れるたびに「死んだ?」と、期待とも不安とも取れる表情で覗き込む。クルトを誘惑し、駆け落ちしようと、夫を陥れることを画策する悪女だけど、それが自分の勘違いだと分かってあたふたする。2人の男性の心と人生を掻き乱していく役を伸び伸びと演じている感じです。そうかと思えば、かつては夫を尊敬していた、美しい心を持った人だと思ったことを回想する表情には、純粋な可愛らしさが浮かびます。

 夫に対する憎しみと愛情がないまぜになり、コロコロと言葉が変わるたびに声色も表情も仕草も微妙に変わるのが上手い。自分はどうしたいのかよくわからない感じが、緊張感とともに伝わってきます。この日常から逃れたいと25年間思ってきていても、結局は何もしていないんですよね。部屋の片隅に空になった鳥かごが置いてありました。「令嬢ジュリー」との関連性はないものの、あの鳥かごは「令嬢……」でジュリーが駆け落ちするとき持ち出そうとしていたのと同じですね。象徴的です。

 

 夫エドガーを演じた池田成志は、当初この役を演ることになっていた平幹二朗に変わっての配役。いかんせん、社会から疎外されつつある60代のシニアには見えなかったし、神野さんより11歳年上にも見えない。これって本作では重要だと思うんですよね。私の中では、平さんでなければ西岡徳馬だったかな。

 でも、エドガーのひねくれた性格、他人を操っていく独裁制、それで人が苦しむのを見てほくそ笑むSっ気、保身のためか相手をからかうためか、とっさに嘘をつく癖など、その定まらない人物像をクリアに見せていた。常に不機嫌で何かに苛立っているんだけど、ときどき弱音を吐いたり人生を語ったりするときのユーモラスな一面も可笑しかったです。

 エドガーは心臓病を患っています。「死の舞踏」の元になっている生死観はペストが大流行した中世ヨーロッパで生まれたもので、死は誰にでも平等に訪れる、死にゆく人は骸骨に鼓舞され踊りながら墓場に行進する、というもの。それをテーマにした絵画を見ると、骸骨はユーモラスで可愛くさえあります。劇中でエドガーが踊った「ボヤール行進曲」が死へのダンスなのか。エドガーはなんとかして生にしがみつこうと、妻やクルトに戦いを挑んでいるように見えました。

 

 たまたま訪れて2人のバトルに巻き込まれていくクルトを演じた音尾琢真。2人の言動に右往左往しながら、次第に自分の中の欲望に気づいたり、自分の本性をあらわにしたりします。音尾琢真の少し生真面目な雰囲気が、泥沼に引きずられていく悲喜劇をよく表している。時々見せる冷めた表情は、自分をさらけ出しそうになる恐怖心を感じさせます。アリスとの禁断のラブシーンはもっと強引ネットリでもよかったかも。いや、アリスが主導権を握っているということで、あのためらいがちな抱擁でいいのかな?

 

 最後のエドガーとアリスのやり取りには、2人の間に漂う、ある種の幸福感を感じました。殺伐とした生活なんだけど、その底辺には、断ち切ることのできない夫婦の絆がかすかな体温を保ちながら残っているよう。冒頭で2人はカードゲームをするんだけど、この日々繰り返される夫婦バトルもゲームの一つ、無味乾燥した夫婦生活に刺激を与える清涼剤なのかもしれないと思ったのでした。